『SLAM DUNK』に対するクソデカ感情
『SLAM DUNK』の映画が公開されているので、復習してから観に行こうと思ってコミックスを読み返し、途中で読む手が止まっている。
『SLAM DUNK』がつまらないからではない。『SLAM DUNK』はおもしろい。死ぬほどって言葉好きじゃないけど死ぬほどおもしろい。死ぬほどおもしろいが極まると生きる力が増す。ただ、わたしが漫画を描く人だったら、この完璧な漫画を前にして心が死んでるかもしれない。それくらい、『SLAM DUNK』はおもしろい。
それなのになぜ読む手が止まっているのかと言うと、なんか、はじめて『SLAM DUNK』を読んだ高三の夏の感動を上書きしたくないって思ってしまったからだ。
高三の夏。高三の8月。わたしは1日から31日にかけて、1日1冊だけ『SLAM DUNK』を読むという謎の日々を過ごしていた。(勉強しろ)
1日1冊『SLAM DUNK』というのは、甘美な拷問だった。この漫画を読んだことがある人はわかると思うけど、途中から続きを貪りたくなる。1日1冊で読むのを止めた当時のわたしの忍耐すごい。
高校生活最後の夏とともに幕を下ろした『SLAM DUNK』は最高だった。『SLAM DUNK』の、あの、物語は終わったけど終わった気がしない、まだ永遠に続きそうなあの感じを、ここまで重く鮮明に感じた読者は、リアルタイムの読者をのぞけばわたしくらいでは? と思うくらいの放心だった。
あれは最高の夏だった。
諸事情あり青春らしい青春を経験していないわたしの、なによりも青春感のある青春が『SLAM DUNK』だった。どんなに楽しい漫画タイムだとしても、あの感動を、夏を、上書きしたくない。
――という理由で、『SLAM DUNK』を最後まで読み返せない。
たぶん、読み途中のコミックスはこのまま21巻で止まったままだし、映画は観に行かないんだろう。クソデカ感情はちょっと死語気味だし、わたしはめんどくさい読者だと思う。
だけど感情がクソデカいのだ。
湘北高校バスケ部のみんなと駆け抜けた高校最後の夏、そのままでフォーエバー。
ちなみに三井が好きです。