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「なぜ兄は、今日、人生を終わらせたかったのだろう」二〇二四年三月一六日、毒親育ちの兄が自殺した日

不幸の報せはある日突然やってくる。出産を間近に控えた病室にも、美しく穏やかな春の日にもーー。家族を捨てた私と、家族を捨てなかった兄。夫と娘3人で生きる私と、30代で自ら死を選んだ兄。毒親育ちの副業ナースが綴る、「正しい家族のあり方」とは。

兄の死を、悲しむ資格がありますか

「俺もいま病院だ」
「なんで」
「にぃが…死んだ」
「は?」

 今日は産婦人科で妊婦健診の日。
 片道1時間かかる大学病院にいる。
 行くだけで一苦労なのに2時間の待ち時間。エグいよ大学病院。
 でも私が看護師している時、患者さんを当然のように待たせているのだから文句は言えない。
 でもやっぱり多少の苛つきはあって。

 父から着信があった。
 病院の中だから無視した。
 LINEに「折り返し、至急」とメッセージがくる。
 ため息をつきながら移動し、電話をした。
「なんだよ。今、病院なんだけど」とテンション低めで、かなり感じ悪く電話をかけた。
 電話先では、父の嗚咽と「にぃ(兄)が死んだ」という台詞しか聞き取れなかった。

「は?」
 と言いつつ、内心「自殺だな」って確信が私の中であった。
「犬を頼む」と言う父。
 え、犬? そっち?って笑えてきて。
 本当に笑えてきて。
 今、嗚咽しながら話すことが「犬頼む」って。
 父は犬を3匹飼っている。
「え、そっちの病院に行くとかじゃなくて? 犬?」
「病院来ても、もうしょうがない」
 これ以上父は詳しく話せる様子じゃなかったし、なんか聞けなくて。
「私も今、病院だからなー……。とりあえず、こっち色々整えるわー」
 と言って電話をきった。

 心臓がバクバクする。
 えっと、とりあえず何すればいいんだ?
 あ、夫に電話するか。
 夫、電話出ず。
「なんでこんな時に。ちっ」
 いやいや落ち着け。夫じゃなくて私のことを早く済ませるべきだろ。
 とりあえず点滴を早くやってもらおう。
「あのー、なんか兄死んじゃったみたいでー。点滴早めにやってもらえますか?」
 かなりテンパっていた。
 女子高校生みたいな話し方をしてしまっていた。

 すぐにベッドへ案内してくれた。
 だが、研修医が来た。
 3回のミス。
「何か疾患ってありますか? 血管が脆いとか言われたことありますかー?」
 いや、私30歳ですけど。
 新人さんの練習台代表みたいな、見やすい血管の持ち主ですけど。という言葉は飲み込み、
「基礎疾患はないですねー。病院に来て点滴する機会ないですからねー。脆いとかあったのかもしれませんねー」
 いや、ねえだろ。と自分の発言に内心ツッコミをいれつつも、研修医をフォローしていた。
 だって点滴成功した時、明らかに嬉しそうにしてたし。
 私も何度も何度も失敗したことがあるから。
 でもこの研修医は、自分が研修医で未熟であることをほんの少しでいいから真摯に患者に伝えてもいいんじゃないか?とも思った。
 私の血管のせいにすんな!

 点滴を入れ終わるまで、1時間。
 研修医に失敗されたところ、青あざになってるなあ。
 痛いなあ。
 私は針を3回刺された程度で痛いのに。
 兄はどれだけ痛かったのだろう。
 あ、勝手に自殺って決めつけてるけど、交通事故かもしれないし心筋梗塞とか突然死かもしれないし……
 オーバードーズかなあ。
 小学1年生ぐらいの時、犬が死んだことを思い出した。
 あの時はぽっかり穴が空いたような感覚だった。
 いつもの家の中の景色が、全然違うように見えた。
 でも今はそんな感じ全然なくて。
 いつも通りの病院の景色。
 涙も出ず。
 悲しいとも思わず。
 これは、実感がないってやつなのかな。
 でも、いつか、こんな日がくるって。
 なんとなくそんな気がしてたからなー。
 って思いながら、点滴がポタポタと一滴ずつ落ちるのを眺めていた。

 ボーっとしていたら、夫から折り返しの電話がきた。
「兄が死んだみたいでさー」
「は?」
「兄が死んだ」という台詞、本日2回目だったがフワフワしてて。
 とりあえず、娘の保育園のお迎えを頼んだ。
 夫との電話が終わった後には「身内 死んだ やること」でググっている。
 お通夜って何時から? 葬式っていつだ? 妊娠している時のマナーとかあるのかな? 御香典って身内の場合はいくら?
 調べるワードが次々と思いつく。
 私の頭は、たった30分程で冷静になってしまったのか。
 私は人間らしくないのかな。

