【映画批評】伝説のカンフーマスター!ジャッキー・チェンのここがスゴい!4つの秘密
男なら子供の頃誰しもが憧れた世界的アクションスターの秘密に迫る──
格闘家と同じように、「カンフーアクション俳優は本当に強いのか」という問いがある。確かに気にはなるが、いささか幼稚な問いだと言わざるを得ない。彼らの主戦場はリングではなくスクリーンなのだ。カンフーは俳優としてのひとつの側面に過ぎないし、カンフーが強いからといって、俳優として成功を収められるわけではない。
ジャッキー・チェン(成龍)はその点において最強で最高のカンフーアクション俳優だ。その凄さを「カンフー」「アクション」「映画作り」「仲間」という4つの視点で説明してみたい。
視点①
美しすぎるカンフー演武
ジャッキー・チェンは本当にカンフーが強いのか?——正直これは愚問だ。
映画として「すげえ!」と見せる演武と、実武道としての強さがイコールであろうはずがないからである。先輩であるブルース・リーは実際に強かったという証言も多いが(ジャッキーもそう言っている)、スクリーン上での“見せるカンフー”という点では、ジャッキー映画のスピーディーなスキのない組み手に比べると緩慢さがある(ただ、実戦的な迫力はある)。
7歳から10歳まで中国戯劇学院で京劇や中国武術を学んだジャッキーと、詠春拳の達人・葉問(イップ・マン)のもとで13歳から5年間修行したリアル格闘家のブルース・リーとでは、同じカンフーアクション俳優でもルーツが異なるのだ。
ただ、ジャッキーの身体能力は驚異的である。憶測だが、実戦をやればそれなりに強いことは想像に難くない(獣神サンダー・ライガーと試合をするという噂もあった)。
見せるためのカンフーでもいいじゃん。だって『スパルタンX』で見せたベニー・ユキーデとの一戦なんて問答無用にかっこいいんだもの!
視点②
命をかけたアクション
全盛期だった80年代の作品は現代劇が多いこともあり、生活空間や町中で戦うシーンが数ある。テーブルや椅子が武器に代わり、自転車や車、バイクで街を破壊しながらのチェイス。壁や門柱を猿のように登り、高いビルからダイブする。ジャッキーに出会うまでこんな超人的な動きをする俳優を観たことがなかったわけで、カンフー以上にアクションに感動したものだ。
真骨頂は、その度を越した過激スタントシーン。有名なのは『プロジェクトA』での時計台落下だ。約20メートルの時計台から庇を破りながら地面に落下する。このスタントをやるかどうか1週間悩んだそうだが、都合2回トライしたとのこと。エンドロールのNG集に収録されている1回目の落下で、ジャッキーは大怪我(頚椎損傷)をしている。この命がけのスタントで『プロジェクトA』が自他ともに認める代表作になったといえよう。
なお、各作品(1981年頃以降)のエンドロールに収められたNG集は、ジャッキーとスタントマンたちの血と汗が滲んだアクションであることを再確認できる貴重なドキュメンタリーだ。このNG集で、ファンは『ジャッキーは俺たちのためにここまで体張ってんのか』と涙するのである(知らんけど)。
ちなみにスタントに頼らず(実はスタントチームもあるんだけど)自らアクションに体を張るのはサニー千葉こと千葉真一の影響らしい。
視点③
コミカルなカンフー映画
1970年代頃までのカンフー映画は、家族や恩師を殺されてその復讐を成し遂げるといったシリアスな内容が基本だった(その中でも名作は多々あるけれど)。ジャッキーはその常識をぶち壊し、香港カンフーアクション映画のヌーベルバーグを作り出した。
ジャッキーは、キャリアの滑り出しから順風満帆ではない。中国戯劇学院のあと60年代からスタントマン等で映画に出始め(デビュー作は1962年の『大小黄天覇』)、1970年代初頭はブルース・リー主演の『ドラゴン怒りの鉄拳』『燃えよドラゴン』にモブキャラとして出演したが、鳴かず飛ばずの現実に俳優業をストップしたことも。
俳優復帰後に「成龍」になったのは1976年。『少林寺木人拳』『成龍拳』などに出演するも、従来の暗いムードの復讐劇でヒットには遠く及ばず……ブルース・リーの急死もあって、既定路線のカンフー映画は受けなくなっていたのだ。
打開策を模索するジャッキーは、ストーリーや演出にコミカルさを盛り込むことを思いつく。主人公も2・5枚目的なキャラを目指すようになり、そしてできたのが『蛇拳』『酔拳』『笑拳』の3部作(『笑拳』は初の監督作品でもある)。アジアで大ヒットし、その人気を不動にした。ジャッキーはカンフー映画に再び人気を取り戻した中興の祖でもあるわけだ。
ジャッキーが参考にしたのはサイレント映画だ。ハロルド・ロイドやバスター・キートンといったコメディアンの所作を研究して、ドタバタ喜劇の要素をカンフーアクションと融合させた。『プロジェクトA』の時計台落下も、ハロルド・ロイドの『要心無用』(1923年)が元ネタだというのはファンには有名な話だ。
ジャッキー流の明るいカンフー映画は、放送コードの面でも比較的安心で、家族で安心して観られるようになった。映画館で、そしてテレビの洋画劇場であれだけ放送されたのも納得である。
視点④
80年代に活躍した3兄弟
ジャッキー・チェンを語る時、切っても切れないのがサモ・ハン・キンポー(現/サモ・ハン)とユン・ピョウだ。サモ・ハンは中国戯劇学院「七小福」の先輩、ユン・ピョウは後輩にあたる。「七小福」とは、中国戯劇学院の優秀な生徒で形成される集団のことだ。
『プロジェクトA』『スパルタンX』『五福星』などでのトリプル主演はそのキャラクター性や三位一体感がバチハマりし、3人ともに香港映画のトップスターとなる。1980年代のジャッキー黄金時代を作り上げた同士、3兄弟と言えよう。
彼らに共通するのは、俳優であり映画人としての才能だ。要は、先見の明がある。80年代という時代にフィットするカンフー映画スタイルを作り上げたのもこの3人だし、ジャッキーはいち早くハリウッド進出し(『バトルクリークブロー』1980年)、90年台以降は主にハリウッドで活躍。サモ・ハンはキョンシー映画ブームを作り出し、90年代ハリウッドのカンフーブームでもジャッキーとともに第一線をはった。ユン・ピョウは80年代以降、一時その活躍の軸足を日本に置いていたが、今も変わらず中華圏で俳優、タレントとして堅実に活躍している。
この3人がいたからこその香港カンフーアクション映画のヌーベルバーグは起きたのだ。
どうだろう、ジャッキーが“カンフーだけの俳優ではない”ことがおわかりいただけただろうか。改めて言おう、ジャッキー・チェンは最強なのだ。
取材・文=牛島フミロウ
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