AV業界は本当によく人が消えたり、死んだりする。間違いなく、死に近い世界である…桃井望変死事件(前編)【中村淳彦『ハタチになったら死のうと思ってた』】
2002年、業界を揺るがす大事件が起きていた。当時トップアイドルとして超人気を誇っていたAV女優・桃井望の突然の死。誰もが事件を疑う状況にもかかわらず、関係者も警察も沈黙して……。中村淳彦著『ハタチになったら死のうと思ってた AV女優19人の告白』より一部抜粋してお届けします。
桃井望変死事件
AV業界は本当によく人が消えたり、死んだりする。間違いなく、死に近い世界である。
エロスとタナトスは紙一重と、よく言われる。AV業界には様々な人々が、様々な事情を抱えて、様々な経路で女性のセックスを換金するために漂流する。
アダルトビデオ産業を簡単に説明すると、モテない男性が要望する女性を集めて、業者が口説いて裸にする。頷いた女性を撮影現場に呼んで、カメラの前でセックスさせる。セックスも様々な行為やシチュエーションがある。そのときにモテない男が興奮する最大公約数の行為をさせて映像に収録する。映像を法律に合わせて修正して販売する。AV女優たちは刺激を受けて気持ちよくなるほど商品価値は高まり、ほとんどの場合、徹底的なプライベートの切り売りとなる。男たちに激しく消費されるので長く継続できない。極めて刹那的でAV女優に未来はとても見えない。少なくとも普通のビジネスとは言い難い。
だから社会の片隅か誰の目にも留まらない断絶した場所で、ひっそりと生きてきた。激しく消費された女は用がなくなれば使い捨てられた。社会的には有害業務という扱いなので、モテない男たちに飽きられるまで価値は認められても、キャリアや職業が認められることはない。
ここは未来を一切考えないで、今、気持ちいいことに踊り狂う宴なのだ。一般社会の24時間とは違う時空を生きながら、価値が認められている間は、なにも考えないで宴に狂う。そういう空間である。アダルトビデオの誕生から35年間、ずっと宴は続いている。しかし、参加者はどんどん入れ替わる。ずっと踊り狂っているので途中で脱落した人、消えた人、踊れなくなった人のことは誰も気にも留めない。
宴は特別な時間で刺激が強く、楽しい。でも、いつか終わる。終わってしまえば、どこにも行き場所はない。知らないうちに生と死の境界線を生きることになる。まさに異界と呼ぶにふさわしい場所なのだ。
次の宴はどこにも開催されていないので、一歩踏み違えば、死が待つ。筆者は長年、AV業界の取材を続けているが、あっちの世界とこっちの日常(一般社会)とはやっぱり時空が異なるように感じる。
今から15年前、異界で大きな事件があった。
2002年10月12日。当時、最も人気があった超人気AV女優桃井望が長野県塩尻市の河川敷で首から下が焼かれた変死体で見つかった。「桃井望変死事件」である。
被害者がAV女優だったからか、加害者が死刑に相当する重大事件にもかかわらず、当時マスコミ担当していた長野県警副署長は「事件と事故の両面から捜査中」と繰り返すばかりだった。
事件捜査にあまりにも乗り気でない警察に違和感を覚えたが、しばらくして蓋を開けてみれば、一切の捜査をしていなかったという。警察がまともに対応しないので事件報道はスルーとなり、スポーツ紙と一部ワイドショーだけが他殺の可能性がある不可解な事件として、独自に取材して報道した。
筆者が一報を聞いたのは、スポーツ紙が大々的に報道する2日前だった。知り合いのメーカー社長から自宅に電話がかかってきて「桃井が死んだよ。焼死体で見つかったって」と聞いた。当時、桃井望は超人気のトップ女優だった。いくらなんでも、耳を疑った。
本当だったらとんでもないことだ。念のために中堅週刊誌にメーカー社長から聞いたことをそのまま伝えたが、信じてもらえなかった。
事件当時のAV業界はレンタル、インディーズ、違法撮り下ろしの薄消し、海外向け無修正など、すべてが売れていた。現在では考えられないほど景気がよく、女性の供給は常時足りない状態だった。桃井望はどんな媒体にも出演する企画単体女優で、凄まじいリリース数で知名度を上げ、誰もが認めるトップ女優だった。
当時AV女優は供給不足であり、どんな手段を使っても女性を獲得する、そういう時代だった。当時のAV業界はお金のためならば手段を選ばない不穏な空気が蔓延していて、今で言う「出演強要」は、現在の50倍〜100倍はあっただろう危険な状況だった。人権どころか、女性に対する騙し、強要、脅しなどは常識で、AV業界は完全に治外法権となっていた。
AV業界内での表に出ない暴力も凄まじく、誰かがやられた、ケガしたなどは日常的に耳にしていた。
そんな調子なのでビジネスの根幹であるか弱い女性に対して強要は当たり前、違法メディアへの斡旋だけでなく、レイプや暴行紛いの撮影も日常茶飯事だった。追いつめられたAV女優が辞めたくても、違約金を要求され、辞められないといった悲劇は何度聞いたかわからない。
そのような荒れた時代に、桃井望の死の噂が飛び交った。
そして2002年10月16日、本当にスポーツ紙一面に「無残人気AV女優変死」とスクープとなった。なにが起こってもおかしくない最悪な世界とわかっていたが、まさか女優を焼き殺すまでかと身震いした。
紙面には、どう考えても自殺や無理心中ではない事件の詳細が記されていた。
殺されたのは桃井望(23)と、恋人の酒井宏樹氏(24)だった。事件当日20時55分に通行人から奈良井川の河川敷で「乗用車が燃えている」と通報、駆けつけた消防車が火を消し止めた。焼け朽ちた車内から酒井氏の黒焦げの遺体、車から数メートル離れた場所に、首から下を焼かれた桃井が仰向けで倒れていた。
2人の遺体にはわき腹や背中など、数カ所刺された傷があった。そして桃井の遺体の横にワイングラス2個と蝋燭2本、バラが3本ささったワインの瓶が転がっていた。
ホンダオデッセイ車内で見つかった酒井氏の焼死体は、頭蓋骨に損傷があり、左手に包丁が握られていた。彼は右利きだった。車内はすべてドアロックされていた。事件直前まで2人が一緒にいた自宅には、靴がそのまま残され、ノートパソコンは開いたまま充電中だった。争った形跡はなく、なぜか玄関ドアの内側に男性の下腹部を撮影した写真のコピーが貼られていた。
事件直前20時頃、酒井氏は地元の友達に「これから遊びに行くからね」というメールを送っている。事件当日に撮影された超楽しそうにツーショットで写る2人の写真も見つかった。当時、数少ない密着取材にあたったA記者に話を訊く。
「長野県警塩尻署が初動捜査をしなかった。それだけです」
なぜ、長野県警は捜査をしなかったのか。
「塩尻署は通報があって、現場に駆けつけた最初の段階で無理心中の焼死と決めつけた。捜査員は燃え残ったオデッセイを素手で触っていたというし、現場は警察と消防署でグチャグチャにした。事件当時、警察は酒井氏の遺族に車の処分をしてくださいと告げて、現場の遺留品も返してしまった。塩尻署は遺族に断定口調で無理心中と伝えて、捜査本部も設置しなかった。管轄内で2人も惨殺されているのに驚愕の事態で、マスコミ報道されてから塩尻署はさらに頑なになった。一切、なにもしなかった。今思い出しても本当におそろしいし、酷い事件でしたよ」
A記者は久しぶりに当時を思い出し、溜息をつく。(後編につづく)
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