運動への苦手意識をもつ子どもが輝く運動プログラムを考える 〜子ども運動チャレンジ教室を視察して①〜
「苦手な子が輝く運動会」このキャッチフレーズに惹かれました。
そして、その苦手な子たちがキラッキラの笑顔で、「自分を見て!」と言わんばかりに一生懸命に身体を動かす姿が、終始、会場に溢れていました。
運動が苦手な子にとって、学校での運動会は気が重い行事・・・。周りの仲間よりも能力が劣ることが晒され、劣等感を抱きながら、自己肯定感がずたずたにされる…、そんな否定的な見方をしている子どもも一定数いるのではないかと思います。運動会を否定的に捉えている子どもやその保護者にとっては、参加を決意するに至るまでに、いろんな葛藤や親子間の心の駆け引きがあったのではないでしょうか。
参加を決意すること自体に意味がある
参加者募集のポスターには「楽しく、苦手な運動を克服しよう」とか、横断幕には「運動が苦手な子、集まれ!」と表現されています。敢えて「苦手」というワードを用いて、このような教室を地域で開くということの意味はとても大きいと感じました。
それは参加を決意する子ども自身が、「自分は運動が苦手」という自分の中のマイナス要素から目を背けず、劣等感を乗り越えて負の自意識をオープンにするからです。参加することを決断する時、また会場にいる参加者の子どもたちや先生たちと初めて顔を合わせる時など、心の中で何らかの葛藤を乗り越える経験をしていると想像できます。
参加した子どもたちのほとんどが保護者に参加を勧められた場面があると思いますが、保護者から勧められたその瞬間には、極端に言えば「あなたは運動が苦手でしょ」と言われているように感じるかもしれません。そこまでは感じないにしても、「親は自分が運動が苦手だと思っている」と理解するかもしれません。この時に少し複雑な思いを抱くのではないかと思います。保護者としては「あなたは運動が苦手だから」とレッテルを貼るような言い方はせず、「楽しそうじゃない?」とか「足が速くなれるかもよ」など、前向きに参加意欲が促されるような勧め方を考えながら言葉をかけたと想像はしますが、いずれにしても、敢えて「苦手」が打ち出されているなかで、子どもたちが参加を決断したことは、運動に対して前向きに期待する心のはたらきが生まれたという意味で、意義深さを感じました。
保護者が期待すること
一方で保護者の考えはというと、子どもに「苦手意識を克服してほしい」、「運動能力を高めてほしい」、「自ら進んで運動をするようになってほしい」、「運動を楽しいと感じる子になってほしい」などのことを期待しているのかなと想像します。ポスターに書かれている「楽しく」というのがポイントで、苦手の克服には、運動の楽しさ(遊びの延長という感覚での楽しさ、できるようになった喜び、先生や仲間に認められる充実感、協力して課題を解決できた仲間意識の芽生え、プロ選手などの高いパフォーマンスを目の当たりにする驚きや感動、などなど)が必要不可欠であると保護者も感じていることと思います。「楽しく」のワードに大きな期待をして、子どもに参加を促したと思います。また、このプロジェクトのスタッフが、地元の有名大学の研究者の方々であり、専門性の高い指導が受けられることへの期待もかなり大きいと考えます。
私自身が個人的に、参加した子どもたちの声を聞いてみたいなと思ったのは、「参加を決めた理由は何?」です。「苦手を克服したい」という気持ちで参加したのか、「体を動かすことが好き」だから参加したのか、「楽しく遊びたい」という感覚で参加したのか、「親から言われた」から参加したのか。苦手意識を超えて、参加意欲につながった理由を知りたいなと思いました。
また保護者としては、「学校の体育の授業に自信をもって臨んでほしい」など、学校での活動につながることを期待しているのか、「生涯に渡って主体的に運動に親しむような人になってほしい」など、将来の生き方につながることを願っているのか、保護者の方の声も聞いてみたいなと思いました。
Part①では、「運動への苦手意識のある子どもに対象を焦点化することの意味を考える」を、個人的な私見でまとめてみました。
「HERO project」の素晴らしさ、なぜ運動が苦手な子どもたちが、これほど笑顔を輝かせ、生き生きと運動に親しむことができるのか、その秘訣を、自分なりに考えてみます。