「自殺した兄はあの日、何十回父に殴られたのだろう」どれだけ暴力をうけても“悪いのは自分”としつけられてきた毒親からの洗脳が解けた日
暴力が日常だった。ひどく虐待されても「父と義母は正しい」のだと、洗脳されていた。その暴力が一線を超えたとき、兄は、私は……。毒親育ちの副業ナースが綴る、「正しい家族のあり方」とは。(前回はこちら)
「父と義母のとった行為は正しい」と……
後にも先にも、"嫌な予感"を実感できたのはこの時だけだった。
私が小学生4年生だった時。
学校が終わり、1人で家に帰っていた。
小道に入り、まっすぐな道を少し歩くと私の家がある。
地面のアスファルトを眺めながら歩いていた。
普段と何も変わらない行動、景色なのだが、なんだか胸がドキドキする。
ドキドキと言っても、嫌な感じのだ。
動悸のようで、少し吐き気もある。
体調が悪いのだろうか。と考えながら、ゆっくりと歩いていた。
家についた。
普段は、学校から帰る時間に父も義母(父は2年前に再婚した)もいない。
父は仕事だが、義母は毎日どこに行っているのかは知らない。
義母が帰ってくるまでの時間、玄関で立った姿勢で待つように言われている。
座ったり片足に重心をかけて立っていたら、その後何が起きるか分かっているから指示に従う。
だがこの日は、義母の車が駐車場に停まっている。
義母はすでに帰ってきていたのだ。
普段と違うことが起きており、私は玄関の外で立ち止まった。
なにやら父が、大きな声で叫んでいる。
小学校から帰ってきて父も義母もいるなんておかしい……。
父の耳障りな声から、恐怖心と共に嫌な感じの動悸が強くなった。
家の中に入り、手を洗いに洗面所に行く。
鏡に体を近づけ、自分の顔を見ている小学生ぐらいの男の子がいた。
男の子と鏡越しに目が合う。
両頬が、赤と青を混ぜあわせた色になっている。
その色が腫れあがってできた色だと気がつくのに、1秒。
目の細いこの男の子が、普段は綺麗な二重の目をしている自分の兄だと気がつくのに、1秒。
2秒後になりやっと思考が再開し、心が自分に戻ってきた。
(さっきの帰宅途中に動悸がした理由が分かった。あれが”嫌な予感”ってやつか)
そう考え兄を眺めた。
目があった一瞬は、兄だと認識できなかった。
兄の顔面は2倍ぐらいに腫れ上がっていたからだ。
私と兄は仲が悪かったのにも関わらず、この顔を見た時は吐き気を催すほど胸が押しつぶされそうになった。
多分、悲しいって気持ちだったのだと思う。
家の中で無駄話禁止、兄弟の上には敬語をつかう。これが義母が作ったルールだったのだが、そんなこと忘れていた。
「なにそれ…」
と言葉が漏れ出していた。
「お父さんが…」
兄からはその返事しかこなかった。
いったい、何回殴ればあんな顔になるのだろうか。
いや、何回じゃないか。何十回か。
兄は、父に何十回殴られたのだろうか。
父と義母から、兄の顔面に関して説明はなかった。
夜ご飯の時間になり、父と義母は「こいつはダメだ」と言っている。
食事を抜かれることが多かったから、夕食があるから今日はラッキーな日だ。
そのはずなのに、食事を通す喉が閉じようと一生懸命下に向って圧力をかけてくる。
でも食べないと。食欲がないなんて言ったら、父が兄にしたことを否定しているように受け取られかねない。父が悪いと思っていると印象付けてはいけない。だからいつも通りだ。いつも通りに食べるんだ。ゆっくりでも速くもなく、いつも通りに食べるんだ。父と義母のとった行為は正しいのだと、そう私が思っていると思わせなければいけない。
食事に集中しているにも関わらず、この日の私はやけに頭が冴えていた。
食べ物を押し込みながらも、父と義母の言葉はしっかり頭に入り、言葉の断面からなぜ今このような状況なのか理解できた。
兄が学校でイジメをうけていたようだ。
そのいじめっ子から、万引きをするよう命令された。
兄は万引きをして、店の大人に捕まったそうだ。
だから父は何十回と兄を殴ったようだ。
本当にイジメっ子に命令されてやったのか、兄が嘘をついていたのか。兄はもういないから、今となってはあの日の事実は分からない。
