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noteって不思議ですがとても楽に書けますね。
HPやブログだとH2タグがどうの・・とかいろいろ考えて
ちゃんと書かなきゃって思ってしまうんですけども
noteだと長めのつぶやきの気分で書けるのでとても楽です。
使うSNSによって気分が変わるのは不思議ですが
キットその辺は何かあるのでしょう。
理由は私にはわかりません。

というわけで今日は先日の
鬱と自己否定の話の続きを書きたいと思います。
子供を出産して退院後2週間で次の子を産まなきゃねと
母に言われて絶望した話の続きです。
続きというか続きにならないかもしれませんが。

鬱になったり適応障害になってしまう人の傾向に
頑張り屋さんが多いと言われます。
あとは良い子でしょうか。心理学用語でいえば
過剰適応という状態ですね。

私はまさにそのタイプの子供でした。

人の期待にこたえたい
要求されたことを何とかこなしたい
無理って言いたくない

そんな気質が強かったので母からの一言は
当時とても大きなダメージになりました。

期待に応えたのだから誉めてくれるはず
喜んでくれるはずという無意識の期待が崩れて
とてつもないダメージを負ったからです。

この『人の期待にこたえたい』
『要求されたことにはこたえたい』
『無理って言いたくない』という気質は
今もまだ残っていまして・・・

正直、少し前にやめた仕事でも家庭でも
この考え方にまつわる悩みからは
まだ解放されていません。

人の期待にこたえたいという気持ちの裏には
人の期待に応える代わりに愛されたい
という欲求が隠れています。

私は3人兄弟の長女で私がおなかに入った時は
両親は私がお腹に宿ったことをうれしくなかったそうです。
いわゆるハネムーンベイビーだったので
『え、もうできたの?』と
戸惑いと不安と不満の方が大きく

赤ちゃんが出来て嬉しかったという気持ちには
ならなかったと大人になってから母に聞きました。

まあそんなことを言う母も母なのですが・・・
それはさておいて。

私は赤子の対峙記憶は残ると思っていまして
母親の胎内にいたときの感覚は
出生後の生き方にも影響を与えると考えています。

お腹に授かってうれしいなと思って
迎えられた子供と

なんで出来ちゃったんだろうと思われて
生まれてきた子供では

母親の胎内でいる時の感覚は全く違うと思うからです。

私のところに来てくれてありがとうという気持ちで
子供を迎えられた母親はお腹の子供をまだ産む前から
愛おしく思い優しく話しかけたりできるでしょう

でも・・・

なんで出来ちゃったの?と母親に思われて
お腹に宿った子供は母親から歓迎されていない
その感情の流れをお腹の中でも感じて
表現しがたい罪悪感を抱きながら育つと思うのです。

ごめんね、お母さん・・・と
(お腹に)来ちゃってごめんね・・・と

自分の存在に何かわからない強い罪悪感を抱きやすく
人に迷惑をかける事や人の期待に背くことに対しての
恐怖を感じやすくなると思っています。

何故かわからないけど自己否定が抜けないとか、
すぐに『ごめんなさい』と言ってしまうなどの
無意識の感覚が強くある人は、この体内感覚が
影響していることも多いのではないかと私は思っています。

長くなりましたので続きはまた


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