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児童文学作家「中川李枝子さん」と「都立高等保母学院」と、ちょこっと「母」のこと~そして、私が譲れないこと


自宅から歩いすぐの所にある小さな「図書館」に、暑い毎日、でも、なるべく「エアコン代」を節約したい私は、「本」を読みに行く。

「子どもの本のコーナー」に、子育て関係の「本」も置いてあって、以前から、ゆっくり読みたいと思った。


先日「中川李枝子さん」の著書「ママ、もっと自信をもって」という本を読んだ。

中川さんは、絵本「ぐりとぐら」シリーズや、「いやいやえん」などで有名な「児童文学作家」だ。

「著書」といっても元々は、「書籍」として出版されたのではなく、
日経DUAL」に連載されていた「インタビュー」をまとめた「本」のようだ。

この本には、中川さんの「自叙伝」のような内容が、含まれていた。

この本の「出だし」に、


「都立高等保母学院」を卒業し、保母(保育士)に成るべく「熱い思い」をもって、仕事を始めたことが書かれていた。

東京都立高等保母学院卒業を控えた私の目標は、
日本一の保育士になる事でした。

日経BP社 2016年4月第1版第1刷発行「ママ、もっと自信をもって」


以前、「noteの記事」に書いたように、私の母も「都立高等保母学院」の卒業生だ。


「社会人」をやってから、入学している「母」と「中川李枝子さん」との年齢差は「6歳」あるけれど、家に保管されている「卒業名簿」を調べてみたら「学年」は、母が「1つだけ先輩」だった。

この学校は、元々、東京都墨田区の「保育園の2階」に「間借り」する事から始まっている。

昭和23年(1948年)7月26日、保母を養成する施設として、厚生大臣の指定を受け、同年11月17日墨田区みどり町4丁目15番地(現在の墨田区立江東橋保育園2階を使用)に 東京都立高等保母学院として、学生50名で開設

東京都練馬高等保育学院同窓会 刊
同窓会名簿(1995年4月現在)より

その後、移転し、母が通っていた頃(昭和28-30年)、この学校は、高樹町辺り(旧:東京都港区笄町181番)にあった。

そして、1968年、東京・練馬区に移転し、名称も変わり、様々な変遷を得て、1996年に閉校するまで、そこに所在していた。

母が、この学校に進学した「志望動機」は、学費が「無料」であった事、さらに当時のお金で、月500円の「お小遣い」をくれるという事だった。

※「お小遣い」というのは、「交通費」という意図だと思います。
※今の金額で換算すると「1万円に満たない額」だと思います。


母は、本当は「保育」ではなく、「学校の先生」になりたかったようだ。

社会人として、働きながら貯めたお金で「進学」しようと、当時「明治大学」の受験を志望していた。
ところが、「願書」まで、取りに行ったにも拘らず、家族に、反対する者がいて、「受験」することを諦めた。

この「大学進学」が叶わなかったという「経緯」があって、母は「保母学院」を受験した。

そんな母は、後に「自分は、保育では、ないなぁ~って、勉強してみて思ったのよね」と言った。

一方、中川李枝子さんは、「保母(保育士)」になるという「熱い志し」を持って、この学校に入学したのだというのが、本を読んで伝わってきた。

彼女が、通われていた高校には、大学が併設されていたけれど、そちらへの「進学」ではなく、わざわざ「高等保母学院」を選んでいる。


児童福祉法と同じ年にできた保母学院の先生方は、児童の権利を守る意欲に燃え、授業は刺激的でした。戦前・戦中・戦後の困難な時代、恵まれない子ども達を守り抜いたつわものぞろい。

日経BP社 「ママ、もっと自信をもって」
「本の影響で保育士を目指す」P69からの引用

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この文章を読んだ時、さんざん母から聞かされた「保母学時代」の話が、私の中で重なった。

・「児童福祉法」「児童憲章」に基づいて「保育」は行われる
・大人を、単に小さくした人間が、子どもではない
・子どもは、大人とは、心理学的にも違う存在

母は「高等保母学院」で「学んだ事」としてを、この3つを、いつも口癖のように言っていた。

「児童福祉法」だけでなく「児童憲章」などの、「子どもの権利」を守るための「社会の骨幹」、そして「子ども」という「特異性」を、「つわものぞろい」の先生方から、叩き込まれていることが、母の話からも分かるのだ。



私は、noteに、批判的な内容の事を、書くことは、控えている。

でも、これだけは、「譲れない事」として、

「子ども」という「存在」に対する今の日本社会の「無知」と「リスペクトの無さ」を、あえて私は、批判したい。

ここ数年、国や都の「子育て支援」という名の元に行われてきた「待機児童対策」が、とことん「資本主義的思考」に基づいた「経済優先」の「質の悪い」ものになってしまったと言わざるを得ない。


「規制緩和」によって、都内では、街中のビルにも「保育園」ができるようになり、「園庭」が無い「保育園」が増えた。

2歳児を「散歩」と称し、「自動車」や「自転車」が、走る道を通って「公園」に、集団で連れていく。
こんな危険な「リスク」を冒してまで、集団で遊びに連れて行かなければならない。

そんな「保育」が、当たり前のように行われている。
「保育士」の「疲弊度」は、半端ないだろう~と思う。

「保育」が、「経済」を回すための一コマを担っている。

その結果、子どもの情緒を「豊かに育む」どころか、そこにあるのは、「お客様(保護者)」を相手にした「保育サービス」であり、「保育ビジネス」だ。

それによって、「親側の意識」も変化している。

この10年ぐらい、私は、仕事で「子ども」に関わってきた。

その中で、自分は「子ども」のためではなく、「保育ビジネス」に「加担」し、逆に子どもを「追い込んでいる」のではという「自己矛盾」を感じるようになった。

この「保育ビジネス」が成り立つ要因は、「国」あるいは「地方自治体」の「子育て政策」だけではなく、社会のありとあらゆることが、背景にあるのは、承知している。


保育士が不足しているからと、「無資格」でも「保育園」で、仕事ができる様になり、「例外」はあっても、「無資格OK」を保育士を「募集」する時点で、謳うようになった。


それは、当選してから「今から、いろいろ勉強させて頂きます」な~んて
馬鹿な事を言っている「国会議員」と変わらない。

「国」や「政府」がやっている事だから、

なんとなく「正し~」

ような「感じ」がするけれど、

明らかにおかしい。


戦後間もない「母の時代」は、「保育」を学べる「学校」が、少なかったという「社会事情」はあったと思う。

だから東京都は、既存の「保育園」に「間借り」をして、早急に「学校」を創ったのだ。

そこで感心するのは、「学費」を「無料」にしてまで、「質」の良い「保育者」を育成する事を目指していた事だ。


しかし残念なことに、現在「行政」によって行われている事は、逆に「保育の質」を下げている。

「無知」からくる「発想」が、あまりに「安易」なのだ。

そんな中、現場の「保育士」が、「保育の質」を下げないための「負担」を、一手に引き受けている。


中川さんの「本」に、心から「ホッとする」気持ちになったけれど、

逆に、今の社会が、「保育」という分野、さらに「子ども」という存在を、「馬鹿にしている」という「怒り」が、「幼児教育」を学んだ自分の中に沸き上がった。

これまでの「変遷」を振り返り、今の社会の「システム」を作っている「大人」の責任として、子ども達のために、私は、本気で何ができるのだろう。

「浪江・子どもプロジェクト」を一緒にやっている友人たちと、なかなか「結論」が出ない「話」をいつもしている。


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