父と義母は2人で何か揉め始めた。
兄を次の日、学校に行かせるか行かせないか。
父と義母の話し合いの結果、兄はインフルエンザということにして小学校を休ませることにしたらしい。
行き過ぎた暴力のおかげで
3日後、また父と義母が揉めている。
学校の先生から連絡があったようだ。
病院から貰ったはずである、インフルエンザを発症した日が分かる物を提出するようにと言われたそうだ。
インフルエンザは登校禁止期間がある。
医師が何日間は外出しないようにと患者に言うものだ。
登校許可が出る日時が決まっているはずだ。
だが兄はインフルエンザなどにはかかっていないのだから、そんなもの準備できない。
義母は父に「インフルエンザなんて言うからこんな面倒なことになったんだ!」的なことを言っていた。
兄の顔を見ると、多少腫れは引いていた。
だが青あざは、3日ぐらいじゃ消えないだろう。
兄は学校を休んでいる間、義母と何をして過ごしていたのだろうか。
リビングに鍵をかけているから、自分の部屋とトイレの往復の生活だろうか。
どうやら、義母は一生懸命になって兄の顔を冷やしていたらしい。
この行為を優しさだと受け取る兄が、容易に想像できた。
兄が3日ぶりに登校した日、私のクラスで身体測定があった。
クラスの子と保健室に行くと、兄がいた。
ベッドの前には白いカーテンがあったのだが、そのカーテンの隙間から兄が見えた。
ベッドには兄と、兄の顔に氷嚢を当てている保健室の先生がいた。
兄の横で、保健室の先生が兄の顔を覗き込み座っている。
静かに2人で何か話をしているようだった。
保健室の先生は、心配そうな、悲しいような、怒っているような強い目で兄を見ていた。
この日は凄く天気の良い日だった。
陽の光が強く、白いカーテンに光がそそがれ、とてもキラキラしていた。
保健室独特の静かな雰囲気もあったからか、カーテンの隙間から見えた兄と保健室の先生はひどく美しく見えた。
周りのクラスメイトの子たちの「誰だろー」とか「顔ケガしてるみたい」と言っている声が聞こえる。
ひどく美しい兄と保健室の先生を数秒見た後、私は全てを無視した。
兄は別人のように腫れていたので、誰も私の兄だと気が付かなかったみたいだ。
無言で立っていた。
何にも反応せず、宙ぶらりんになった感情でその場に立っていた。
この数日後、兄弟3人で児童養護施設に行くことになった。
大人になった今、父や義母が何をしたのか、したかったのかは分かる。
父は兄を何十回と殴ったことは、自信ありげに”しつけ”だと主張した。
自分は厳格な良い親なのだとでも思っていたのだろう。
私にはあの日の夕食時の父と義母に対し、そう見えた。
あの時はアドレナリンでも出ていたのだろう。
だがふと冷静になると恐れたのだ。
他の大人たちに責められるのではないか。
これは虐待になるのではないだろうかと気がつき、恐れたのだ。
だがそれでは格好が付かない。
だから目を背けたのだろう。これは暴力だと、超えてはいけない一線だと気がついたが認められなかったのだろう。
自分から目を背け、トボケたのだ。
全ては格好悪い父親、格好悪い人間になりたくないという一心、プライドだ。
父は、
「あいつ(兄)が(万引きを)やりやがった」
「あいつは、もうだめだ」
「あいつは犯罪者だ」
あの日そういったことを言っていた。
私は当時、完全に父と義母に洗脳されていた。
だから普段、兄弟や自分が殴られた時、それは全面的に自分たちが悪いと思っていた。
でもこの日初めて、父と義母に対して疑念に似た嫌悪が生まれた。
怨念と言ってもいいかもしれない。
言葉にも態度にも決して外に出さないよう努めたが、この大人たち、おかしい気がする。そういう感情が心の奥底で芽生え始めていた気がするのだ。
今まで暴力を振るわれることなんて日常茶飯事だった。
でもあの日、兄への暴力が振り切り、鏡越しに兄の顔を見た時、兄が全面的に悪いとどうしても思えなかった。
殴られた側の兄自身も当然、親の洗脳の中にいた。
