「ばあば、聞いてよ~」と、高校生の孫息子が、私に言ってきた。
4月から、孫息子の「高校生活」が始まった。
全てが、新鮮で、何だか毎日、楽しそうだ。
ある日、学校から帰ってきた孫息子が、
「ねえ~ばあば、聞いてよ、俺さ~、この前、初めてお弁当、残したんだよね。」
と私に言ってきた。
孫息子は、中学の3年間「給食委員」をやっていた。
「給食委員」とは、「学校給食」の意義を知り、食べ残しがでないようにすることが、仕事らい〜。
そんな事から「食事は、残さず食べる」を、モットーにしていた彼にとって、高校生になって「学校給食」に代わり、「お弁当」になったとはいえ、食べきれなかったことが、ショックでもあったようだ。
傍からしたら、たわいもない事
だけど、だけど、私にとっては、「ばあば~聞いてよ」と言ってきたことが、以外で「驚くほど」嬉しかった。
女の子の孫は、「ばあば、こっち来て~」とか「ばあば、あのね~」とか、向こうから言ってくる。それに引き換え「男の子って、自分からおしゃべりしないよね~」って感じだ。
「学校は、どうなの~?」とか、私から聞くと、話してくれるけれど、自ら「近況報告」は、私にしてくれない。(ママには、するのにね。)
その彼が、自分から、「ママ」ではなく、わざわざ私を「名指し」して「ばあば」である私に「聞いて欲しいこと」があったことが、嬉しかった。
たかだか「お弁当を残したよ~」なんて、ささやか過ぎて、ど~でもイイ事かもしれませんが・・・
「ばあば、聞いてよ~」と言ってきた時、「私の存在」をこの子は、ちゃんと受け入れてくれていて、私なりにやってきたことが「少しは伝わてるんだ~」と思うと、涙が出るぐらい嬉しかった。
私が「孫息子の家」に行くようになるまで
私の娘(長女)は、結婚しないで、息子を産んだ。
ずっと息子と二人の生活を送ってきている。
孫息子が生まれた時のことをこの記事で、ちょこっと書いています。
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その孫息子が中学1年の夏休みごろから、宿題を持って、私のところに来るようになった。(正確には、来させられたんだけど…)
そもそも、夏休みとか「長期お休み期間」は「学校給食」が無く、孫息子の「食事の事」がいつも心配だった。
それもあって、夏休みは、私の所に来るように言ったのだけれど、本人は、家事が行き届かない「散らかった自分の家」の方が「居心地」がいいようだった。
その後「私が住む街」の駅前にある「塾」に、毎週土曜日、孫息子は通うようになった。「孫息子が住む街」から「電車」で乗り換えもあるけど、毎週、彼は通ってきた。
この流れで、土・日は、私の家に泊まり、日曜日の夕食を済ませた後、「お弁当箱」に詰めた「月曜日の朝食」を持たせると、孫息子は自宅に帰っていった。
ところが、コロナ禍で、母親(私の娘)が、高齢のおばあちゃん(私の母)がいるところ(92歳の母と私は同居している)に、息子を泊まらせるのは、何かあっても責任持てないし~心配だと言い出した。そのため「塾」はそのまま通うけれど、私の家には泊まらなくなった。
そうなってから、私は孫息子の「塾」が終ると、駅前で「待ち合わせ」をし、夕食の「惣菜」を渡すようにした。そして、家に帰る孫息子を、毎週土曜日、駅の改札で見送った。
そんなことが、何か月か続いた。
ところが「中2の春休み」、通っていたその「塾」が、突然、閉鎖することになってしまった。
すると、それを機に、毎週土曜日の「孫とばあばの恒例行事」は、無くなってしまった。
たとえ「15分」でも、孫息子に毎週「会えること」が、楽しみだった私は、ショボン(´・ω・`)となった。
そして「新学期」が始まり「中3」になった孫息子。
「高校受験」もあるのに「どうするのだろ~」と心配しながらも、しばらく会わない日が続いた。
この時期、娘親子は、以前から予定していた「引越し」をした。
「引越し先」は、同じ地域で、孫息子が通っている「中学校」の直ぐ側だった。この「引越し」が終り、少し落ち着いた頃から、孫息子は「地元の塾」に通いだした。
そして、「中3の夏休み」がやってきた。
コロナ禍でも娘の「会社」は、リモートに切り替えることが無かった。娘は、通常通りの出勤をしていた。
「学校給食」が無い夏休み、食べ盛りの彼の「食事」が、どうしても心配だった私は、この頃から、毎週土曜日、今度は「孫息子の家」に私が行くようになった。
孫息子の「部屋」と「洗濯物」
実際、「孫息子の家」まで行ってみると、「引越しの片付け」は、まだ終わっていないような状況だった。
さらに「食事」だけではない、「洗濯物」も、すごいことになっている。
私は、子どもを3人育てたけれど、「男の子」を育てた経験は無かった。自分の娘たちが「中高生の時」も、部屋は散らかっていたし、汗臭い体操着を持ち帰る事はあった。
しかし「男の子の部屋」と「洗濯物」は、自分の娘たちの時とは、全く違う。
「女の子の部屋」は、髪を梳かし(とかし)たりするので「髪の毛」が、とにかく落ちている。私はよくそのことを、娘たちに口うるさく怒っていた。
ところが「男の子の部屋」は、「髪の毛」は落ちていない代わりに、何故か「砂利」のようなものが落ちている。この「砂利」は、どこから来るのだろう~謎だ。
さらに孫息子の「洗濯物」は、洗濯しても「フローラルの香り」がしてこない…どうしてだ~??
