<還暦編1>60歳の私が少女だった頃の彼とのその後~そして実家に住む
私が55歳の時、父は亡くなった。実家に、高齢の母が一人になった。私は実家に移り住み、母と一緒に暮らすことにした。そのために仕事も変えた。
結婚が早かった私は、「お産」や「子どもの夏休み」とかに、実家で過ごすことはあったけれど、自分の生活の拠点を実家に置くのは、ほぼ学生時代以来だった。母も、大人になった娘と一緒に暮らすことに慣れていなかった。最初は、お互いやりずらかった。
「母の無神経なセリフ」で、気がついたことがあった。
私は、既にこの人生の中で、多くの経験と学びを得、娘たちとも様々な出来事を共有し、十分に満足のある人生を送ってきた。ところが、母は、自分の娘が、人生を謳歌していることを理解していない。
誰でも、結婚生活や子育ての中で、大変な時は愚痴も出る。私が、ちょっとでも、これまでの生活の愚痴を言おうものなら、「だから、結婚に反対したのよ~」とか母は言ってくるのだ。確かに、私は親が反対する結婚を選んだ。
さらに、彼のことを持ち出してくるのだ!
実家にいる娘の私をまだ二十歳だとでも思っているのか~という感じで、「あの人と結婚すると思っていたから~、なんで結婚しなかったの~」とか、何十年も前のことを蒸し返してくるのだ!
今に始まったことではない、これまで40年の歳月の中で、母はこのセリフを何度も私に言った。
さすがに、還暦を前に私は、母に叫んだ。
「確かに、私は、親に迷惑をかることもあった。そして、たくさん支えてもらったことを感謝もしている。だけど、私は、この人生でホント~~に良かったと、心から思っているのよ~!なんの後悔もない!」
私は、言い切った!
でも、ふっと思った。この「母の無神経なセリフ」で、私は、この人生が気に入っていることに気がついたのだ。
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私のこの人生を、母は、絶対に理解できない。改めて自分の人生を振り返ってみると、実際、大変ことばかりだった。娘たちも、ちゃんと成人したけれど、親として納得のいくことばかりでは無い。こんな私の人生を、母が、理解できるわけがない。
全てが揃っていて、何不自由なく、守られて育ってきた私が、「自分はこのままで、本当に幸せになれるのだろうか」と思うようになった。それでも未知の次元に進むのは怖くて、葛藤していた二十歳の自分を思いだした。
彼から言われた「言葉」を思い出した
むかし、「おまえは、親と自分の人生と、どっちが大事なんだよ!」と彼が叱責するように、私に言ったことがあった。
たぶん、私が、何気なく「親が喜ぶ人生が、自分の人生だ」みたいなことを言ったのだと思う。それに対して、彼が「それは違うだろ~!」と憤ったのだ。でも、当時の私は、彼の「言葉の真意」がわからなかった。
でも結局、私は、彼の「言葉の真意」の通り、自分の人生を選んだ。周りからはそう見えなかったかもしれないけれど。
もし、彼と結婚していたら~実家に住みながら、私は、思い巡らした。
もし、彼と結婚していたら、私は、この人生を手に入れることが、できたのだろうか。
私が彼と結婚していたら、きっと息子思いの彼のご両親は、「夫して未熟」な息子を全力でサポートし、私たちの結婚生活を支えてくれたのかもない。私の親も、彼との結婚なら、若くても反対しなかったかもしれない。
だけど、そんな生活の中で、果たして私は、「自分の人生」を手に入れることができたのだろうか。
きっと、それは「私の望んだ道」では、なかったのだ。
還暦を前に、実家に住むことになった私は、「母の無神経なセリフ」に怒りながらも、様々なことに思いを巡らし、自分の人生に感謝の気持ちを持った。
<還暦編2>につづく