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わずかな変化の膨大な積み重ねが、人生をつくる【2024.07.01】

生き急いでるな。

そう感じる時があります。


仕事の合間に少し時間ができて、ちょっと散歩しようかなと思い立ちながらふとSNSを見ると、さまざまなことで活躍している人たちや、スキルを身につけろと煽る広告文が目に入ってきます。


YouTubeを見ると、アルゴリズムによっておすすめされた動画たちが、いかに自分の人生は素晴らしいかとか、この方法を身につければ市場価値が上がるかとか、稼げるだとかを語る人たちがいます。


無意識のうちにそういった情報が入ってくるとどうしても、「あ、新しいこの技術に触れてみようかな」「〇〇を学んだらもっと楽しいかな」なんて思ったりするわけです。


厄介なのは、僕自身、そういう技術に触れたり新しい領域に入ってみたりということがかなり好きだということ。


僕が今やっているポーカーやタロットも、ふとしたきっかけで興味を持ち、どっぷりハマりましたし、最近はAIで作曲することにも挑戦しています。


これらは「やりたい」「面白そう」という純粋な気持ちから初め、苦も無く今まで続いていることです。


だからこそ。厄介なんです。


「新しく〇〇しよう」と思う時、それが自分の興味からなのか、それとも得た情報に振り回されて、何か身につけないといけないと、今持っているものをさらに向上させなきゃいけないと焦っているだけなのか、区別する必要があるから。


幸い、自分の気持ちに素直になってからは、だいぶ区別しやすくなりましたが、それでも何かにせかされたように「やりたい」を誤認してしまうことはまだあります。


そんな時に、「生き急いでいるな」と感じるんです。


つくづく僕たち人間は、というか現代の情報の海に生きている僕たちは、早い変化を望んでいるなぁと思います。


そりゃどんどん望む方に人生が進んでいけば苦労はしないけどさ。短い時間で変わることができれば苦労しないけどさ。


そんなに簡単じゃないのよ。


アニメやドラマ、マンガなんかじゃ、1年が数十ページや数話に収められていたりなんかするからついつい勘違いしちゃうけど、僕たちが生きている1日単位で見ると、実際にはわずかな変化しか起きない。


フィクションでは5年後・・・なんてあっさり場面が切り替わるけど、その間にすぎる2,000日弱の日数は、48,000時間もの時間はそこに生きる1人1人が噛み締めて過ごしていて。


そのわずかな変化の膨大な積み重ねが、目に見えてわかる人生の転機だったり、僕たちの気持ちの認識を変えてくれたりするんですよね。


だから、ね。
もっとゆったり生きようよ、と思うんです。


ゆったり生きていいよって誰かじゃなく、まず自分が言ってあげていいと思うんです。


生き急いでるな、と気づいた時は、またやっちゃった〜〜と笑いながら「長い目でみよ〜〜。ゆったり行こ〜〜」なんてことを僕は自分に言い聞かせています。


すると、知らないうちに変な方向に向いていた気持ちも、自分の幸せの方向に向き直せたりする。不思議とね。


そんな気持ちで過ごす、梅雨の1日でした。

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