
95歳母が自分の「受験番号」を憶えていた訳・・・
母が、高等女学校入試(昭和17年/1943年)の「受験番号」を憶えている事をnoteに書いた。
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その番号は「188番」だった。
母が、当然のように「番号」を行った時、
「おばあちゃん、受験番号をちゃんと覚えているんだ~、凄いね!」
と孫たちが言った。
母には、この「番号」だけは、決して忘れない「想い」があった。
この「番号」を受け取った母は、
「末広がり」で、縁起が良い番号だ!
と、その時に思ったのだ。
当時の番号表記は、おそらく「漢数字」で
一
八
八
確かに末広がりだ!
この「番号」に母は、「これは、合格できるぞ~!」確信に近い気持ちを得たのだ。
さらに、同じ小学校から受験したお友達の「受験番号」まで、母は憶えていた。
その番号は、「123番」だった。
母は、この番号を
「1!2!3!」で、勢いがあって「イイ番号!」と思ったそうだ。
だから、お友達もきっと「受かるな~!」って思ったと、母は言った。
確かに、そのお友達も、みごと合格した。
私自身、これまで、「受験」は経験してきた。
でも、自分の「受験番号」を、母のような視点で、受け止めることは無かったな~
私の世代は、そもそもが「漢数字」で表記はされない。
「漢数字」には、私たちが日常的に使っている「算用数字」にはない奥深さがある。
ただ「数」を表すだけでなく、漢字としての「読み方」も多様だ。
母の中で記憶されている「番号」は、「188」ではなく、きっと「一八八」なのだろう。
上記に張り付けた記事の中で、マレー半島の「運河」の名前を母が、思い出せない事を書いた。
後日、母に確認したら、この記事に書いた通り「ジョホール水道」のことだった。
私から「ジョホール」という「ワード」を言う前に、母自身が、自力で思い出していた。
でも、記憶の「巻き戻し」には、やはり時間が、掛かったようだ。
母を見ていると、
もし「戦争」が無かったら、「違う人生」が、あったのかもしれないと時々、私は思う。
個人ではどうにもならない、その時代の「不条理」を乗り越え、母は、ひょうひょうと施設で、日々を過ごしている。
それだけ、歳をとったのだろう。
相変わらず、施設の食事は美味しくないし、入浴はゆっくりできないと、会いに行く度に、私に、母は話す。
それでも、与えられた場所で、朗らかに過ごしてくれる母に、私は、感謝している。
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