【写真家・近未来探険家 酒井透のニッポン秘境探訪】軍艦島のお隣、中ノ島の『忘れられた火葬炉』
2015年に「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一部としてユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録された軍艦島(長崎県長崎市・端島)。その北側約0.8キロの海上に中ノ島という島がある。軍艦島を目当てにやって来る観光客にとっては、〝まったく興味のない島〟だが、この島は、軍艦島と切っても切れない”縁”がある。
驚くなかれ、島内には、2基の火葬炉が残されているのだ。どちらも煉瓦造りのもので、軍艦島で亡くなった人たちは、この火葬炉で荼毘に伏されていた。軍艦島閉山後、50年あまりの時が流れたが、放置されたままになっている。
島のほぼ中央にある平地部分に残されている火葬炉の大きさは、2メートル立方ほど。三昧(さんまい)と同じような造りをしており、複室式の簡易火葬炉になっている。薪を使って火葬が行われていた。
その北側には、同じような火葬炉がある。ちょっとした茂みがあることで、人目につかないようになっているが、火葬炉に使われている煉瓦や炉の劣化具合を考えると、南側にあるものよりも古い時代に造られたものと考えられる。
釣りのメッカとなっている中ノ島。冬場には、クロ(メジナ)が上がる。釣り客に話を聞いてみると、「あの島で釣りしとると、時々、ぞわっとすることがあるとよ」、「火葬場には、恐ろしくて近づけなかとよ!」などと話していた。
中ノ島は、佐賀藩の一門である深堀鍋島家の末裔によって、明治10年頃から開発が始められた。その後、三菱が1884年(明治17年)から9年あまり経営している。しかし、湧き水が多かったことにより、1893年(明治26年)に閉山した。
軍艦島同様、「天川工法」による石積みの護岸を築き、二本の竪坑を開削した中ノ島は、軍艦島の雛形になった。『元祖・軍艦島』と呼ぶ人もいる。現在は、無人島だ。
火葬炉跡の近くに行くと、今でも“カルシウム臭”や“脂”の臭いを感じることがある。この島には、故郷を離れ、軍艦島で亡くなった人たちの想いが遺されている。
ここから先は
定期購読《アーカイブ》
「実話ナックルズ」本誌と同じ価格の月額690円で、noteの限定有料記事、過去20年分の雑誌アーカイブの中から評価の高い記事など、オトクに…