 一通り調べ終わった。
 まだ点滴は終わらない。
 天井を眺める。

 兄よ、お前、なんて親不孝な奴なんだよ。
 私は娘に対して、お願いだから先に死なせて欲しいと願っている。
 父の、言葉がでないほどに泣いている声を初めて聞いた。
 でも、そんな父の声を聞いても、私は父の心に寄り添うことができなかった。
 父に悲しむ資格はないのではないのか?
 兄を救おうとしなかったじゃないか。誰も。
 私も。
 愛そうとしなかったくせに、なにをいっちょまえに悲しんでいるんだ。
 今日のこの日を知っていたとしても、私は兄を愛することはできなかった。

 違う。父ではないな。
 悲しむ資格がないのは、私だ。

 病院の会計が終わり、車に乗る。
 お腹へったー。
 普通に、めちゃくちゃお腹が減っていた。
 こういう時ってお腹減らないものだと思ってたけどなあ。
 出発しようとした時、夫から電話がきた。
 何故か父は、お通夜や葬式などの行事連絡を夫に伝えていた。
 夫は器用で気が利く一面があるから頼ったのだろう。ごめんよ夫。ありがとう。

 その後、続けて弟から電話がきた。
「親父からメールきてたんだけどさ…。え、どうゆうこと?」
「いや、私も理由は聞いてないんだけどさ。自殺かなあ」
 弟の電話のむこうでは、車のハザードの音がしていた。
 仕事終わりに慌てて停車したのだろう。
 “兄が死んだ”それ以外の情報がなかったから話せることもない。
「とりあえず夫が父と連絡取り合ってくれてるから、聞いたらLINEする」
 電話を切った。

 ああ、1人になりてー。
 あ、運転しちゃえば電話とらなくていいのか。
 病院を出た。
 今日は、凄く春日和な日。
 なんでこんないい天気の日に。
 なんで今日にしたんだろう。
 なぜ兄は、今日、人生を終わらせたかったんだろう。
 今日って決めてたのかな?
 それとも勢いでやっちゃったのかな?

 運転中に眺める景色は不思議と、空も、太陽も、風も、空気も美しく見えてしかたがなかった。
 なんで、兄が死んだ日の景色がこんなに綺麗に見えるんだよ。
 なんで、こんなに美しいのに。
 兄は美しいと思えなかったんだろうな。

 車内の音楽は総シャッフルで流れていた。
 キマグレンのLIFEが流れた。
 なんて残酷なんだろう。
 そこを歩いている人は、今日、30代で自殺した人がいることなんて少しも知らずに歩いているんだ。

愛情を求めるのは、愛情を知ってしまったからだ

 私は知っていた。
 兄が苦しんでいたことも。
 何に対して苦しんでいたのかも。
 兄をずっと拒絶していたのは、大昔の自分を見ているようだったからだ。
 みっともなく親を憎み、そのくせ愛情に飢えた。
 それを人のせいにした。
 全て他人のせいだと、環境のせいだと。
 自分を悲劇のヒロインに仕立て上げた。
 誰も自分を認めてくれない。理解し得ないと考えていた。
 そのくせそれを他人に知られるのを恥とし、他人を拒絶した。
 周りが見えず。自分も見えず。
 そのうち消えたいと思うのだ。
 自分の内側に入りすぎると、死に飲み込まれる。
 私は飲み込まれる前に修正できた。
 それは、家族を捨てたからできた。
 家族という環境を、愛情を捨てた。諦めた。
 家族というシガラミを消してしまったのだが、そのおかげで自分の世界を作り上げることに成功した。
 でも、成功したと思っていたそれも、それによって失ったものがあったのかもしれない。
 私は、自分が正しかったと思い込みたかったのだ。

 兄は家族を捨てなかった。家族の愛情を捨てきれなかった。
 私にはそう見えていた。
 家族なんてさっさと捨ててしまえばいいのにって、いつも後ろの方で眺めていた。
 父に、祖母に、何を期待しているんだ。
 父はあなたの顔を何回も、何十回も殴ったではないか。
 祖母はそれを知っていても、「父は悪くない」と言っていたじゃないか。
 あんな奴らを、なぜ捨てきれなかったんだよ。