孫息子の家にある「洗濯洗剤」は、「除菌・消臭」がメインで3種類ぐらい置いてあった。娘に聞くと、「とりあえず全部入れて洗って」と言うので、そうしている。
孫息子は、小学生の頃から「ヤングケアラー」とまではいかなくても、自分の「洗濯物」は、自分でするように母親から言われてきた。
日常的な事を「やりに行ってあげたい」と思っても、なかなかそれができない状況が、ずーっと私に続いていた。
仕事と日常に「疲弊している母親」に、孫息子は、日常の頼みごとを殆どしない。
その彼が、ばあばの私に「これ、洗っといて!」と言って「洗濯物」を頼んでくる!!
基本、土曜日に行くので、孫息子が、学校から持ち帰った「体操着」や「給食着」を私に渡してくる!
この時に、なんとも言えない「至福」を、私は感じるのだ。
私の人生は「幸せだな~」と感じる。
自分の存在が、彼にとって「甘えられる場所」になっている事が、本当に嬉し。
「ばあば」という「存在」に対して、幼かった孫息子が、持っていた「認識」
娘は、一人で息子を産んだ時「実家は頼らない」ということを子育ての「軸」にしていた。
そんな感じで育った孫息子自身も、幼いながら「自分には、ママしかいない」と思っていたはずだ。(今でも、そうだと思う。)
ある時、
「もしお母さんに何かあって、お子さんを『泊り』で預けなければならなくなった場合、この時に初めて預けられるよりも、普段から行き慣れている場所に泊まった方が、子どもの負担が少ない。だからそういう場所は、作っておいた方がイイ」
と保育園の先生から、娘が言われた。
先生のこの「アドバイス」以降、保育園に「私の存在」を娘は伝た。そして時々、息子を私の所に預けるようになった。
これが、いつ頃だったのか、はっきり覚えていないけれど、孫息子は、すでに少しずつ言葉を理解しだした頃だった。
記憶を辿ってみても、彼が赤ちゃんだった頃、私は殆ど関わらなかった。
だから、幼かった孫息子にしてみれば、「ばあば」という存在は、突然現れた感じで、自分のママに紐づけられた「身内」という認識を、当時は、持っていないかったと思う。
私に「甘える」ということが無かった孫息子に、私は、そう感じていた。
私は「ばあばとして認識されているのだ」と「確信」した日
「東日本大震災」が起こった日、東京もかなり揺れた。
この時、4歳だった孫息子は、保育園だった。
保育園の場所は、当時、私が住んでいた家から近かった。
私は、急いで保育園まで、孫息子を迎えに行った。
いつも「お昼寝」をしているホールの中央に、先生たちと一緒に「円陣」を組むように、子ども達が固まっていた。
私が、ホールの「入り口」に行くと、孫息子は、私の顔を見るなり、「円陣」から、パーっと独り離れて、私に掛け寄ってきた。
私の顔を見て、孫息子は安心した様子だった。
「怖かったね~、ばあばのお家で、ママを一緒に待とうね」と言って、孫息子を連れて家に戻った。
私は、この日の事が、忘れられない。
それまで、私に対して「身内という認識」を孫息子が持っていないと感じていた。
でも、この時、この子は「私を『ばあば』なんだ」とちゃんと「認識」しているんだと、初めて「確信」したからだ。
孫息子の「これから」に思うこと!
そんな孫息子が、中学生になってから「関われること」には、関わりたくて、この数年、私はやってきた。
私の家に「泊まり」に来ていた頃、、日曜日の夜、自宅に帰る孫息子を「駅前」まで送った。私は、孫息子がいったい「何を考えているのか」、「何を思っているのか」話が聞きたくて、一緒に夜道を歩いた。
ある時、彼がこう言った。
「自分は、ママがいなかったら、生きていけないと思う。」
私は「こんな家、大きくなったら絶対に出て行くだ~!」みたいなことを言うのかと思っていた。
そう思ってもおかしくない「家庭環境」だ。
孫息子は「ママ」を頼りながらも、幼い時から「彼の母親」である「私の娘」を健気に支えてきてくれた。
私は、それをわかっている。
私が娘を育てていた時を振り返り、行き届かない不十分な親ではあったけれど…「全身全霊を込めてやってきた」という自負を私にはある。
「世界で一番、この子を愛しているのは私だ~」という思いの中、母親として娘を育ててきた。
でもきっと、今は、違うんだ。
娘に対する「私の思い」よりも、「孫息子の思い」の方が、もしかしたら「愛なのかもしれない」と思う時がある。
16歳になった孫息子は、この先、「唯一の家族」である「大好きなママ」から離れて、いつか「自分の人生を選ぶ時」がくるはずだ。
その時には、ママのためではなく「自分のための人生をちゃんと選びなさいね!」と、孫息子に絶対に言うんだ!とその「タイミング」を、私は今から狙っている。
※長々と書きました。最後まで、読んでくださって、ありがとうございます。
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