「保守主義」対「リベラリズム」?
世界は分断されているらしい。
本当だろうか?
右を見ても、
左を見ても、
どこにも崖のような亀裂はないし、
みんなは同じように生活している。
けれど、
右と左に分かれていると言う。
一見、みんなはあまり興味がないみたいだけれど、
政治の話しを聞くと、
必ず出てくる“分断”
右とか左とか
保守とかリベラルとかに分断されている。
アメリカでは新たな南北戦争が始まるかの勢いだそう。
これは大変。
さてさて、
この対立軸。
保守主義とリベラル主義とは?
どうして、そんなに対立しないといけない?
対立しないといけない理由を探るべく調べてみる。
うーん、、、
ChatGPTに聞いてみよう。
さて、
分かっただろうか?
本来の保守主義は制度を大切にし、急な変革を避けるはず。
でも、
現代の保守は都合の悪い慣習や制度はどんどん無視し、
どんどん変更していくように見える。
自分たちの正義のためなら革新的にさえなる。
また、
本来のリベラルは政府や国家の介入を嫌がるはずが、
現代では、積極的介入を要求する。
価値観にそぐわないものへは積極的に自由を規制しようとする。
「保守」と「リベラル」
この言葉では矛盾点が多すぎて分かりづらい。
しっくりくる言葉はないのかな?
そこで僕が思いついた呼び名。
「弱肉強食主義」と「思いやり主義」
「弱肉強食主義(保守)」
強いもの。権威が大好き。
強いものに従うか、強いものの示すルールに従う。
強いもののルールに従わないもの、強いものに反発するものには厳しい。
逆に、強いものに対しては甘い。
強いものが勝手なルール違反をしても、理由があることだからと許す。
一方、弱いものがルール違反をすると徹底的に叩く。
自己責任を強調する。
実は責任など求めていなくて、強いもののルールに従えないものを排除したい。
真の伝統主義ではない。
強いイメージへの憧れで、“強くカッコよく見える時代”へ戻したい。
恣意的な伝統。
マイノリティや移民は“強くかっこいい僕ら”を壊す。
勧善懲悪が大好き。
悪いものをやっつけたい。
だから軍事力が必要。
悪とは自分たちの権威を傷つけるもの。
家父長制的なものが好き。
強い大黒柱がいないと弱く感じる。
弱いものは強いものが導かないといけない。
強いものは苦労して弱いものを導いているのに自分勝手されると腹が立つ。
だから、弱いものに厳しくする。
非を認めるのが難しい。非を認めると反権威主義者の批判に負けたように見えてしまう。
理屈より感情。
ある意味、弱肉強食は自然の摂理。自然の感情に近い。だから理屈ではない。
「思いやり主義(リベラリズム)」
弱者、被差別者、女性、子ども、自然等、強いものに虐げられているように見えるものの見方。
被害者救済に一生懸命。
弱者への思いやりが原動力。
しかし、思いやりを持っている自分が偉いと自己満足になりがち。
真の自由主義ではなく、被害者救済のためなら自由を規制させようとする。
強者や目上の人、管理者等からの指示やルールを加害に感じてしまう。
だから反権力。
権力は決めてくれる存在。
反権力は決めてくれる存在の否定なので、自分で決めないといけない。
しかし、リベラリストは権力に「もっと良い決定をしろ!」と要求するので無責任に文句ばかり言っているように見える。
(本来は反権力ではなく、権力に思いやりを持ってほしいだけ。権力が思いやりを持てないので反発している(はず)。)
一部で不快=すべて被害と感じて、被害者意識が暴走している。
思いやりを果たすには、自分たちの持っているものをシェアしないといけない。
けれど、シェアできるものには限りがある。
だから、思いやりには限度や範囲がある。
限度や範囲は越えられないので偽善に見える。
限度や範囲を調整したり説得する必要があるので面倒(努力が必要)。
弱肉強食に比べて理性を必要とする。
なので、自然の感情を乗り越えるための成熟度が必要。
一方、不自然な理屈っぽさを感じてしまう。
「保守主義」対「リベラルリズム」よりも
「弱肉強食主義」対「思いやり主義」の方が分かりやすい気がするけれど、
どうなんだろうか?
個人的には“思いやり”あふれる世の中になって欲しいな、、、
長々とすみません。
こんな素人意見を最後まで読んでいただきありがとうございました。
政治って分かりずらいから避けがちかもしれません。
しかし、本当は僕たちの人生や未来の子どもたちの基盤をつくっているとても大切なもの。
もっと多くの人に政治にも興味を持ってもらいたいな
なんて思っています。