NY自宅隔離日記12:米国から日本への入国制限

世界各地と同様に、コロナウイルスが猛威を奮うニューヨーク。

3/1に最初の陽性反応者が出てから1ヶ月が経ちました。

外出禁止令が全米へと広がり、ニューヨーク州はいまや単体で中国の感染者数を凌ぐほどとなりました。

パニックになる人、楽観する人、呆然と流される人、周りには色んな人がいましたが、ここまで事態が急展開するとは思ってもみなかったという人が、私を含めて大半を占めていると感じます。

その中で自分は「あ、これは書かなくちゃ」と思えたので毎日少しずつ書いてみます。

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日本人の性、サラリーマンの性

「私、日本に帰れるうちに帰ろうと思うんです」

私の上司はアメリカに住んでもう10年以上。こちらの生活に根差した人で、ローカル採用から管理職になったバリキャリだ。

派遣されるどの駐在員より語学と仕事ができ、Self-motivatedな(自発的、自分で考えて行動できる)人であり、それゆえにとても厳しい。

その上司に帰りたいという決心を伝えるのは少々、いやかなり気が重かった。

会社としての帰国命令も特に出ておらず、3月末で帰任する人もまだニューヨークにいた。

飛行機も少ないながら飛んでいるし、多くの日本人がニューヨークで自宅待機している。

知人を通じてニューヨークの医療現場で働く人、小売店の人のリアルな話も知っている。

最悪の場合、駐在員に退避命令が出ることは考えられないケースではない。

しかし、同じ日本人でもローカル採用にはその命令は適用されない可能性が高いという、身分の差もあった。

帰りたくても帰れない人がたくさんいる中で、私は逃げるのか。

それでも、自分で必死に悩んで家族が大事だと最終的に考えたわけだが、今もこの決断に対して後味が悪い思いがある。

上司と二人でミーティングしている最中に、事態がひどくなっていく中で、私は今後何があってもアメリカに残るという決断はできないと伝えた。

「おのおの大切に思うものが違うから仕方ない。単身赴任で、家族が日本にいるならそういう選択をすることも理解する。

会社は最後の最後まで退避させないと思うので、もしまだ余裕があるうちに帰りたいのであれば、自主的に準備を始めておくのがいいのではないか。」

上司の反応や返答はとても冷静だったし、色々言いたいこともあっただろうが、ぐっと我慢してOKをくれたことに今も感謝している。

予想外の非常事態やパニックの中で、上司はいつも一歩、二歩先を読みながら柔軟に対応する人だった。


治安の悪化

飛行機がある限り帰れないと伝えていたのが一転、家族に一時帰国を検討していることを伝えたところ、皆一様に喜んだ。

不安を煽らないように、私の決断に何も言わないようにしてくれていたことが、ひたすらなら申し訳なく、理解してくれていた家族に改めて感謝した。

この頃、ニューヨークの感染者数は1万人を突破し、マンハッタン、ブルックリン、クイーンズなどの地区ごとの感染者数が発表されるようになっていた。

マンハッタンの中心、ミッドタウンのあたりに臨時の病院ができて、今までは検査の数を増やすことに注力していた政策が、病床を増やして患者を受け入れる体制を作るような政策に変わっていった。

ニュースでは地区や施設でのクラスター感染が報じられ、企業のレイオフ(解雇)も問題になりつつあった。

近所の安いスーパーでは万引きが増え、セキュリティチェックが厳しくなるとともに、少し様子がおかしい人がスーパーの入り口あたりにたむろすることがあったので、一駅先のスーパーまで買い物にいくようになっていた。

アジア人の間ではヘイトクライムの噂を交換し合うことが増えた。

アジア人向けのヘイトクライムに限らずかもしれないが、ニュースでヘイトクライムの情報を見ることは少ない。

ニューヨークはドイツに比べるとはるかにリベラルではあるが、それでも差別は日常茶飯事だから余程のことがないと取り上げられないのだろう。

ネットのまとめサイトやSNSのシェアされた投稿を見れば、どこでどんなことがあったのか詳しく知ることができるため、少しでも予防が可能になる。

経済の停滞を発端に、わたしの住んでいたエリアでは急激に治安が悪くなることを感じた。

これにはエリアの差があるので、ニューヨーク全てがスラム化したわけではない。

お互い大変だねなんて声をかけてくれたり、今まで通り接してくれる人たちも沢山いた。

しかし、普通にお店でサービスが受けられることや、親切にされること、オーバーに言えば駅や道で暴力に晒されないことを感謝するような状態になっていたことは確かである。

どのルートで帰るか

アメリカからの帰国者は14日間の隔離が必須という入国制限が3/26以降適用されることが決まり、現地法人の社長や本社の人事部門に一時帰国したい旨を伝えたが、あっさり快諾された。

知らなかったことだが、社長が米国の感染状況や治安の悪化について日々本社に報告していてくれたおかげで本社にも多少危機感が伝わっていたようで、私の自己申告を境に正式にアメリカの事業所でも管理職以外の駐在員は一時帰国をすることとなった。

どこまで日本政府が厳しく対応するのか詳細がわからない中で、飛行機探しが始まった。

家族や他の人たちに迷惑をかけないためにも、東京のホテルで2週間の隔離も考えたが、既に欧州からの帰国者で空港周りのホテルが埋まっていたことや、帰国者は宿泊拒否されるということも聞いていた。

また、国内線乗り継ぎを含めた公共交通機関の使用自粛を求めるという風に記載されていたので、地元の大阪まで帰るには一番便数が多くて手軽なニューヨーク-東京便は使えなかった。

ニューヨーク→台湾→大阪便もしくはニューヨーク→西海岸(ロスやサンフランシスコ)→大阪便が検索に出るものの、台湾がいつアメリカからの入国を制限するか不透明だったし、国内線も減便などでスケジュール通り動いているか全く読めない。

不安がありつつも、西海岸での乗り継ぎ便をJALで予約した。ANAはもう運行しておらず、デルタなどのアメリカの航空会社の便も出てこないので、チョイスは一つしかなかった。


<明日の13に続く>








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熟女見習い
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