子育てに「成功・失敗」は無いっていうけど~今頃「自分のエゴ」に気付く私・・・
子育てもすっかり終わってしまった最近になって、自分は本当に「未熟な母親」だったのだと、思い知らされる事があった。
私は、21歳で出産し、「若いお母さん」をやってきた。
長女にとっては、本当に「若いママ」だった。
「赤ちゃん」だった「長女」を連れてバスに乗った時、隣に座った小学生の男の子に
「おばちゃんの赤ちゃん?」と話しかけられて、「そうよ~」と答えると、
「おばちゃんは、お母さんなのに、どうして、お姉さんなの・・・??」
と言われたことがある。
見るからに「若いママ」だったのだ。
そんな「若い母親」に育てられた「長女」は、現在40歳を過ぎた。
長女は、高校卒業後、「女子大」に進学した。
最初の1年は、サークル活動もしながら、大学に通っていた。
しかし、2年になると殆ど大学に行かなくなり、その後「退学」した。
実際は、大学から次年度の学費未納の連絡があり、「行かないので払いません」と、私が学校に伝えた。
その後、「短大」に入学、それも1年で辞めたのだ。
ある日、「三女」が、私の家に来た時、
「なんで、お姉ちゃんは、短大まで辞めちゃったの?」と聞いてきた。
「三女」と「長女」は、「9歳」離れている。
「長女」が、大学生になった頃、「三女」は小学生だった。
だから、当時「長女」が、短大を退学した事など全く知らず、だいぶ最近「うちのお姉ちゃんは、短大を卒業しなかったんだ~」と、「三女」は知ったらしい。
考えてみたら、当時、「長女」本人に「辞める理由」を私は尋ねなかった。
三女から、尋ねられて、「何故、短大を辞めたのか」私も、「理由」をわかっていないことに気が付いた。
「短大」を辞めた「理由」を聞いてみる~
「父の命日」が近い土曜日、仕事が休みだった「長女」を誘って、二人で「お墓参り」に行った。
その帰り、車の中で聞いてみた
「なんで、あの時、短大を辞めようと思ったの?」
すると、彼女が、「ん~」と考えながら話し出した。
「どうしても1年生で取らないといけない単位を一つ落としたんだよね~
その時、先生に相談したんだけれど、留年するしかない事が分かって、
もういいや~って思ったんだよね。」
長女が在籍していたのは「造形科」で、「作品」を提出することで単位を取っていく。ところが、彼女は、「作品」を作り始めると、納得するまで作りたくなり、「提出期限」が守れなかったのだ。
どんなに素晴らしい作品が出来ても、「提出期限」までに、提出しなければ「単位」は、貰えない。
長女の話を「うん、うん」と運転しながら聞いていると、
「今から思うと、たぶん・・休みたかったんだよね~」
と言った。
あの時、実家で、何もしないで居させてもらえて、気がすむまで、休んで良かったら、「本当にやりたいと思う事」を見つけられたかもしれない。
彼女が、そう言った。
長女の中にあった「夢」
高校生の時、長女は、「フィリピン」に行く機会があった。
その時、「フィリピンの大学」には、「影絵」を専門に学ぶ「学科」がある事を知り、興味を持ったけれど、「フィリピンの大学に行きたい」なんて、唐突に言っても、周りの大人(親、先生)から、「何言ってるの!」と言われるのでは~と思うと、口にも出せなかった。
結局、長女は、高校卒業後、とりあえず「女子大」に進学したのだった。
彼女の中に、様々な「葛藤」があった事は理解していたけれど、親として、どうしたらイイのか、当時の私は、全くわからなかった。
とにかく、高校卒業後は、「進学」しか頭になかった「固い頭」の私は、大学を辞めた後、今からでも間に合う「進学先」を探すことしか、考えられなかったのだ。
だから「短大の受験」も、私が勧めた。
そんな頃、当時アメリカに住んでいた叔母(私の姉)が、アメリカにある宝石を学ぶ学校「GIA」(当時は、日本では全く知られていなかったが、現在は日本支部がある)の資料を、長女に渡してきた。
