CSを語ろう~「衛生意識、飲食店の限界なのか?」
店舗と働く人材の意識が低いことをリスクに入れるのはどうかと思う
友人同士や家族と仕事で、などお店選びは重要です。
私の”定番店”。
「良い景色」ならあそこ、
「がっつり肉料理」ならあそこ、
「安定」ならあそこ、
「スイーツ」ならあそこ、
「愛犬と一緒」ならあそこ、
「コーヒー紅茶が本格的」ならあそこ…等など。
選ぶポインは美化・クリーンネス。
お店スタッフ&お店の意識の高さ。
昨今特に時世柄、この要素に注力することが求められています。
本日取り上げるのは、店舗に携わる人材の意識が、感染や顧客離れ(営業力低下)のリスクと捉えられるのはおかしい、という話です。
避けられない事とは別物。と考えたいですね。生活様式や美化意識に個人差があるからこそ、教育しなければならない。本人の意識に任せています、という店舗が多くみられます。「多様性」をここで都合よく使う、と感じますね。その結果がお客離れにつながる。
椅子の上を拭いたダスターで机やメニューや食卓の醤油さし等を拭く
昨日利用したコメダの店舗では、フロアーマットをキッチンの入り口(レジ前、提供される出来上がった料理が置かれる台のところ、テイクアウト料理を詰める場所)で素手でパタパタ叩き埃やらが巻き上がるのが光の具合で見えました。2枚目のマットをパタパタ叩き始めたころには、見ていられず、目を背けました。手を洗う事なく、そのまま別の仕事をしていました。
私はその後すぐに、テイクアウト料理を受け取りましたが、結局食べる気が失せて半分以上を残す事となりました。
何のための消毒や、拭き掃除なのか。
入店時に検温や手の消毒を促し、不注意で忘れると(或いは消毒液の場所に気づかないと、或いは消毒液の容器があまりに汚くて躊躇していると)、大声で引き止められることもしばしばありますよね。
それ自体がどうというよりも、では店員の意識と行動はどうなのか、ということです。
お客側はよく見ている。その程度でいいんだ、ポーズだけなんだ、それを含めてリスクなんだから仕方ない?
と、店舗で働く人材の意識が低いことをリスクに入れるのはどうかと思う。
トイレ、床、椅子、ソファー、テーブルは綺麗か。
メニューを触るのに躊躇されるような汚れやくもりはないか。
・テーブルは淵まで綺麗に拭かれているか
・椅子の背もたれは綺麗に拭かれているか
・荷物入れのBOXの中はゴミや汚れがないか
・テーブルの脚、椅子の脚は汚れていないか
・床に食べ物や紙が落ちていないか
どれも基本のことですが、これらの基本がなされている店舗がありません。
こういう行き届いた店舗はないものなのでしょうか。望むことがおかしいのでしょうか。
基本なのに難しい、当たり前のことだからこその付加価値
これが付加価値になる時代なんだ…。
基本レベルのクリーンネスを望むならば、それなりのレストランやカフェに行かなければならない、という現実はどうなのか。
感情で動くお客様はいつも流動的ですよね。味に惚れ込んでいる、店主や店員さんに惚れ込んでいる、そんな強みのあるお店もあります。ただ、それでさえ、危うくもろいもの…
常に新しいお店や話題性の高いお店が台頭してきます。
そして、こんな傾向がありますよね。
綺麗な空間は綺麗に使ってもらえる
=「綺麗に使わなきゃ、汚してはいけない」という意識がはたらく
汚いところはますます汚くされる
=「どうせ汚いし、捨ててもいいよね、みんなやってるし」と流される
まさに、人は環境で育つ!
殺伐とした気持ちになる、安定した気持ちになる、
人の成長にも「環境による」という側面があります。
以前有名になったアメリカ・ニューヨークの割れたガラスの修復やごみ拾い、落書きを消すという運動がもたらしたものは「安全」でしたね。心と体に安全をもたらした。
今、見直す事ができなければこの先もできないでしょう。
これほどに清掃・美化が叫ばれるこの時世にもかかわらず。
ステイホームから徐々に外食が増えてきました。貴重なその機会を気持ちよく過ごしたい、ただそれだけ。
そして、人とのつながりがバーチャルやネット上へと変化する中、リアルな付き合いや結びつきを大切にしたい、だからこそ人が集う場所が居心地のよいものであればと願い、店主や店舗のスタッフの方々とのふれ合いが深まればもっともっと豊かな気持ち、豊かな時間となって街全体が活性化すると思います。
そんなことがあちこちに広がりますよう願います。