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「川内有緒文庫」オープン!③/「バウル」とともに紐解きたい本(と映画)

※まだプラットフォームを移行できておらずに恐縮です。次回記事くらいからの移行を目指して、試行錯誤しております。

10月半ばから始めた「川内有緒文庫」、せっかくなので会期をちょっと延長しまして、次回の私のお店番日、11月21日(土)まで続けたいと思います。今なら川内さんの本が勢揃いですよ。あと2週間、ぜひぜひお越しください。

そしてここでは、前回記事に続いて、また本から本へとつなげる試みをしましょう。今回は、川内さんの本からイメージがつながる、併せて読みたいと思う本を並べてみたいと思います。

文庫版『バウルを探して』の次に、私が手にとった川内さんの本は、『晴れたら空に骨まいて』

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一行紹介では「身近な人との別れの、多様なあり方を描いた爽やかな一冊」と記しました。自分にとって大切な人を亡くしたとき、その人をどう見送るのか。それは人生のなかでも特に私的で特別に大切なときであり、それぞれに考え、納得できるかたちであっていいのではないか。それによって、亡くなった人も遺された人も、人生の最後によき結び目を設けられるのではないかーーそんなことを示唆する、5組の見送りの物語が綴られます。

葬送とは、いったい何のためにあるのだろう。その問いの根源に迫るとても深い、しかし難しさは一切なく、愛情に溢れるエピソードが並びます。さまざまなかたちがあるかと思いますが、根っこの思いはきっと、みな一緒なのですよね。

この本から感じ考えるものを、同じように深められる本として浮かんできたのが、マリー・ムツキ・モケット『死者が立ち止まる場所』でした。

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東日本大震災と、それに先立つ父を亡くしたこと。アメリカと日本の両方にルーツを持つ著者が、2つの大きな喪失の経験から、死別の哀しみと人がどう向き合うのかということについて、日本のさまざまな場所(震災の被災地から、永平寺、高野山、恐山など)を訪ね歩き、対話を交わし、体感をしながら、思索を深めていく一冊です。

弔いは、遺された人のためのものである一方で、亡くなった人も大いに語りかける。本書は、葬送という儀礼のもつ意義について、個々のケースにではなく、日本という風土に根付いた文化の、その背景にあるものを辿ることによって、その奥深さをじんわりと感じさせてくれます。

あくせく生きているとあっという間で、まもなく震災から10年を迎えます。この機会に、自分でも改めて読み直したい一冊です。

次に刊行された『空をゆく巨人』は……どんな本か、と形容するのがこれほど難しい本はなかなかありません。

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一行紹介は「世界的現代アートの作家・蔡國強と福島の“おっちゃん”が築いてきた奇跡の軌跡」。2015年の横浜美術館での展示「帰去来」のオオカミのイメージをご存知の方も多いかもしれませんが(いや、自分がそれくらいしか知らないだけかもしれませんが)、現代アートの雄・蔡國強と、福島のおっちゃんたちとの、本当に不思議な邂逅、そして実に濃密な友情の物語。何度読んでも、改めて涙を流さずにはいられません。

あまりに独特な本のため、並べるものを考えることが難しいのですが、「思わぬ人と人の出会いが、大きな動きをもたらす」という視点で、2冊ほど挙げてみたいと思います。

アン・ウォームズリー『プリズン・ブック・クラブ--コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』

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この本も、読んだときのインパクトが非常に強く、心に刻まれた一冊です。カナダのある刑務所で始まった読書会と、そこから広がった動きについて記された本です。

本・読書は決して万能ではなく、また誰もがすべきものでもないと思います。しかし、それでも本・読書というものに、これだけ人を動かし、結びつける力があるのかと、改めて深く動かされました。ささやかながら、本に関わる何事かをやってみようと思うのは、この本で知った世界のことも少なからず影響していると思います。人と人との直接の関わりの意味が問い直されているいま、ぜひ読んでいただきたい一冊です。

もう一冊は、松本創『軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』

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こちらは(も)だいぶんハードなノンフィクション。2005年4月25日、JR福知山線の脱線事故が起こりました。100名を超える死者、500名を超える負傷者を出した、交通機関の事故としては史上稀に見る大きな被害をもたらした事故で、その被害の衝撃の大きさを覚えていらっしゃる方も多いかと思います。

本書は、その被害遺族のある人物に焦点を当て、喪失の悲しみに立ち止まらず、個別の事故の根っこにあった大きな構造を変えるために行われた、静かな粘り強い戦いの軌跡を描いたものです。フィクションの物語のように、最後に溜飲の下がるエンディングを迎えるわけではありません。しかし、大団円ではなくても、心に芯を持った人物の行動が、いろいろな人を(著者もまたその一人なのかもしれません)、そして巨大な組織を、震わせ、動かしていきました。

それぞれ本としてのカラーはまったく異なりますが、人と人との出会い、そしてその絶妙なタイミングが、想像以上の物事を動かしていくーーそのような点で、いずれにも通じるものがあり、それゆえに読み手の心に強いインパクトを残すところが共通しているのではないかと感じます。

さて、最後に再び、『バウルを探して』に戻りたいと思います。

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本書については既に少しずつ触れてきましたが、これもまた、なかなか要約が難しく、また類似の本というものが簡単には思い浮かばない一冊かもしれません。

ただ、今回の「完全版」の刊行と併走するように上映が行われた一本の映画とは、まるで一対の作品のようで、ぜひともその両方を味わってほしいと思います。

その映画は『タゴール・ソングス』

アジア人で初のノーベル賞を受賞したラビンドラナート・タゴールは、ベンガル(現在のインド東部、およびバングラデシュのあたりの地域)出身の詩人で、彼が残した歌(タゴール・ソングス)は、ベンガルの人のアイデンティティともいえるものです。

映画のなかでは、年代・性別・社会的な立場もそれぞれに異なるさまざまな人が、自分の心の中における「タゴール・ソングス」について語り、そして歌として表現します。

どちらの作品も、「バウルとは何か」「タゴール・ソングスとは何か」を追い求めるなかで出会う、いまを生きる人々の物語であり、そこで得られるものは、一人ひとりのその人のなかに回帰していくーー決してまったく同じモチーフを扱っているわけではないのに、不思議な波長の一致が、この2つの作品からは感じられるのです。

そして、それはベンガルの土地、およびその文化・習慣からはずっと遠くにあって生きる私たちにも、とても自然にしみ込んできます。そこで描かれているテーマが、生きることそのものであり、普遍的でもあれば、また極めて現代的でもあるからではないかと思います。

『バウルを探して』も『タゴール・ソングス』も、このコロナ禍において、私たちのところに届くまでにさまざまな困難を経験しました。この状況下だからこそ、生きること、表現すること、何かを残すことの意味を、誰もが改めて深く考えているのではないかと思いますが、そんなときに、この2つの作品を観ると、非常に大きなものを心の中に得られるのではないかと思います。

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『タゴール・ソングス』は、全国各地で上映が行われていますが、既に上映終了となってしまっているところも少なくないようです。ただ、上映会開催についての案内もあるようなので、ご興味ある方はぜひ。本当に素晴らしい映画なので、ぜひ観ていただきたいです。

『バウルを探して』は引き続き好評発売中。各書店で、またさるうさぎブックス@池上ブックスタジオで、ぜひご覧ください。

また、昨日から、私も自分用の本を手に入れたREWINDさん@自由が丘で、『バウルを探して』の写真展がスタートしております。11月29日(日)まで。大阪、神奈川に続いて、ついに東京に展示が到着しました。ほかにも素敵な本がいっぱいのお店に、ぜひ足を運んでみてください。

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