 私の方が正しいと。
 私のようにすれば楽になるのに。
 新しい人生を送れるのに。
 家族を捨てない兄を、私はずっと馬鹿にしていたのだ。

 でも、兄はずっと戦っていたのかもしれない。
 精神を病むまでに。
 兄が一番、人間らしかったのかもしれない。

 でもやっぱり私は、兄が自殺したとしても、父や祖母の心に寄り添えないのだ。
 どれだけ悲しんでいても、嗚咽するほど泣いていても、少しも心が揺れないのだ。
 兄が愛情を知らなければ、求め続けなかったかもしれないのに。
 なぜ兄に愛情をかけたんだよ。
 兄は、幼少期の、あなた達が気まぐれにかけた愛情をきっと覚えていたんだ。
 人は、幼少期に大人から受けた愛情を、記憶がなくとも覚えているのかもしれない。
 私は薄情で恩知らずで人間味がなく記憶力が低いから覚えていないが、兄は違ったのかもしれない。
 愛情を求めるのは、愛情を知ってしまったからだ。

 世界はもの凄く残酷で、生きるということは苦しいことなのに。
 誰からも愛情を受けないで、人は生き続けることはできないのかもしれない。
 自分は矛盾したことをグルグルと考えている。という自覚はある。

 綺麗な夕陽が落ちかけ、夜が近づいてきた。
 急に恐怖心が襲いかかってきた。
 夜が怖い。
 でも、家に夫と娘がいるのを想像したら、恐怖心は消えてくれた。
 夫と娘が夜の海の灯台のように、光を掲げて、ここが帰る場所だと教えてくれているようだったから。
 ああ、今日、1人の家に帰ることにならなくて本当に良かった。
 それに気がついたら、安心と愛しさで涙が出てきた。
 今日、初めて涙がこぼれた。

 親友と出会い、夫と出会い、娘と出会い、その時に私の魂は救われたんだ。
 万が一、夫が今死んだとする。
 夫と出会ったことと、その記憶で、私は残りの人生を生きていけるだろう。多分。
 兄にはそれがなかったんだ。
 劣等感や歪みにずっと苦しんでいた。
 それを知っていたが、やっぱり私は兄を愛せなかった。
 やはり、何度も考えるが、きっと今日の出来事を知っていたとしても、側で寄り添うことは出来なかった。
 死ぬと分かっていても私は兄を愛せなかった。

 帰宅ラッシュに巻き込まれ、帰宅に1時間半かかった。
 帰宅後の娘はいつになくハイテンションだった。
 夫と難しい話をしていても、いつも以上にずっと話しかけてくる。
 最初は「もう! 今大事な話してるのにっ!」って思った。
 でもふと、体も頭も物凄く疲れていることに気がついた。
 今日はもう思考停止しようって思えた。
 娘に話しかけられるがままに沢山話した。
 きっといつもと変わらない私でいれた。
 私は今、毒親や児童養護施設出身の人のインタビュー記事を書いているのだが、これを続けていくべき。というより、続けていくのだろう。となんとなくだが思った。

 普段夫がいる時は、夫が娘の寝かしつけ担当。私は別室の寝室で寝る。
 でも今日は3人で川の字で寝た。
 娘はいつもと違うことをすると怒るのだが、今日は何も言わず、すぐに寝てしまった。
 私も夫と手を繋ぎながら寝た。

 父から電話がきて起きた。
 昼間に電話した時とは違い、父の声は落ち着いていた。
 死んだ理由を聞いた。
「飛び降りた。ビルの10階だ」
「そっか」
 電話を切った。

 寝れなくなった。
 ビルの10階から飛び降りる想像を、何度も何度もしてしまう。
「ピンポーン」と音が聞こえた。
 違う。これは夢だ。空耳だ。
 寝る直前に嫌なイメージを強くもつから、こんな音が聞こえてしまったんだ。
 と思い、夫にくっついて目を強くつぶった。

 朝になった。
 いつの間にか寝ていた。
 夫を見る。
 夫も目を開けた。
 一緒に娘を見る。
 枕から頭が大きくズレ、気道確保!みたいな姿勢で爆睡してた。
 2人でクスッと笑い、くっついた。

 スマホの通知がきた。
 ああ、きっと家族からの連絡だ。
 今日は遺体になった兄に初めて会いに行く日だ。
 遺品整理にアパートにも行く。

 ああ、今はまだ目を閉じていたい。
 この暖かい空間に身を投じていたい。
 まだ今日という日を始めたくない。
 あと少し、あと少しだけ。

著者プロフィール
田淵未来(たぶち・みらい)
児童養護施設経験ライター。兄の自死から毒親育ちと気がつき、親への遺恨をペンに乗せて綴る。毒親経験者からインタビューをしている。副業ナース。
X@bucchi_____
instagram@tabuchi_mirai_iceland_l


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