多分兄は保健室の先生に優しくされるあの時までは、父と義母に対して何の疑問も抱かなかったと思う。
自分が悪いことをしたのだから、これだけ殴られるのは当然。と思っていたと思う。
私も私で、心の奥底に怨念が芽生えたというのに、その自分の心に従えなかった。自分の心に自信を持てなかった。自分の心を信じられなかった。何も行動を起こすことができなかった。
私はなぜ2年間も親の洗脳から目を覚ます事ができなかったのだろうか。と児童養護施設に入ってから何度も考えていた。
施設の子の中には親を早々に見限り、下の兄弟のために万引きをしながら暮らしていた子がいた。逆に親に反抗し、殴ったり蹴ったりと暴力で抵抗していた子だっていた。
その子たちの話しを聞いていたら、自分は自分の意見も意思もなく、意思を言う事もできない弱い人間なのだろうと思った。
だがあの日、保健室の日だ。
あの日はラッキーな日だった。
なぜなら、父が理性をなくしてくれたおかげで、
兄が父から振り切った暴力をうけてくれたおかげで、
父と義母が、馬鹿で頭が軽かったおかげで、他の大人たちにバレてくれた。
そしてたまたま保健室の先生が優しく熱い先生で、面倒事を請け負ってくれた、ラッキーな日だったのだ。
これらのラッキーが重なり、私の洗脳された日々はたったの2年で終わった。
あの日、殴られたのが私だったなら
兄が先日、自殺してしまった。
その理由の発端がこの出来事なのかは、もう分からない。
ただ兄は独り言を言うようになった。見えない誰かと会話するようになった。
この精神症状が現れたのがこの出来事以降なのは事実だ。
あんなことが起きてしまったのにも関わらず、私は兄にありがとうと思っている。
それは、私には父と義母からの洗脳を解くことができなかったからだ。私は弱かったからだ。
兄が父から殴られたあの日がなければ、私は父と義母に人生を狂わされていただろう。自分の人生なんて歩んでいなかっただろう。今の幸せを手に入れていなかっただろうから。
薄情なんてものではない。私は兄の犠牲の上にある幸せを、今最大限に享受している。でも一番悪いのはそのことに対してあまり悪いと思っていないことだ。
殴られたのが私ではなくてよかった。父が馬鹿みたいに制限せず兄を殴ってよかった。父と義母が馬鹿で、学校にインフルエンザと嘘をついてよかった。顔の腫れが引いていない状態の兄を学校に登校させるような馬鹿な親でよかった。
父と義母が馬鹿で本当にラッキーだった。
夢を見たことがある。
自殺した人は天国でも地獄でもなく、真っ黒な暗闇を永遠に彷徨い歩く。狭間に入ることになるから、次の命には行けない。真っ黒なはずなのに何か見える気がする。幻覚の中を歩き続ける。
きっと何かの本に影響されて、こんな夢を見たのだろう。
兄に対してこんなことを考えている私は、いつか、兄に真っ暗な狭間に連れて行かれやしないだろうかと、ふと思う時がある。
でも私は十分に幸せを享受した。
多分、兄が生涯で感じた幸せの回数の倍は享受した。
やはり、この世に平等などないのかもしれない。
私は性根が悪い。
今こうやって兄が自殺したことや毒父のことを文章にまとめ上げ、面白がっているのがその証拠だ。
ブラックな職業の看護師をしていても、精神を病まなかった。
毒親に愛情など求めやしないし、私の世界の外に容易に追放した。
兄が自殺しても、精神を病まなかった。
毒親について考え、精神を病むことなどない。
毒祖母に次に会うのは葬式だし、毒父には絶縁状を郵送しようと企んでいるぐらいだ。
つまりあの日、殴られたのが私だったのならば、兄ほどの精神的なダメージを負わなかったと思うのだ。
殴られたのが私だったとしたら、きっと今頃、父が私を殴っている様を高々とリアルに悲惨に文章にして面白がっていたと思う。
この文章だって父にバレたらいいと思っている。
私の文章を読んで、死にたくなってくれたら幸いです。
兄はきっと、私のように鈍くはなかったのだ。
やはり、この世に平等などないのだ。
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