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「なんだか筆が乗らないなぁ」と悩む、論理派の人へ。『力を抜いて、書いてみる。』

なんか今日は筆が乗らないなぁ。
毎日書いていると、そんな瞬間が必ず訪れる。


いつも一定のエネルギーを持って、書くことや話すことに取り組めればいいのだけれど、人間波があるからそうもいかない。


情報発信の難しいところだよね。


「筆が乗らない」というのは、「ネタが思いつかない」とは少し違う。
なんとなく書きたいことはあって、書き始めることはできているのだ。


パソコンの前に座ってなのか、スマホで「メモ」アプリを開いてなのか。
人によってさまざまだろうけど、スタートラインには立てている。


なんなら、クラウチングスタートの体勢はとれている。


あとは、スターターピストルが「パン!」となって走り出すだけなんだけど、どうにも音が聞こえてこない。


それが「筆が乗らない」という状態だ。


と言いつつ、今日の僕は少し筆が乗ってきた。
今日は「筆が乗らない」ことについて書いてみよう。


この記事を書き始めた5分くらい前の僕や、「記事を書きたいけれどなんだか書き始められない」という悩みを持つ人へ。


何か気づきを得るきっかけになれば嬉しい。

そろそろピストルがなりそうだ。


スターターさんがピストルの引き金に指をかけた。
行こう。

なんとなく書きたいことはあって。


この先に続く言葉はいろいろあるだろうが、例えばこんなだろうか。

なんとなく書きたいことはあって。
でも、記事として書けるのか見通しがつかず、続きをかけない。

日常の中で気になったこと、書き連ねてみたいことはある。
ただ、話の落としどころや、そこに至る過程が思いつかない。
だから続きを書けない。


というわけだ。


この悩みは、記事を書くときに「全体から考えて、論理を組み立てていく」という論理寄りのスタンスを取る人に多い。


なんだか行き当たりばったりは苦手で、それだとあちこちに話が飛んでしまったり、書いてから読んでも「う〜ん?」ってなったりする。

そんな感じの人。
ちなみに、僕が「筆が乗らない」時も大体こんなことで悩んでいる。


で、この悩みが出てきたら大抵一度はたどり着く答え(らしきもの)はこう。

「一言一句考えないで、見出しだけ考えて書けばええねん!」
「書くにしても、見出しの中身を箇条書きで書いて、上から書けばOK!」

どうだろう?
思い当たる人は多いのではないだろうか?


文章術の本でもいわゆる「論理派」や「完璧主義」の人に向けて、こういう書き方を進めているものが多い。


それでうまくいくことも、もちろんある。



僕が記事の下書きや動画の台本を書くときは大抵、「見出し + 箇条書き項目3つ」とかがセットだし、多くの記事はその下地があって書いている。


基本的なやり方としては、それで間違っていないのだ。


だけど、同様にうまくいかない時もあるのだ。

「その見出しが思いつかないんだよ!!」

「本当に書きたいことがあるだけで、それを伝えたら100文字で終わってしまうんだよ!!」

こんな時はにっちもさっちもいかなくなってしまう。


最終的には、「もういいや!」と下書きの海に沈めてしまったり、文章を消してしまったりするのだ。


そんな人には、2つの考え方をお届けしたい。


「書きたい」に出会った経緯を細かく描写する。


いわゆる「見出し」作戦が効かない時。

それは、洞窟の先が真っ暗で何も見えず、暗闇を照らしてくれるランタンの燃料も心もとない。そんな状態にあるようなものだ。


あなたは洞窟の先に用事がある。なのに、前に踏み出せない。
出口まで辿り着ける気がしない。どうしよう。


そんな時は、一度「なぜその用事が生まれたのか」や「どういう経緯で洞窟まで来たのか」を思い出してみるといいかもしれない。


「書くこと」で置き換えると、あなたが「書きたい」と思った経緯や、「このテーマで書きたい」と思った理由。テーマについて感じていること。


これらをつらつらと記事に書いてみるのである。
この時、記事の全体像なんか見えていなくていい。


洞窟の出口まで全部を照らさなくていい。
目の前だけを照らせばいいのだ。


文章を最初から読む人は気づいたかもしれないけれど、この記事なんかはまさにそうだ。


「筆が乗らない」という僕の「書きたいこと」から始まって、そのテーマについて感じていることを描写していった。


そのうちに、「ネタが思いつかない」こととはなんだか違うなぁと思い始めて、じゃあこれについて書いてみようか、ということで筆を進めている。


こんな風に、経緯や感情を頭の中から外に出してみることで、意外なものと結びついて新しく疑問が生まれたり、自分では描こうと思っていなかったことに発展することがある。


あとは思いのままに、書き連ねていけばいい。
もし、論理構造やらなんやらがどうしても気になるのであれば。


書き終わった後に、推敲すればいいじゃないか。
書いている間は、気を張らず力を抜いて思い切り楽しむ!


そうすれば「書きたかったこと」も没にならずに済むし、
書くことで、自分の中に生まれた新しい気づきも血肉になるはずだ。

100文字で終わってしまってもいいんじゃね?


そもそも、である。

記事は見出しがいくつかあって、論理的な文章で構成されていて、それが何千文字で ——— 。という形じゃないといけない。

こんなふうに、勝手に思考をロックしていないだろうか?


「記事」と聞いて一般的に思い浮かぶのは

・メディアが執筆・編集した週刊誌
・著名人の何記事にもわたるインタビュー記事。
・各種業界の方々による考察

こういった、いわゆる「世間的に評価される」ものばかりだと思う。


Noteでも、論理的で共感を生む記事が、「いいね!」を押される傾向にある。だからこそ「記事を書く」というと、しっかりしたものを描かないといけない!!と力が入ってしまうのも、痛いほどわかる。


僕も同じタイプだから。
記事を書くときは、10回に9回くらいは「力入ってるぞ!!」と自分を戒めている。


けど、「しっかりしたもの」だけが記事じゃない。


というか、Noteという場には記事以外の投稿や、「つぶやき」という機能など、たくさんの発信の形がある。


だからもし、言いたいこと100文字くらいしかなくて、なんだか筆が乗らないのなら。100文字だけを語って終わる記事でもいいのだ。


全てが論理的に構成されてなくてもいいのだ。


もっと力を抜いて、記事を書くことに向き合っていい。


そう思う。


それでももし信じられないのであれば、いろんな人の記事を読んでみることをオススメする。


普段自分が読んでいないような記事に出会うのであれば、「Noteのお題」からハッシュタグで選んでみるのもいいかも。


ここまで、「筆が乗らない」と「悩んでいる人に向けて、文章を書いてきたがいかがだっただろうか?


すぐには気持ちは切り替えられないかもしれないけれど、同じように悩んだ時は、ぜひ何度もこの記事を読んでもらって、「力を抜いて、記事を書く」という感覚を掴んでいってほしい。


ちなみに、陸上の世界でも速く走るには、肩や背中、肩甲骨まわり、腕など余計な力が入らないように、無駄な力を抜くことが大切だと言われている。


スターターピストルがなって走り出した後も、力まないほうが、自分の本来の力を発揮することができるというわけだ。


その意味では、「陸上競技」と「書くこと」は似ているのかもしれない。


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