長女は、小さい頃から「宝石」が好きで、新聞の折り込みに「宝石店のチラシ」があると、「指輪の写真」を一つずつ細かく切り、「お菓子の箱」にコレクションしていた。
長女は今まで、様々な仕事に就いてきたけれど、現在、「ジュエリーショップ」で仕事をしている。
「国家資格」では無いけれど、「ジュエリーコーディネーター」の資格も、長女は持っている。
「宝石業界」において、「GIA」の権威が、世界的に認められている事を知っている長女は、「なんであの時、アメリカに行かなったんだろ~」と、何度か私に話してた。
大学を辞めた後、直ぐに「短大」に行かず、飽きるまでボ~っとしていたら、何かやらなきゃ!っと思って、アメリカまで行ったかもしれない、そう話す長女に、
「親」って、本当に自分の「子どもの事」を、わかってない・・・・
自分は、とんでもなく「余計な事をしてしまった」と、彼女の話を聞きながら、なんとも言えない気持ちになった。
遅かった~「モモ」に学ぶ
私の愛読書「モモ」は、本当に大切な事が、いっぱい書かれている。
私は、この本を、大人に成ってから、読んだ。
しかも、けっこう最近・・
50歳過ぎてからだ・・
「長女の話」を聞いて、この「お話」の一つの「場面」がリンクした。
「時間の国」にいるマイスター・ホラから「言葉が、お前の中で熟しきるまでには、長い時が必要なんだ」と言われ、モモは眠り、その後、時間泥棒「灰色の男たち」と、闘う「勇気」を得ていくプロセスが、物語の中に書かれている。
20歳の頃の「長女」には、こんな「時間」が必要だったんだ。
今まで私は、全く「逆な事」を思っていた。
「長女」が通った「短大」は、当時の自宅から「車」で10分ぐらいの場所にあった。だから、過保護と言われてもいいから、私が、車で送迎してでも、「卒業」できるように、引っ張ってでも「行かせるべき」だったのではないか・・・ずっと、そんなふうに思って来た。
でも、違うんだ。
私は「親のエゴ」を、「親の役目」だと勘違いして、我が子の持つ「種」を、「発芽」する前に「土」から出してしまったのだ。
まだ「発芽」の準備が出来ていない「種」が埋められている「土」を、ほじくって、「芽」を出そうとしている事を、邪魔したのだ。
私は「親」として、いったい何を考えていたんだろ・・・~
私が「親」としてやるべきことは、彼女が自分で道を見つけ、先に進めるまで、何も言わずに、じっくり待ってあげる事だった。
不安と闘いながら、自分の道を進む「勇気」を、本人が持てるまで、なんで、私は、待ってあげれなかったのだろう・・・
20年前、私は「親」として本当に「未熟」だったんだと、「長女の言葉」を聞いて、思い知らされた。
娘に、自分の「エゴ」を押し付けていたことに、20年経ってようやく気が付いた。
親子関係は、続くよ~どこまでも~
この「気付き」に、結構ショックを受けた私は、「次女」に電話した。
すると
「でも、当時、仕方がなかったと思うよ~、
私は高校生で、大学受験前で、
下の妹は、まだ手がかかる小学生だったし・・・
お母さんが、お姉ちゃんの事に取られていたら、
私たちが、放っておかれたと思う。」
う~ん、確かに・・・
そう言ってもらえて、少し気持ちが、治まった。
さらに「次女」が言った。
「40歳になった今だから、そうやって分析できるんであって、
当時は、本人も、よくわからなかったんだよ・・」
その後、シングルで子どもを産んだ「長女」は、息子を育てながら、今日まで人生を模索し続けている。
私は、未だに「長女」のことが、よく分からない。
それでも、
彼女が「自分の人生」を手に入れられる事を願いながら、
40歳を過ぎた娘に、
母親として、心の中で「エール」を、いつも送り続けている。
※長々とかきました。最後まで、お読み頂きありがとうございます。
※「モモ」岩波少年文庫(訳:大島かおり)から引用しています。
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