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「私も毒親だった」暴力・教育虐待を受けて育ち、親になってからも苦しめられる“毒親の連鎖”
教育虐待を受けて育ち、自分で選択する機会と能力を親から奪われ続けた女性。亭主関白な父親からの暴力と貧困の経験により、貧困を極端に恐れる男性。毒親に育てられた二人が結婚し、子どもが生まれた。しかしやがて精神的に追い詰められて——。毒親は連鎖してしまうのだろうか。
「ずっと人のせいにして、親のせいにしてしまってる。それだと自分が辛い。親を忘れて、許して、前に進みたい」
そう泣きながら話す恵美(仮名)さんは、40歳の女性。
看護師を10年間、保健師を1年半働いたのち、現在は専業主婦になった。
教師をしている38歳の夫と、小学1年生と5年生の子どもと埼玉県で4人で暮らしている。
夫との出会いは合コンだった。
彼女は酔った勢いで身の上話を始め、両親から受けてきた壮絶な教育虐待を語った。
「私の親の話を聞いて、周りの子達は引いてた。でも夫だけが真剣に聞いてて、『それは君が悪い。甘えてる。僕も苦労してきたけど自分の力で大学に行った』って言われた。最初は言い合いになった。でも会話してるうちに優秀な人だなって思えてきて。2人とも適齢期で、タイミングもあって結婚した」
結婚翌年に、新築住宅を購入し第一子が生まれた。
夫に物を投げるほど追い込まれた
「仕事、やっと辞められたんです。夫に『君は出産後も働くって言ったじゃないか』と言われて、反対されてた」
彼女は専業主婦になることをずっと希望していた。
その理由は、子育てによる疲労困憊からくるものだった。
「限界がきて、近所中に響き渡るぐらいの声で夫と喧嘩したんです。追い詰められすぎて夫に炊飯器投げたりしちゃって……。夫が『妻が暴れています』って警察を呼んだ。私が夫に突進して投げ返されて、指の骨が折れたこともあった。そんなことが何回もあったから、近所では有名なんです。おかしいって思われてる」
恵美さんはなぜここまで精神的に追い詰められたのだろうか。
「子ども達が、特性のあるというか…発達障害なんです。1歳半の時、夕方になると耳が割れるぐらい1〜2時間泣き続けた。抱っこ・おんぶしても泣き続ける。
限界がきて預けたことがあった。でも預け先で2時間泣き通しで、お迎え行ったら顔真っ青になってて……。これじゃあ預けても私も心休まらないから諦めた」
育休を開けた後も、彼女は正社員の時短勤務で働いた。
仕事復帰後は心身共に限界を超えた。
「24時間抱っこなんです。床におけないんです。本当にしんどくて。働くどころじゃない。仕事も嫌なのに。本当にどうしようもなくて……」
限界な彼女の一番の協力者である夫は、「働いている時間が短い分、あなたが家事・子育てをするのが当然」、「家を買う時に共働きをすると言っていた」という、いわゆる一昔前の亭主関白な考えだった。
たとえ子どもが発達障害だったとしても、夫からしたら関係のないことだった。
夫の亭主関白・貧困妄想の根源は毒父
夫が亭主関白な思考になった要因は、幼少期の父と暮らした環境によるものだった。
父親のDVがきっかけで離婚となり、夫と父親の2人で幼少期を過ごした。
夫は幼少期、父親から暴力を受け続けた。
そのような父親から亭主関白の価値観が刷り込まれていったのかもしれない。
恵美さんは他にも夫に対して感じている違和感を話してくれた。
「調べたんです。夫は"貧困妄想"っていうものだと思います」
貧困妄想とは、経済的に問題がないにも関わらず、自分はお金を持っていないと思いこんでしまう妄想。貧乏恐怖症とも呼ばれている。
そう彼女が考えるようになった理由は、夫が貧困経験者だからだ。
夫の父親が50歳の時、騙される形で失業し一家が貧困に陥ってしまった。
「父親が失業してからは、なんとかその日を生きていた。"お金は使うものではなくて貯めるもの "って価値観。貯めたお金と奨学金で有名な大学に入学した。だから一コマも無駄にせず、凄く勉強して優秀だった。
お金に苦労してきたからか、コンビニで買い物するのもあり得ないって考え。貯金がないことに強い不安を抱いてしまうんです」
現在、教師である夫は年収700万円。恵美さんが働いていた時は年収250万円で、世帯年収は1千万円近くあった。
日本の平均世帯年収は552万円。恵美さん一家は決して貧困ではない。
しかしアパートの隣人の騒音ストレスで、結婚翌年に勢いで5千万円の新築をペアローンで購入した後、一時的に貧困に近い生活になってしまった。
「流石に頭金100万円は出して欲しいって言われて、家の中にある物を売ったりした。一時期はお米も買えなかった。毎月17万円のローンも始まって、しばらくは貧困だったと思う。家が完成した半年後に第一子が生まれて。紙おむつはお金がかかるから布オムツにした。あとクーラー代が勿体ないから、寝室の狭い部屋で家族全員で過ごした。
