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転機たち

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不登校やキャリアなど、これまで立ちはだかってきたいくつもの転機から、何が学べるか。
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#抑うつ

1年前の僕へ。

ちょうど1年前、休職中の2020年12月5日。 初めての日記には、「1年後の僕は幸せですか?」との問いかけが。 不安で押しつぶされそうになっていた1年前の自分に、そしていつも支えてくださっているnoteの皆様に、本日はご報告があります。 かなり長くなりますが、お付き合い頂けましたらとても嬉しいです。 ご報告昨日、2021年12月4日。 私は学生時代からお付き合いしている方にプロポーズを致しました。 お恥ずかしながら、花束とお手紙を手に、「結婚してください」とお伝えしたところ

私の減薬の過程について

昨日の「減薬開始」の記事に、多くのスキをいただきましてありがとうございます。 そのなかで、 「減薬について、どんな過程で進めていくのかなど気になっているので、またぜひ記事に書いていただけますと嬉しいです!」 というコメントを頂きましたので、詳しく書いていきます。 コメントしてくださった”つよがり”さん、ありがとうございました! 私は医学的なことは何もわからないので、一患者としてお医者さんと話したことや経験を中心に書いていこうと思います。 簡潔にまとめますので最後までお

減薬開始

先週末は通院でした。3週間ぶりですが、時の流れが早く感じます。 この間あったことや、引越しを考えてることを伝えて、先生と歓談。 その様子を見て、順調だとの判断から、当日処方の分より減薬されました。 具体的には、スルピリドという薬を従来の半分に。 段階的に減らしていくとのことで、もう一種類のロラゼパムという薬はそのままの量でいきます。 「何も変わらないと思うよ」と先生には言われました。私もそう思う。 ただ、薬を減らしていくという明確な目標に対して、少しばかりの不安も無きにし

脱皮の時期なのか

もちろん、今は元気なんです。 でも、抑うつになる前の柔軟性というか、変化に対する耐性というものが、少しづつ失われてしまってきている気がして。 こんにちは。唐突に何事かと。 今日はある会議にて、今後業務をどうしていくのか、改善点を出し合うといったような議題がありまして。 それまで脈々と培われてきた業務の上に、今ののんびりした私の働き方がありますが、その根底が「改善」の名のもとに切り崩されるんじゃないかという恐怖(大げさ)を感じました。 改善案を出していくということは現状のま

逃げることは恥ではない、と思う。

休職から1年経ちました。 2020年9月24日に休職生活に入った私は、当初1ヶ月程度で戻れると思っていましたが、気がつけば3ヶ月が経ち、結果的に7ヶ月も休職しました。 この7ヶ月は、自分とひたすらに向き合った、試練の7ヶ月でした。 「抑うつ状態」と診断された当時の私は、帰省して家族や友人にも会えない、デートもできない、出かけられない。そうした状況でストレスをため続け、いやいや仕事をする中で数字も上がらず、いつの間にか出社時に嘔吐くようになっていました。 コロナがなければ問題

復職から1か月(後編)

前編はこちら 転機は、突然人事部に呼ばれ異動を告げられた時。 志望に近い部署に、特殊な形ではあるが行ってみないかという提案。 詳しくは下記。 人事本部付になるという、とても特殊な形だったので、そこの意図を図りかねて即答はできなかった。 でも、心は決まっていた。 翌日から、営業部ではなく人事本部付となった。 今の会社において「~本部付」は、退職する人が、退職までの間引継ぎ業務を行う際の最後の肩書であるため、何も知らない同期や後輩や先輩からは 「辞めるの?」 と心配された。

復職から1か月(前編)

2021年4月26日(月)。 私は213日ぶりに元いた会社に出勤した。 大安であった。 当時の日記には、 「半年ぶりの通勤中。体調は良好。天気も良く晴れている。 不安は大きい。でも何とか今は前を向けているので、ボチボチやっていこうと思えている。」 とある。 この時は、新しい部署になるということで心機一転の気持ちと、 旧知の方々が休職中に辞めたことによる不安が心を占めていた。 復職なんて人生にそうそうあることではないから、 どんな心持ちで臨めばいいかわからない。そんな朝だ

25歳、決意の退職(後編)

前編はこちら 帰路、ずっと考えていた。 「私が君なら、辞める。君にとって、その方がいい。」 その意味は。その意図は。行間に何かあるのか。 考えたけれど、あの方の瞳はまっすぐに私を見つめていた。 歩きながら、家族に電話をかけるころには、「辞める」という決意が揺るぎないものになっていた。 大阪の母親は1コールで出た。先ほどあった出来事を話し、 「いろいろ悩んだけど、やっぱ辞めるわ」と伝えた。 両親の反応は意外というか、「お前が決めたのならそれでええ。好きに生きろ」とのこと

25歳、決意の退職(前編)

私は、すごく迷っていた。 「ここは自分のいるべき場所なのか?」と職場に疑問を持ち続けていた。 それでも何か得られるべきだと期待して、自分なりに能動的にも働いていた。石の上にも三年という言葉もあるし。 その結果、無理が集って徐々に疲弊し精神が保てなくなり、「抑うつ状態」と診断されて、半年間の休職。どん底の半年間だった。 この間、家族や友人を初め多くの人に支えられながら、「生きているだけ」状態から「ちょっと前向きに生きられる」ようになった。 そして先日、半年ぶりに復職した。