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【伝説の女親分】松田芳子の一生

終戦直後、東京新橋一帯を仕切っていた関東松田組。しかし、松田義一組長の殺害により、組長の未亡人が跡を引き継ぐこととなった。組を指揮して、戦後混乱期を戦い抜いた伝説の女組長・松田芳子、その生涯とは──

夢のマーケット構想

 松田芳子は関東一円の親分衆に向け、ただちにゲキを飛ばした。松田組1千数百人の組員が生きるか死ぬかの存亡にかかわる重大な危機に直面していたからだ。これに呼応して芝山益久、尾津喜之助、新井幸太郎、阿部重作といったそうそうたる親分衆が子分を率いてぞくぞくと結集した。彼らにとっても松田組の存亡は自分たちの存亡であり、一蓮托生の関係にあるからだ。
「新橋新生マーケットは闇商売から脱却し、本格的な店舗を構えれば安心して商売ができるだけでなく、先代の遺志にもかかわってるんです。だから私はこのマーケットを命を懸けても守るつもりですが、親分さんたちのお力もぜひお貸し願いたいんです」
 芳子はマーケットの乗っ取りをたくらむ台湾、朝鮮系の華僑からマーケットを守るため声をからして親分衆に訴えるのだった。彼女は松田組の2代目だった。先代の松田義一は敗戦と同時にかつての大陸浪人仲間に声をかけて芝に事務所を構え、新橋界隈の利権獲得に暗躍した。闇市をいとなむ特攻隊くずれや博徒、愚連隊などを腕力とスパイ活動で培った懐柔策を駆使してつぎつぎと叩きつぶしてショバ代を吸い上げ、勢力を拡大していった。わずか3か月ほどで松田は1千名を超す一大組織に成長し、1945年暮れには関東一円の親分衆を一堂に集めて襲名披露を盛大に挙行。松田組は名実ともに全国区となった。
 松田は新橋西口に「新橋新生マーケット」を建設し、露天商をここに収容して闇市から本格的な商店街にし、ゆくゆくはデパートに発展させるとの構想を描いていたのだ。じつは同様の構想は上野や新宿でも計画され、すでに新宿などは実現していた。しかもこのマーケットは司法当局の意向が強く働いていた。つまり〝闇市狩り〟だ。とくに目をつけられたのが上野アメ横だった。

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