私は一般家庭で育ったから、この状況も新鮮で楽しかった。でも夫は昔のことを思い出してしまって、トラウマを刺激しちゃったのかもしれない。貯金がある状態になってもお金への不安が消えないようです」
総資産が3000万円になっても、夫の貧困妄想は拭えないようだった。
しかし亭主関白な考えは少しずつ変わっていった。
教育の職場で発達障害の子どもについて話題に上がるようになり、それからは家事育児を全て恵美さんに押し付けることがなくなっていった。
人生の不満を教育という名に変え、子に強要する両親
だが恵美さんの仕事を辞めて専業主婦になることに反対した人が、もう1人いる。
「母親に『ここで仕事辞めると、まともな仕事につけなくなる』って言われて辞められなかった。母親は、自分が働きたかったのに働けなかったって思いがあるから」
恵美さんは埼玉県の田舎の裕福な家庭で生まれた。
両親とも医者だった。
母親は結婚を期に好きだった仕事を辞めさせられ、専業主婦になった。
「家族や親戚は、明らかにアスペルガー・ADHDの人達ばっかり。診断されたわけじゃないけど、明らかにそう。母は凄くヒステリーだった。父は頭がおかしい人。子どもは親の持ち物だから、親が子の将来を決めるのは当たり前。子は親の言う通りにするのが正しい。父はそう思っているんですよ」
3歳の時、母親からフルートを強要されるようになった。
夏休みになると1日8時間フルート練習を義務付けられ、それが12年続いた。
「私はフルートが全然好きじゃなかった。でも辞めたい素振りを見せると、母親が凄い形相で『今からフルートを捨てに行く』と言って車に乗ろうとする。フルートは捨てていいと思ってたけど、母親がいなくなるのが怖かった。泣き叫んで母を止めようとした。それでも母は『離せ!』って言って車に乗り込む。私が車の前に立って泣きながら止める様子を見ると母親は満足する。そして、『わかったんなら、早くやってきなさい!』ってフルートを私に押し付けた」
彼女が中学3年生になると、母親は勉強を強要するようになった。
「土曜日に高速バスに乗って、東京の御茶ノ水の塾に通った。朝の6時に家を出て、20時まで勉強。夏休みになったら母親とホテルオークラに泊まって、そこから塾に行った」
現在の値段だが、ホテルオークラの1番安いプランのツインルームで1泊約10万円だ。
母親に嫌がる素振りを見せると怒鳴られるため、言われるがままに塾に通い、私立高校に入学した。
現在のその私立高校の偏差値は65〜69。県内10位以内に入る学校だ。
当時は東大信仰が強く、教師達は東大合格者を輩出させるのに躍起になっていた。
成績優秀な彼女は、教師と両親に目をつけられた。
「先生から凄い説得が始まって、東大、東大言ってくる。父親は『俺は田舎の医学部には行きたくなかった。本当は東大の文学部に行きたかったんだ。だからお前が叶えてくれ』、母親は『東大に行けば、結婚しても仕事辞めろって言われないだろうから東大いけ』って言ってきた。
私は東大に行きたいなんて思ったことなかった。反抗したら、『1年間に外車を何台も買えるお金を出して行かせているんだ。東大受験しないなら今の高校に通わせてる意味がない。東大にいける頭があるなら東大目指すのが当たり前だ』って言い出して、『東大に行かないのなら今すぐ学校やめて田舎に帰ってきなさい』って脅すように言ってくるようになった」
彼女は東大入学を拒否し、夜中に寮から抜け出し、ヤンキーと交流するようになった。
そうすると自然と成績も落ちていった。
それでも有名大学にいけるような学力だったため、教師に促された。
「親が『早稲田や慶応に行くなんて馬鹿だ』って散々言ってたんです……。あの時の私、親に洗脳されてて……。先生がせっかく促してくれたのに、『そんな恥ずかしい大学いけません』って蹴っちゃったんです。それがね、いつも、悲しくなってきて……。思い出すと眠れなくなる。あの時選んでたら今違ったなって思っちゃうんです」
結局、センター試験の前日に卵嚢嚢腫が茎捻転したことで緊急手術となり、試験が受けられなくなってしまった。
「私は失敗したんじゃない。入院したからできなかったって自分に言い訳したんです。安心した気持ちで浪人してしまった」
恵美さんは1人暮らしをしながら、予備校に通うことになった。
このあたりから母親は彼女に優しく接するようになった。
「取り返しつかなくなったら困るから刺激しないようにしてたのだと思う。母親は自分の子育てに失敗したことを悔やんでか、宗教にはまりだした。変だったけど、でも反省してた様子だった。
逆に父親はやっぱりおかしい人。脳外科医なのに心理学の勉強を始めて『俺は心理学の資格をとったから、なんでも話せ』とか言ってくるんですよ。子どもがグレたら心理学の勉強すれば大丈夫って思ってる。『俺は金を出してきた。俺はそのつど真面目にやってきた。これ以上、俺達に何を求めるんだ』って言ってた」
この時の恵美さんはもう、人生に迷っていた。
