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【写真家・近未来探険家 酒井透のニッポン秘境探訪】ダウンタウンも認めた〝日本一まずいラーメン屋〟『彦龍ラーメン』

 2015年12月1日、「日本一まずいラーメン屋」として知られる彦龍ラーメンの店主 〝彦龍さん〟こと原憲彦さんが逝去した。68歳だった。発見されたのは、12月3日のことで、彦龍さんの公認ツイッターなどのSNSを管理する男性が自宅を訪問したときには、亡くなっていたという。老衰とみられる。

 ごく普通のラーメン屋だった彦龍ラーメンが大ブレイクしたのは、1993年のことになる。フジ系列のテレビ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』で「日本一まずいラーメン屋」として紹介されたのがきっかけだった。テレビの影響はすさまじいもので、その翌日から店には大行列ができた。しかし、それも長くは続かず、次第に客足が遠のいていくと、2010年1月末に閉店することになる。

ごっつに出演して一躍有名に
志村けんさんの番組にも出演

 〝彦龍さん〟が、この業界に飛び込んだのは17歳のときだ。その頃から自分の店を持つことが夢だったという。独立を決意したのは、40歳を過ぎてからのことで、長年の修行で得た自信とバブルという時代にも助けられて、42歳のときに彦龍ラーメンを開店させた。波に乗っていた頃は、一日の売り上げが30万円を超える日もあったという。筆者は、2010年に店を閉めた後にアポをとって〝彦龍さん〟に会いに行って話を聞いた。

かつて千駄木にあった店の前に立つ原憲彦さん
閉店した店は物が雑然と置かれていた

「『俺はプロなんだよ。プロなんだから美味しいラーメンだけ作れるのがプロじゃない。まずいラーメンも作れて始めてプロなんだよ。両方ちゃんと作れてプロなんだ』って、お客さんに言ってたときがありましたね。なんて言うんですかね、僕は人生で今まで人がやらないことをやってきたよね。閉店を惜しむ声が多かったけどお客さんたちには、ハッキリ言ってたの。『実は、彦龍、もうすぐ潰れそうなんだよ』って…。本当に色々あったけどさ、やっぱり潰れたらみっともねぇ。テレビのせいでヤメるのかって陰口叩かれる。だから、潰れる前にヤメるってことにしたのよね…」

柔和な笑みを浮かべる〝彦龍さん〟
常連客からの寄せ書きもあった
毎日の立ち仕事は体にこたえただろう

 意外と知られていないのは、〝彦龍さん〟が生涯独身を貫き通したことだ。遺族には、妹が一人いるようだが、良く分かってはいない。店に飾ってあった有名人の色紙などは、生前から親交の深かった漫画家のピョコタンさんが形見として譲り受けたという。

「日本一まずいラーメン屋」と呼ばれた 〝彦龍さん〟。その味を懐かしむファンも多い


写真・文◎酒井透(サカイトオル)
 東京都生まれ。写真家・近未来探険家。
 小学校高学年の頃より趣味として始めた鉄道写真をきっかけとして、カメラと写真の世界にのめり込む。大学卒業後は、ザイール(現:コンゴ民主共和国)やパリなどに滞在し、ザイールのポピュラー音楽やサプール(Sapeur)を精力的に取材。帰国後は、写真週刊誌「FOCUS」(新潮社)の専属カメラマンとして5年間活動。1989年に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定第117号事件)の犯人である宮崎勤をスクープ写する。
 90年代からは、アフロビートの創始者でありアクティビストでもあったナイジェリアのミュージシャン フェラ・クティ(故人)やエッジの効いた人物、ラブドール、廃墟、奇祭、国内外のB級(珍)スポットなど、他の写真家が取り上げないものをテーマとして追い続けている。現在、プログラミング言語のPythonなどを学習中。今後、AI方面にシフトしていくものと考えられる。
 著書に「中国B級スポットおもしろ大全」(新潮社)「未来世紀軍艦島」(ミリオン出版)、「軍艦島に行く―日本最後の絶景」(笠倉出版社 )などがある。

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