「あの頃はヒップホップの正解を誰も知らなかった」【dj honda x 晋平太】俺たちのヒップホップを語ろう《前編》
90年代日本のヒップホップを牽引し世界で活動するレジェンド、dj honda。フリースタイルでMCバトルを勝ち抜き数々の優勝歴を誇るラッパー晋平太。「親と子」ほどのふたりが令和のいま、新たなシーンを作りだそうとしている。
過去と現在、そしてヒップホップのこれからを語り尽くす!
【聞き手・写真=池田宏】
「誰が審査すべきかって、バトルが強いやつでしょ?」
晋平太 昨日俺、旭川行ってて、(dj hondaの故郷の)深川通ったんですよ。電車で帰ってきたから駅も見たんですけど、マジなんにもなかったっすね。あそこに10代ぐらいまでいたんですよね?
dj honda 17歳までいたね。農業の街で、ここじゃ無理だってなって、バンドやるために東京行ったんだよ。とりあえず高校やめて、東京行けばなんとかなると思ってた。でもバンドで食えなくて、仕事もしてないから家賃も払えない、飯も食えない。だってアテないんだから。
晋平太 失礼を承知で言いますけど、俺は郵便局で5年、郵便配達してました。雨の日も風の日も1日も休まず遅刻せず。それが終わった後、毎日2時間スタジオに行ってフリースタイルを練習して。
dj honda そういうことできないんだよ。
晋平太 なぜできないか知ってます? 時間に行けないから。起きたタイミングで動くから、ホンダさんは。
——生活できないですよね。
dj honda そうだね笑。そしたら住み込みで、給料7万くらい出るって話があった。沼津にあったディスコのウェイター。
晋平太 それ超悪いでしょ。悪すぎるでしょ。
dj honda で入って、そっからだね、DJという存在を見つけて。DJのほうが遅く来て早く帰って、超モテるからさ。便所掃除やってるよりいいと思って。
——その時代にはもうDJというジャンルが確立されていた?
dj honda 確立されてない。職業じゃないよ。黒服のマネージャー、カウンター、厨房、DJ。そういうひとつのセクション。ウェイターでちょっと金貯めて、東京に戻ろうって。
晋平太 そこからニューヨークに行くのは?
dj honda 住みだしたのは26、27歳だね。
晋平太 NMS(ニューミュージックセミナー)のDJバトル準優勝がその前だから……早すぎない?
dj honda 2回やってるからね。1発目が90年、25歳。
晋平太 今の25歳とは違うじゃないですか。しかも札幌ですらない深川からですよ。あの時代に東京に出てそこで勝って、東京からジャップがニューヨークに乗り込んでってヒップホップやるっていう。
dj honda ふふっ。まあな。
晋平太 ヒップホップ本気でやりてえから行く。場所は関係ないっていうことですよね。だって英語もできなかったんですよね。
dj honda そうだよ、でも住むしかないじゃん。日本じゃないなと思った。客もいないし、やってるやつらもほとんどいないし。いても「こんな感じじゃねえの?」みたいな。
晋平太 当時は誰も正解を知らなかったでしょ?
dj honda やってる俺らもわかってない。「これでいいんじゃない?」「いいんじゃねえの?」みたいな、言ったもん勝ちさ、当時は。
晋平太 今も言ったもん勝ちですよ。
dj honda そんなことないよ。わかるじゃん。
晋平太 カッコいいか悪いかを判断するリスナーの耳はここ数年でマジで上がりましたね。それはMCバトルの影響が超でかくて、リリックの中身を聞いてるんですよ。昔は雰囲気しか聞いてなかったし、ライムの細かいルールなんて誰も知らなかった。だからマジでホンダさんはやばいよ。
——アメリカ行くなら金も必要じゃないですか?
dj honda それどころじゃない、もう崖っぷちだもん。女房もいて、ガキも生まれて。DJやってスタジオやって、CDも何枚も出して、テレビいっぱい出て、いろんなことやってたの。でも結局東京じゃダメだったんだよね。
晋平太 まずやってみるっていう。でやってみてダメだったら出さなきゃいいじゃないかってホンダさんいつも言う。それと一緒でしょう? やってみたけど、東京じゃダメだっただけで。
dj honda 結局結果が出なかった。DJバトルやったって審査員がヒップホップ知らない、聴いたことないやつがやってるから、そんなのにジャッジされてもふざけんなってなるし。
晋平太 誤解恐れずに言うけど、MCバトルの審査員も俺のフリースタイルラップをどこまで理解してんのか疑問。俺たちは命を賭けてやってるよ。誰が審査すべきかって、バトルが強いやつでしょ。シンプルにそうでしょ。
「本業じゃないんだから、服屋なんか。
音楽と繋がればいいってだけ」
——ホンダさんは92年にニューヨークのDJバトルで準優勝されて、やはりその影響は大きかった?
dj honda でかい。だって本場じゃん。めちゃくちゃなジャッジをしないし、そこで出た反応が本当の反応じゃん。それでもう日本は終わり、アメリカだなって思った。
——アメリカでは日本のヒップホップシーンは気になってましたか?
dj honda 全然。
晋平太 これ太字で書いといてください笑。
——逆に晋平太君はホンダさんを意識していた?
晋平太 俺が10歳くらいの頃にはホンダさんもうアメリカで活動してたから、
dj hondaってブランドなんだってことぐらい。イチローの影響で日本中のやつが「h」のキャップを被ってて、でも俺は当時はhブランドは着なかった。ダイエーとかどこでも買えるし、なんかクラスのパンピーが着てるから、俺たちはそういうの着たくねえからみたいな。でもとりあえずhマークのCDは友達の家とかに絶対あるし、この曲ホンダさんだったんだヤバみたいなのがいまだに超あるから、知らないうちに聴いてましたよね。
——日本でそういうムーブメントになってたことはご存知でしたか?
dj honda 噂程度では。だって4年に1回ぐらいしか日本に帰ってこないから、その間に起きてることはあんまりわからない。俺が見たのは、UFOキャッチャーに入ってたんだよ。市ヶ谷のソニーの隣のゲーセン。しかも偽物。ぶちぎれたよ。ニセモンじゃないかこれ!って。
晋平太 おいソニー、働けよ!って笑。偽物はhのロゴがちょっと太いんですよ。
dj honda そんなのさ、自分の会社のアーティストの偽物売ってさ、たぶん従業員は知ってると思うんだよね。問題にしないこと自体不思議だよ。ってことは関係ないんだよそんなのは、でかい会社は。たかがいちアーティストにソニーの看板出して訴訟なんかしないわけ。大人の事情、俺そういうのめっちゃ嫌いだから。そのへんからソニーと喧嘩して、だからやめた。
——それほど売れていたわけですね。
dj honda うん。98年に100億だよ売り上げ。それがマックス。俺に入ったわけじゃないよ、売り上げだよ。まあ金は腐らないからあった方がいいだろうけど、適当にやれるくらい入ってくりゃ別に、そこまでだけどな。
晋平太 金は必要ですよ。だって、俺たち好きなことしかやりたくねえから。単純でしょ。
dj honda どうやってしのぐかってこと。本業じゃないんだから、服屋なんか。音楽屋なんだから。グッズは宣伝が目的だもん。あとは音楽と繋がればいいなってだけのこと。
晋平太 だから音楽と繋げましょうっていうのが今の俺の役割。俺ちょうどいいんすよ。だって今のキッズは俺のこと見てくれてるし、ホンダさんをばっちり知ってる世代、ヒップホップ本当に好きだった世代も俺のこと知ってるでしょう。
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