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じゃあ、自分はどうだったのか? と考えてみると少し冷静になれる

息子が高校を卒業したというのに、いまだに「卒母」とはいかず、そんな自分にため息をつく日々。これまでの子育て中も事あるごとに自分に投げかけてきた言葉を、また思い出しています。
「じゃあ、自分はどうだったのさ?」という問いかけです。

大学生活が始まった息子。そもそも社交性に乏しく、人とワイワイ楽しくやることにあまり興味がありません。大学でも「早く友達作ろう」とか「とりあえずサークルに入って顔見知り増やそう」とか、そんな様子が全くない。
淡々と授業に行き、終わったらマッハで帰ってくる……

すると「大丈夫なのか?」と思ってしまう私。
大きなお世話だよ、と人のうちの子のことなら言えます。
大丈夫も何も、18歳にもなった本人がやりたいようにやればいいだけ、と。
なのに「せっかく大学行ったんだから、もっと世界を広げてほしい」「勉強だけじゃない、いろんなことを学んでほしい」等々、勝手な願いがとまらない……。

そこで「じゃあ、自分はどうだったのさ?」

はい、自分もそんな充実した学生生活は送っていませんでした。サークルも入らず、友達関係も狭く、世界を広げたわけでもなく、バイトも勉強も中途半端で、ふわふわと4年間を過ごしてしまいました。

だったら同じじゃん!
自分もそんなふうだったのに、息子にだけキラキラした大学生活を求めるのはおかしくない?
そこまで考え、少し冷静になりました。

思えばこの問いに目を覚まさせられたことが何度もありました。
息子が中学生の頃、クラスメートや部活仲間との関係があまりうまくいかないことが心配であれこれ言いたくなったときも
「じゃあ、自分はどうだったのさ?」と自分に尋ねました。

「いや、私だってうまくやれないことはいっぱいあった。仲間はずれにもなったし、友達いっぱいでいつも楽しくやれてたわけでは全然なかった」
それでちょっと冷静になれました。

高校入学後、入った部活を1カ月でやめ、その後何に熱中するでもない息子を見ていらいらしていたときも
「じゃあ、自分はどうだったのさ?」

「いや、私だって部活やめてほんとーに何もしなかった時期があった。全然キラキラした高校生活じゃなかった」
だったら、息子にだけそれを求めるのは、なんか違うよね。と思えました。

目の前の子供のことで「ああだったらいいのに」「こうだったらいいのに」という思いがとまらないとき、
「じゃあ、自分はどうだったのさ?」
と尋ねてみる。するとちょっと冷静になれることがあるかもしれません。
よろしければお試しください。
 

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