【写真家・近未来探険家 酒井透のニッポン秘境探訪】コンゴのルンバ王『パパ・ウェンバ』
2016年4月24日、西アフリカ コートジボワールの最大都市であるアビジャンで行われていた音楽祭の公演中に倒れ、その後、病院で亡くなった歌手のパパ・ウェンバ(享年66歳。死因は、心臓発作)が死去してから8年という時が流れた。
今、彼の死を悼む声が世界中からあがっている。同年に発売された追悼盤は、8年経った今も売れ続けている。
パパ・ウェンバは、1970年代のザイール(現在のコンゴ民主共和国)の音楽シーンに革命を起こしたミュージシャンだ。ジャン・ポール・ゴルチェやマリオ・ヴァレンチーノ、ヨージ・ヤマモトなどといったブランド物の洋服を着てステージに立ち、これまでのミュージックシーンを塗り替えた。見逃すことはなかったのは、音楽好きの若者たちだ。
なけなしのカネを叩いてブランドものの洋服を買い、我が物顔で街を闊歩するようになったのだ。街は、荒廃しきっていたが、お洒落な格好をした若者たちであふれかえった。
このようなムーヴメントがヨーロッパの人たちに知れ渡るようになったのは、80年代になってからのことになる。テレビや雑誌がパパ・ウェンバを追いかけた。近年、日本でも話題となっているサプールもパパ・ウェンバがいなかったら、ここまで大きなムーヴメントになっていなかっただろう。
パパ・ウェンバは、1949年に当時のベルギー領コンゴのカサイ・オリエンタル州にあるルベフという村で生まれた。69年から伝説のオルケストル(バンド)である〝ザイコ・ランガ=ランガ〟(現在も活動中)のオリジナル・メンバーとして活動を始め、77年には自身のオルケストルである〝ヴィヴァ・ラ・ムジカ〟を結成。一躍、国民的なスターとなった。彼らの音楽は、ザイールの伝統音楽とロックを融合させたもので、無骨かつパンチのあるサウンドが特徴だ。当地では、〝ルンバ・ロック〟ないしは〝ルンバ〟と呼ばれ、日本にも数多くのファンがいる。日本では、ザイールの公用語であるリンガラ語をとって 〝リンガラ・ポップス〟と呼ばれている。86年には、〝ヴィヴァ・ラ・ムジカ〟での初来日公演が行なわれた。
「墓は、キンシャサの中心部からとてもとても離れたところにあります。空港のもっともっと先で、地域の名前すら分かりません。それでも、やっと行かれたことに感謝しています。母(のアマゾン)も最近は、元気を取り戻してきました。キンシャサに住んでいます。兄弟もみんな元気にしています」(2016年10月に観光旅行で来日した3女のヴィヴィ・ウェンバディオ)
我々は、もう2度とパパ・ウェンバの生の歌声を聴くことはできない。でも、数多くの映像が残されているので、YouTubeなどで観ることができる。あまりにも偉大なミュージシャンを失ったことは悲しみに耐えない。心から彼の偉業を称えたい。「ありがとうパパ・ウェンバ」。
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