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079 時間について

つくづく思うのですが、どうも私が過ごす時間は、周囲のひとよりもゆったりと流れているようです。わるく言えばのろま、ということになるのだけれど、一日は二十四時間だし、一時間が六十分という時間の決まりは同じはずなのに、なんだか不思議なことです。

たとえば、会社で意見を求められたときに、ふむ…と考えていると「あ、いいよ」と言われてしまうことがあります。「あれれ、いいの?」と思っているうちに、その人はひらりとどこかへ行ってしまいます。しかし、一度考え始めたら答えを出さなければ気になって仕方がないので、少し考えます。そして、この意見参考になるかも、と思って質問を投げかけてくれたひとに伝えに行くと、「あ、まだそのことを…」とびっくりされたり、笑われることもあります。
しかし、たいていそのあとは「なるほど、参考になりました」と言ってもらえるので、その人にとってはすでに古い話題なのかもしれませんが、お伝えしておいて良かった、と思うのです。

また、仕事をもりもりとこなしているつもりのとき。To doリストの項目にチェックが増えていき、順調に仕事が進んでいると思っているときに先輩から「お願いしておいた〇〇はどうなった?」と聞かれることもあります。そういう時そのお願いされたことはたいていリストの次に取り組むべきこととして載っていて、一切手をつけていません。それを正直に先輩に伝えると「わかった、よろしくね」と言ってくださるのですが、どうもとりかかるのが遅かったかな、などと思います。

このように仕事に関してはあきらかにとろく、でも自分の中ではてきぱきと働いているつもりなので、周囲と作業をする時間の差が出てしまいます。

でも、仕事の期限は守るし、一度できた仕事を直すように言われたこともないので、良いのかな、なんて楽観的に思っています。

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びっくりするのは、昼寝のときです。
私は短い時間の昼寝ができなくて、必ず二時間ぴったり眠ります。
家族には「ほんとうになにが起きても起きない。生きているかどうか心配になったこともある」と言われたことがあるくらいです。
だからめったに昼寝はしないのですが、疲れがたまってふとんに吸い寄せられることはあります。そのとき、私が眠る時間は、はかったようにぴったり二時間ですが、体感としてはあきらかに半日過ごしています。

どういうことかというと、夢の中で半日過ごしているのです。
昼寝で見る夢はだいたい決まっていて、起きるところから始まります。
「あぁよく寝た。やっぱり二時間ぴったりね」
と思うところから。そこから本を読んだり、外を眺めたり散歩をしたり料理をしたりお風呂に入ったりして、ごく普通の夕方から夜を過ごします。そして、就寝のために部屋の電気を消して眠ったら、その夢は終わって現実世界で起きるのです。

時計を見たら、現実で昼寝を始めてぴったり二時間後のだいたい十六時くらいです。
その時計の針の位置や日の傾き具合も夢の中で見たものとほぼおなじなので、自分のいる場所がどこなのかわからなくなり、混乱します。

でも落ち着いてきたら、ちょっと得したかも、なんて思います。

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時間といえば、こんなこともありました。

散歩をしていたら、たまたま帰省していた幼なじみに会いました。
せっかくだから少し話そうということになり、カフェで楽しくおしゃべりしました。
彼は今大学院生とのことなので、研究のことや教授のこと、最近読んだ本のことなどをたくさん話してくれて、気がついたら一時間半が経っていました。
彼はその日の夜の新幹線で大学があるところに帰るそうで、
「あと三十分したら一旦家に帰らなくちゃ」
と早口で言いました。私はすっかり安心して
「あと三十分もあるのね」
と言いました。すると、彼が
「その考え方、いいね」
と言ってくれました。

このことから、同じ三十分でも、もしかしたら考え方によって長くも短くもなるのかもしれない、と思いました。ひとりひとりが持っている思考によって時間の長さが変わるのであれば、私に流れている時間が多少周囲の人と速さが違っていてもおかしくはないのかもしれません。

時間は不思議なものだなぁと思いました。そして、そんな時間に包まれている空間も人間もやはり不思議なものなのでした。

今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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