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【写真家・近未来探険家 酒井透のニッポン秘境探訪】岡山県津山市の脳味噌のある博物館『つやま自然のふしぎ館』

 岡山県津山市内にある「つやま自然のふしぎ館」に、来館者の目を引きつけている展示物がある。ショーケースの中に展示されているのは、ホルマリン液に浸された実物の臓器だ。

昔の高等学校を改築した建物

 『脳』、『肺』、『心臓』、『肝臓』、『腎臓』、これらはすべて1人の人間の体内から取り出されたものだ。

臓器は、第2室「人体の神秘」と題された展示室の中央にあるショーケースの中に展示されている


 そのすぐ上に『遺言書』の写しが貼られている。
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 遺言書

 法律の許す範囲に於いて自分の死体を医者に付しその中に、尚次の内蔵諸器管(原文ママ)を生理学標本として教育科学館の博物館に寄付したし

(略)  

昭和39 12 4 森本慶三

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 この遺言書を書いたのは、「津山科学教育博物館」(現在の「つやま自然のふしぎ館」)の創設者であり初代館長の森本慶三だ。

臓器の標本の向かいには森本慶三本人の肖像写真が

 明治8年、岡山県津山町(現在の津山市)生まれ。幼少の頃から勉学に勤しみ、青春時代に内村鑑三が書いた『求安録』と出会い感銘を受ける。高校を卒業すると内村鑑三に師事するために明治33年に上京しクリスチャンに改宗した。

 本来、森本は、家業の錦屋を継ぐことになっていたが、本人がその道を選ぶことはなかった。現在の館長で森本慶三の孫にあたる森本信一さんはこう語る。

「森本慶三は呉服商『錦屋』の後取りであったわけですが、東京に出て宗教家と巡り会い、学問に触れたことで日本の先進的な考えが入ったのでしょう。商人というのは、色々なことを腹に収め下手に出てなければいけません。やる気にはなれず自分が家を継ぐ番になって辞めたわけです」

 昭和38年に開館した「つやま自然のふしぎ館」には世界の希少動物や珍奇動物などを中心として、化石や鉱石、貝、蝶、昆虫類などの標本などが展示されている。その総数は2万数千点に及び、その収蔵数は西日本の博物館でもっとも多い。

ワシントン条約が締結される前に集められた剥製の数々


 ここにあるのは、自然界に秘められた神秘に対する驚きと宗教者としての視線である。他の動物よりも発達した人間の生殖力や繁殖力に注目していた森本は、当初から人間の臓器を展示しようと考えていたのであろう。しかし、法律的な問題をクリアできたとしても、他人の臓器を展示することはできない。そこで自らの臓器を展示することを思いついたのではないか。

  写真を撮っていると、展示物を見ていた来館者が、ショーケースの中に展示されている臓器が、この博物館を作った人物のものだったことを知って驚いていた。人体そのものの展示が珍しくなくなっても、このようなものを展示しているところは他にはないだろう。

 ここには人体に対する森本慶三の畏敬の念が詰まっているのだ。

初代館長、森本本人の脳


写真・文◎酒井透(サカイトオル)
 東京都生まれ。写真家・近未来探険家。
 小学校高学年の頃より趣味として始めた鉄道写真をきっかけとして、カメラと写真の世界にのめり込む。大学卒業後は、ザイール(現:コンゴ民主共和国)やパリなどに滞在し、ザイールのポピュラー音楽やサプール(Sapeur)を精力的に取材。帰国後は、写真週刊誌「FOCUS」(新潮社)の専属カメラマンとして5年間活動。1989年に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定第117号事件)の犯人である宮崎勤をスクープ写する。
 90年代からは、アフロビートの創始者でありアクティビストでもあったナイジェリアのミュージシャン フェラ・クティ(故人)やエッジの効いた人物、ラブドール、廃墟、奇祭、国内外のB級(珍)スポットなど、他の写真家が取り上げないものをテーマとして追い続けている。現在、プログラミング言語のPythonなどを学習中。今後、AI方面にシフトしていくものと考えられる。
 著書に「中国B級スポットおもしろ大全」(新潮社)「未来世紀軍艦島」(ミリオン出版)、「軍艦島に行く―日本最後の絶景」(笠倉出版社 )などがある。

https://x.com/toru_sakai

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