感情が分からない【放】
ここ2週間弱、胸がとても苦しかった。つまる、詰まる、くるしい、苦しい。息が吸いにくい。息を深く吸い込んでも、吸い込めなくて。何か黒くて硬くて固まったものが胸にあって、ずっと苦しかった。
特定のものじゃない、“なにか”が詰まって苦しい。
でも、苦しいことは、少し嬉しいなと、感じた。
なんとなく、この痛みは今まで置き去りにしてきて痛みで。なんとなく、この痛みは昔自分が間引いた自分からの殺意なんじゃないかな?と思ったりした。
痛みを感じられるぐらいの余裕が出てきたんだろうか。苦しみを感じられるぐらいの準備ができたんだろうか。
もうそろそろ、その痛みに向き合っても大丈夫な自分になったんじゃない?みたいな自分の声だろうか。
だいぶ昔に置き去りにしてきた自分。出したら攻撃されて迫害されると思っていたから、孤独になりたくなくて、1人になりたくなくて、間引いた自分、殺した自分。その自分の苦しみや痛みを、痛すぎて苦しすぎて感じれなかった痛みが、身体に上がってきたのかもしれない。
自分自身に殺意を向けていて、殺意を向けられた自分も、自分に殺意を向けていたのかもしれない。あーぁ…。自分に申し訳なくなる。ごめんね。ゆるしてなくて、あなたを排除して、無かったことにして、いなかったことにして、無視し続けて、むげに扱って、ごめんね。
ちゃんと自分を“守れなくて”、ごめんなさい。
攻撃されたくなくて、孤独になりたくなくて、ひとりぼっちになりたくなくて、間引いて殺して。間引いて殺してたから、ずっとひとりだったのかもしれない。
ずっと、ずっと、長い間、“痛み”というものが分からなかったような気がする。
痛みが分からないということに気づいたのも最近。
自分の感情も感覚も分からなかった。自分の感情も感覚もないと思っていた。
“嫌”ってのも分からなかった。
なぜ、人が悲しんでるのか怒ってるのかも分からなかった。
人に「にんげんちゃんはワカラナイ星人だよね」と言われ、感情感覚に対して分からないと言ってる自分に気づいた。
私は自分をずっと刺してたんだろう。
刺してきた自分に刺されたんだろう。
その刺した傷が痛すぎて、痛覚をなくしていたんだろう。
胸の苦しさ、痛みに向き合っても大丈夫な自分になったのは、余白ができたからだと思う。
一緒に痛みに向き合ってくれる、人の助けや人の愛があったからだと思う。
痛みっていうのは、自分一人では痛すぎて、耐えられないこともあるんだと思う。
痛いことに、ゆるしてないことに気づいていない。そんなことは多いと思う。
傷は、気づいたときから、治り始める。
胸が苦しく感じるのは嬉しかったんだけど、胸が苦しくなるまで、その痛みに直視できるまでに、私はたくさんのアウトプットをした。
モヤモヤをモヤモヤのまま人に言い。どう助けて欲しいか分からないまま、人に助けを求め。胸が苦しいこと、今まで苦しいこと、ムカついたこと、悲しかったこと、今感じてること、過去に感じてることを人に話した。ノートにも書いた。自分とも対話した。自分の感情感覚を見るようにした。他人に受容してもらった。他人に許可してもらって、自分でも自分に許可をした。人にモヤを話して、自分で許可してないことに気づいた。たくさん泣いて、怒って、ぐちゃぐちゃどろどろになった。
一人では直視できなかった痛みや傷。
ずっと、私は一人で戦い続けてた。でも、そんなことしなくていい。私は、一人で頑張って、痛みや傷を見なくてもいいと思う。見れる準備ができれば見たらいい。頼ればいい。甘えればいい。まずは傷や痛みを見れるだけの体力を回復すればいい。助けてと言えばいい。どうすればいいか分からないと言えばいい。苦しいと言えばいい。私はたくさんの人からの愛で痛みや傷に気づくことができたんだと、そう思う。
遠い昔に、自分の本心本音が守りきれないと思ったから、私は間引いて殺してなかったことにした。
でも、誓うことにした。
私は、【自分が自分を守る】【絶対、私が私を守って幸せにする】ということを自分に誓った。
できるかどうかなんて、私にも分からない。けど、できるかどうかじゃなくてやると決めた。決めたんだ。
自分の痛みを見ずに諦めるか、それとも痛みを見るかは、どちらでもいいと思う。自分で決めればいいと思う。
どちらにせよ、苦しみがある。
だから、どちらでもいいと思う。
私は、諦めが悪いから。笑
諦め悪く生きていくことに決めた。痛みを直視して、自分を見て、自分の本心や本音を守りたいと思う。それは苦しいことかもしれないけど、私はそう生きたい。ちゃんと苦しんで、ちゃんとみるほうが楽しいと思うから。
少なくとも私は、痛みをみれてる今の方が、ちゃんと痛みを感じられてる今の方が、生きるのが楽しいから。(ちなみに胸の苦しさはとれたけど、つまりは取れてない。これは時間をかけてとっていくものなんだろうなぁ〜と思っている。)
あなたの痛みに、あなたは触れてみたいと思ったりする?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?