クリエイティブ民における「感想」の嬉しさとその難しさの話
感想って嬉しいものですね。
このnoteへのコメントももちろんなんですが、自分の創作しているものへの感想って、もらえると嬉しい。非常に励みになる。
私の場合は、お祭りだったから買ってもらえただけ、とか、そのカップリングだから買っただけ、ってぐらいな程度だと思うんです。買った人たちからすれば・・・
でも私としては、やった!!自カプ好きになってくれた!!という喜びがまずデカい。
書いたものの入口として、
カップリング(デカいくくり)→小説(小さいくくり)→私の作品(ミジンコ級のくくり)
になるんで、このデカいくくりにまず入ってくれるまでの過程もなんならありますから、よくぞ辿り着いてくれましたね!!!!という感じなんです。
しかも小説。活字中毒じゃない限り、あとは、よっぽどそのカップリングで漫画とかイラストがなければ読む、ぐらいの認識の人もいると思います。
かく言う私も昔は鈍器のような単行本を2~3日で読破するような子供で、自分で買うものは漫画よりも小説って感じの、ま~~いかにも活字中毒者なんですけど・・・そういう人間でも、よっぽど好きじゃないと長い文章読めなくなってきてます。
だから自分の書くものもサクッとしちゃうし、長く書けば書くほど説得力が増すのかな?分からないな~~~という気持ちです。
私が好きだった小説たちは、長いから好きだと思ったんじゃなくて、物語が面白そうだったから読んでいた、のに・・・
なんで二次創作だと長い方がすごい!という認識があるのでしょうか・・・謎です・・・
それはさておき、「感想」についてのツイートが回ってきて、出た~~~腐女子大好き感想書き方ツイート~~~となりました。
なるほどね!となり、みんなも引用RTとかで分かりやすい!みたいなこと言ってるんですけど、
これを読んでなるほどね!ってなったひとの何割が本当に感想書くんだろう?って・・・
難しいですね!!!!
人の書いたものに感想言うと、パーッと読んで、あ~おもろかった~ってなるだけのところに1工程出来て、もう一度自分の中で考える隙が生まれるんで、面白いんですよ。
ただ・・・全部が全部に言えるかっていうとそうじゃないです。
私だってよかったと思うものに全部コメントしたり感想言ったり出来ないし。
だからと言って感想来ないからって同人止めるのはなんか違うと思うんですよね。
感想ない!!じゃあ私の作品みんなは必要としてないんだ!!筆を折ってやる!!!
筆は折らないでください。
いつかあなたが手に取りたいと、もう一度思う時に折っちゃったら書けないです。
筆は折るな、置くんだ~~~~!!!!
どうせこういうこと言ってメンブレしてもよく寝てよく食べてメンタル安定してくると、「あっ、やっぱり書きたいかも!」ってなると思うんで。
この間書いた市川雛菜さんの話でも出てきたんですけど、私もやっぱりいち創作者として、感想やいいね、RT・・・きたら嬉しい!!欲しいですそりゃ!!!
でもそれが来ることを前提に創作してしまうと、そうでなかった時に不幸せになります。
自分がどうやったら幸せになれるかだけをシンプルに考えていこう!!!というのをモットーに創作することを決めたので、「感想来ないな・・・」「あれ?いいねつかない・・・」というもやもやを抱え始めた時は、「私は幸せになることから逃げてるな」と思うことにしました。
「ない」ものを数えれば無限です。「ある」ものは(私はだけど)有限です。
今私は自分を幸せにするという信念から大きく逸脱した考えを抱かなかったか?と問い質し、そんなことをしている場合があったら、自分が楽しいと思えることと向き合う方がいいと思い直しています。
私に「ある」もので私を幸せにするものは、来るかどうかも分からない博打みたいな他者への希望ではない。それは私の希望じゃなくて、他人をマインドコントロールでもしないと得られないものだから。
ただ「ある」のは、書くこと。
自分の道を一本、バシッと決めてくれるのは、いつだって書くことでした。
「感想」、それは他者からのリアクション。しかも最上級。
でも、求めすぎると自分の筆の在り方や、心の在り方を失うものでもあると思いました。なんかこう・・・中毒性あるけどものすごく稀少だから、摂取するのが当たり前になってくると、そうじゃなくなった時のギャップで「あれ!?」て一気に階段落ちます。お気をつけて!!
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