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思考とことば|バランス
もし今、子育てに疲れていたら、もう力も湧かない・・・
という状態だったら、ぜひ試していただきたいこと。
それは、真逆の考え方を紙に書いてみること、です。
早く寝かさないといけない → 早く寝かさなくてもいい
子どもが寝たらあれとこれをしないといけない
→ 寝なくてもいい、あれとこれをしなくてもいい
みたいに。
そして声を出して読んでみる。
心に響くまで。
。。。。。。。。
子どもさんが、電車の中(席の空いている)やレストランなどで
座るべきなのに座ってくれなかったら
どんな声がけをしますか?
親として、マナー/礼儀を教えておかないと
親として、子どもの責任はわたしの責任
と思いながら声がけをしますか?
こういう場所では、ちゃんとおとなしく座るものよ。
座るべきなのよ。座りなさい。とか。
それとも、
ま、いいんじゃないの。
子どもは今座りたくないみたいだから・・・
と思いながら声がけをしますか?
転ばないように気をつけるのよ。
誰かにぶつからないようにね。みたいに。
まさに、思考は言葉になる です。
もし、あなたが前者の考えの持ち主だったら、
後者の考えの人を見てどう思いますか?
「あの子どもの親は何してるのかしら」
「あの親は、子どもに大事なことを教えていないじゃない」
「あの子どもはあんなことして・・・」
・
・
自分はこうじゃないといけない、と、
強く思っていると、
そうじゃない人を見た時に、
違和感を感じたり、嫌悪感まで感じたり。
わたしは、前者のように
こういう場所では静かにするべきよ
周りの人たちに迷惑をかけたらダメよ
と思っていました。
「親として」「親の責任だから」という気持ちから
そうしなくちゃいけない、と、
強く思っていたのかもしれません。
さらには、子どもの粗相があったら親の責任だし、
マナーを知らないと思われるのが嫌だ、怒られる・・・
という自己防衛の気持ちもあったと思います。
(というか、絶対、自己防衛でした)
〜 すべきだから、〜 しないといけない
という考え方は、結構、気持ちが休まらないんですよね。
プラス自己防衛をしていた・・・(笑)
それとは違う考えを持った人の行動を見ても、
わたしの場合は違和感は感じていたけど、
嫌悪感はなかったと思います。
ただ、わたしとは別の世界に住む人だよね、とは思っていました。
(それも嫌悪感の一種??)
。。。。
ヨガには、
『反対の極にあるものを意識することで中和される』
といった教えがあります。
物事には極があります。
極:《名・造》この上ないところ。頂点。限界点。
南ー北、男性ー女性、右ー左
上ー下、夜ー朝、太陽ー月・・・
好きー嫌い、愛ー憎しみ、生ー死・・・など。
もうこの上ない「点」。
。。。。。
(体を使う)ヨガは身体が柔らかくないとできないー
と思われている方も多いようですが、
実は、柔軟性だけでは怪我をしてしまう可能性もあるのです。
柔軟性と筋肉や骨・関節の力があってこそ、
両方を合わせたちょうど良いところでバランスが取れるもの。
柔軟だけど、強い。
強いけど、柔軟である。
その程よいバランスを見つけられるのがヨガでもあります。
橋もそうですよね。
強いだけの橋はボキッと折れてしまうけれど、
そこにちょうど良い具合の柔軟さが加わってはじめて
長く使える丈夫な橋が完成します。
それと同じように、自分の考え方も
極端に偏っているのはアンバランスな状態です。
座るべき → 〜 座らなくてもいい
責任を果たさなきゃ → 〜 責任を果たさなくてもいい
そんな風に、反対の極の考え方を意識してみると
心のバランスも取れてきます。
もし今、子育てをしている自分に限界を感じていたら、
真逆の考え方をノートに書いてみてください。
早く寝かさないといけない → 早く寝かさなくてもいい
片付けをしないといけない → 片付けをしなくてもいい
みたいに。
そして声を出して読んでみる。
心に響くまで。
・・・
心のモヤモヤ・ザワザワが静まって、
よく眠れるかもしれません!
頑丈で柔軟性を持たせた橋が丈夫であるように、
わたし達の思考や心も、バランスよく整えたいものですね⭐︎
こういうお仕事もさせていただいています。