【写真家・近未来探険家 酒井透のニッポン秘境探訪】東京都中野区の『中野刑務所表門(平和の門)』
2018年11月5~6日にかけて、東京都中野区にある旧・中野刑務所表門(旧・奥多摩監獄表門/通称・平和の門/中野区有形文化財指定)(東京都中野区新井三丁目)が一般公開された。
この公開は、同門のある敷地内に「平和の森小学校」が新築されることによって、数年間見られなくなることから行われた。表門は、小学校の敷地内に移築されることになっている。
中野刑務所(奥多摩監獄)は、大正期の建築家である後藤慶二(1883- 1919)によって設計され、1915年(大正4年)に建てられたものだ。同刑務所には、1925年(大正14年)の治安維持法制定以後、1945年(昭和20年)に同法が廃止されるまで、数多くの政治犯や思想犯が収監されていた。
収監されていた著名人としては、「蟹工船」を書いた小林多喜二がいることで知られている。また、1961年(昭和36年)には、刑務官が撲殺されて2人の受刑者が脱獄する事件も起きている(受刑者2人は、その翌日に逮捕された)。
同刑務所が閉鎖されたのは、1983年(昭和58年)3月のこと。現在、この跡地は、区の防災公園「平和の森公園」になっており、残されているのは、赤煉瓦づくりの表門だけになっている。明治期から大正期に造られた建築物独特の面影を今に残すものであることから貴重なものとして知られている。
「旧・奥多摩監獄表門には、何度か足を運んだことがあります。でも、法務省が管轄していた敷地内にあったので、その中に入ることはできませんでした。
以前、長崎刑務所や奈良刑務所、網走監獄に行ったことがあります。長崎刑務所は、取り壊される前に見学会があったので、それには参加していました。奈良刑務所の見学会にも行って来ましたね。貴重な写真を撮ることができました。
今回は、建物の中まで入ることができたので、色々なところを撮ることができました。建物の南面にある門扉は、どうしても撮りたかったものだったんです。鋲留めされた鉄板の外枠の中に、白色の木製の格子枠はめ込まれたものなんですよ。とても重厚なデザインになっているんですね~。企画していただいた中野区さんには、とても感謝しています」(東京都内に住む廃墟マニアの男性)
「このたびの見学会は、法務省矯正研修所の跡地を『平和の森小学校移転用地及び道路用地』として中野区が財務省から買い取ったことによって実現しました。この土地には、平和の森小学校が新築されることになっています。 全国的に少子化が進む中にあって、中野区は、子どもの人口が増えています。
(工事については、)先に門の西側にある建物を取り壊しまして、それが終わってから表門をジャッキアップしまして、曳(ひ)き家による方法で100メートルほど西側に移動する予定です。
1日に1メートルほどの移動になりますね。表門の周りには、広場などを造るなどの整備をしまして、令和8年度から一般公開をする計画を立てています。この表門は、小学校校舎の横に残されることになることから反対する意見もあったのですが、無事に保存される運びとなったことで、貴重な文化遺産を残すことができることになりました」(中野区区民部区民文化国際化 文化財係)
この2日間に渡って見学に訪れたのは5300名あまり。普段、近くで見ることのできなかった建築物であったことや、NHKのニュースで取り上げられたこともあり数多くの見学者であふれかえっていた。
また、道路を挟んだところにある新井区民活動センターでは、「平和の門を考える会」による写真パネル展が行われていて、「設計者 後藤慶二と豊多摩監獄」のコーナーなどにも、大勢の人たちの姿があった。
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