「この時人生で初めて、親に『恵美の好きにしていい』って言われた。でも今さら好きにしていいって言われても……。もう戻れないじゃないかって。高校の友達は大学に行って楽しそうにしてた。その友達もどんどんいなくなっちゃった。それと……実は、中絶もしてるんです」
人生の悩みの渦中にいた時期、ターニングポイントとなる出来事がおきた。
人生で初めて自分で決めた看護師も、後悔となる
「夜中に原付でドライブしてたら交通事故にあって、生死を彷徨ったけど目を覚ました。全身打撲して腕を粉砕骨折した。入院中、看護師さんを見てたらなれるかもって思っちゃった。
親に『看護師の学校にいきたい』って言った。そしたら親は大喜び。資格の職業だし、とりあえずヤンキーと遊ばないで昼間の生活に戻るだけでありがとうって感じだった」
学校に通い看護師になったが、彼女は後悔することになった。
彼女は東大を目指せるような学力だったため、周りと学力の差が大きすぎた。
また医療の仕事が向かなかった。
「医療の仕事が本当に好きじゃない。夜中に『なんでこんなことしてるんだろう』って考えたら、眠れなくなる。仕事中、おばあちゃんの手を持っている時にふと、『あの時違う道を選んでたら今違ったんじゃないかな』って思う時があるんです。自分で自分の道を選んでこなかったことが悲しい」
泣きながらそう言っていた。
「勉強ができたって、社会に出てからなんにもならなかったら失敗なんです」
と彼女は続けて言っていた。
その後看護師の仕事をしている時に夫と出会い、結婚した。
暴力を振るう毒親に育てられた夫。
教育虐待をする毒親に育てられた彼女。
「毒親は連鎖する」と言われている。
「夫は、子どもに暴言・暴力は全くないです。ただ……。児相に2回通報されたことがあって。我が家、近所で有名なんです」
「私は毒親だった」児相に2回通報された
「娘が癇癪でどうしようもなかった時、そうとう叩いた。手をあげちゃったんです。回数は覚えてないけど何度も。ぐったりするまで殴り続けたってわけじゃなくて、癇癪で泣き叫ぶ度にゴチンって……。
凄い反省してる。でもあの時は、やめられなかった。嫌な仕事もしないといけない。子どもも訳が分からない。もうやり場がなくて…。仕事から帰ってきたらもう精神力0なんですよ。余裕ないです。
癇癪で泣くでしょ。ゴツンって殴るでしょ。そしたらもっと泣く。口抑えて……、なんか……、馬乗りになって……。そのあと、殴ることはないけど『静かにしなさい! お願いだから止めて!』って言いながら私も泣いて…。そんな日々が続いてた」
一度目は近所の人が通報した。
児相から電話があり、日程調整後に自宅に職員が来た。
「『どんなことでお悩みですか。辛い時は誰に相談してますか』ってありきたりな質問をされて、まあ、問題ないですねって感じで帰った。2回目は子どもの腕に傷があるって通報された。娘がアニメの真似して手を噛んでたらアザになってたみたいで」
彼女が仕事を辞めてからは心の余裕が生まれ、叩くまで追い詰められなくなった。
夫と母親に否定され続けていたが、彼女の子宮頸がんが見つかったことで仕事を辞めることができた。
定期的な検査は続けているが、日常生活は問題なく過ごせている。
「今は殴らなくなったとしても、殴った事実は無くならない。子どもは何も言わないけど、あの時のことは傷にはなってるんだろうな……。意識してないところで傷になってるんだろうなあって……」
涙声で、そう言っていた。
「私はあの時毒親だった。今でも気を抜くと過干渉しちゃう。子どもの交友関係が気になっちゃったり。その度に『自分過干渉だ』って凄く気にしています。いつも意識してないと、自分の親みたいになってしまいそうになる。把握して操縦して、ポケモンみたいに扱っちゃいそうで」
彼女は度々「自分の親のようにならないように」と、まるで自分に暗示をかけるように言っていた。
「親を忘れて前に進みたい。ずっと人のせいにして、奴等(親)のせいにしてしまってる。私は自分で選んでここにいるんだって思わないと辛くて。許したら自分の中で消化できるのなら、許したいって思うんです」
幼少期は毒親に苦しめられ、自分が親になっても苦しめられる。
彼女が毒親の連鎖を止められるかは分からない。
だが彼女は「自分はあの時毒親だった」と、濁すことなくハッキリとそう言った。
毒親の連鎖というものを切ることは不可能なのだろうか。
決してそうではないはずだ。そうでなければ、毒親に育てられた私達は親として生きてはならないということになってしまう。
連鎖の鎖を自分で切り落とそうと闘い続けることしか、道は残っていないのだ。
著者プロフィール
田淵未来(たぶち・みらい)
児童養護施設経験ライター。兄の自死から毒親育ちと気がつき、親への遺恨をペンに乗せて綴る。毒親経験者からインタビューをしている。副業ナース。
X@bucchi_____
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