「NATO軍の空爆」と聞いて「三女のトイレトレーニング」を思い出すワケ~
先日、たまたま読んだブログで、テニスのジョコビッチ選手が、ワクチン未接種に関連してオーストラリアからビザを取り消された時のインタビューで、「セルビア内戦の時にNATO軍( 北大西洋条約機構)がコソボを空爆したことに触れていた」と書いてあった。
その頃の「私の生活」は~
1990年代、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの内戦にNATOが軍事的介入をしたり、ミロシェヴィッチの登場により、コソボが紛争へ向かっていた頃、私は、三女の「トイレトレーニング」をしていた。(三女は、1991年生まれ)
三女には、既に「小学生」だった「二人のお姉さん」がいた。長女とは9歳、次女とは6歳、離れていてる。
「二人のお姉さん」が学校に行っている間は、三女は、私と二人きりで「トイレトレーニング」に集中できた。時間を気にしながら、私が「トイレに連れていくこと」が出来たので、その時間帯は、どうにか失敗なく過ごせていた。
しかし、「二人のお姉さん」が学校から帰ってくると、私のアンテナは、一気に「お姉さん二人」に向く。
特に忙しくなる「夕方から夜の時間帯」は「トイレに連れていくこと」を私が忘れ、気がつくとお漏らしをしてしまっていた。
この頃「パンツ型オムツ」が出だした。
それまでの「トイレトレーニング」は、トレーニング用の「布製の厚め」の下履き(パンツ)があって、それを使っていた。でも、オムツではないので、漏れることが多かった。だから「パンツ型オムツ」の登場は、画期的だった。
布製の下着で失敗すると、当然、濡れてしまうわけで、三女は、そのことが嫌で、「ぷーちゃんがイイの~」と、わざわざ私の所に、履き替えさせてくれといわんばかりに、「パンツ型オムツ」を持ってきた。
(※「ぷーちゃん」とは、「パンツ型オムツ」のことです。)
性能の良い「パンツ型オムツ」は、おしっこをしても、直ぐに履き替えなくても大丈夫な、とても便利な素晴らしい商品だ。
しかし「パンツ型オムツ」に頼っていると、いつまでも「オムツがとれない」ので、ある日、私は、三女に「宣言」した。
「もう、ぷーちゃんは、使いません!ちゃんと、おトイレでやるのよ!」
私が、少し「圧」を掛けた言い方で、三女に申し伝えたせいか、彼女は、「ママは本気だ!」と悟ったようだった。
三女自身も、今度は、お気に入りの「ぷーちゃん」は、使えないと思ったのか、「おトイレに行かなくちゃ~」と気にしながら、日常を過ごすようになっていた。
2歳を過ぎた頃から、体力が付いてきて、三女は「お昼寝」をしなくなっていた。ところが「お漏らしをしてはいけない」という「緊張疲れ」なのか、私の「宣言」以来、再び「お昼寝」をするようになった。
電話で言われた「母の言葉」
ある日、母との電話で、私は、三女の「オムツトレーニングの近況」として「緊張疲れから、お昼寝をするようになった」と伝えた。
すると母が
「何言ってるの!
だから、今の若い母親は、ダメなのよ~!
今、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの子ども達は、いつNATO軍の爆弾が落ちてくるのか、わからない中で生活しているのよ~!
それを思ったら、それぐらい、緊張させておきなさい!」
と、憤慨した。私は、まだ「若い母親」だった。
当時のテレビニュースで、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの小学生ぐらいの女の子に、「もしNATOの空爆が始まったらどうする」というインタビューをしていたのを観た記憶がある。
そして、アンネ・フランクと「同じ歳」の母は、戦時中「空襲の経験」がある。
アメリカの空襲のターゲットが「一般市民」になってからは、毎晩、空襲に備えて「靴を履いたまま」寝ていたと、母は話す。そして、B29が落とした「焼夷弾」で自宅が焼失した「経験」も母は持っている。
だからこそ、1990年代当時の「ボスニア・ヘルツェゴヴィナの子ども達」と自身の経験が重なったのだろう。私には「自分の住んでいる家の上から爆弾が落ちてくる」という経験は無い、「想像」すらできない。
そんな「母の時代」を思ったら~、
しかし、たとえ「空襲」がなくても〜、どんな時でも子どもに「緊張感」を持たせる事は大事だ。
子どもだって「緊張感」が無ければ、自分で「身の安全を確保」することもできない。ボ~っと歩いていたら、危険が、いっぱいだ…
最近の「ウクライナ情勢に関連したNATOのニュース」を聴いて思う事
私の中で、「ウクライナ」という国名から思い浮かぶのは、ウクライナの民話「てぶくろ」というお話だ。図書館や幼稚園なら必ず置いてある「絵本」だ。
私も、幼稚園勤務をしていた時、年少クラスの子ども達に読んだ記憶がある。この絵本を読んだ時、「私この絵本、好き~」といっていた園児の顔が、今でも浮かぶ。子ども達も大好きな「絵本」だ。
森の中に落ちていた手袋の中に、動物たちが入る。最後は、クマまで入るという愉快なお話だ。
日本の多くの子ども達が、知っているお話だ。
この「絵本」を子ども時代に読んだ「大人」も、そして今、この「絵本」を読んでいる子ども達も「ウクライナ」には、いるのだろう。
どうか「外交」が上手くいって「平安な社会でいられますように」と願わずにはいられない。
自分にできる事
ヨーロッパやロシアで「起こっている出来事」について、私は、詳しく解説が出来るわけではない。しかし「情報」だけは、キャッチできる。
昨年11月、ベラルーシとポーランドの国境に、難民が押し寄せた時のニュース映像を観ると、その中にまだ「オムツをしているような子ども」も写っている。寒い中、野宿を強いられている様子には、胸が痛むばかりだ。
政治的混乱の中にある国は、今、この時も、世界中にたくさんある。アフガニスタン、ミャンマーもそうだ。この混乱の中に「子ども達」がいるのかと思うと、一体どうしたらイイのだろう~とひたすら「無力感」に襲われる。
でも、そんなことは言ってられない。たとえ、その国の人たちに、直接「何か」ができなくても、自分の日々の生活の中で起こる「出来事」や目の前にいる「人」に「愛を持って向き合う事」しかないのだと、私は結論づける。きっと、そのことが「微力」であっても「全てに繋がっている」と信じている。
再び「NATOの軍事介入に関するニュース」を見聞きするようになり、90年代にボスニア・ヘルツェゴヴィナで起こった出来事と共に、あの「母の言葉」を思い出す。