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【活動報告】大宅壮一文庫見学

みなさんこんにちは、Lakkaです。
2月7日に大宅壮一文庫の書庫見学をさせていただきましたので、そのレポートをしていきたいと思います。


大宅壮一文庫とは?

公益財団法人大宅壮一文庫は日本で初めての雑誌図書館です。評論家・大宅壮一(1900-1970)の雑誌コレクションを引き継いで、明治時代以降150年余りの雑誌を所蔵しています。
 大宅壮一文庫では雑誌記事索引データベースを作成しており、主な所蔵雑誌の記事を検索することができます。また、雑誌原本の閲覧や複写もできます。
大宅壮一は「本は読むものではなく、引くものだよ」と言っています。評論活動のかたわら、執筆のために資料収集と整理に力を尽くした大宅壮一らしい言葉です。
 生前、大宅壮一はことあるごとに古書市や古書店に通い、約20万冊の蔵書を遺しました。そのコレクションのほとんどは雑誌で占められており、自ら“雑草文庫”と称して、知人に惜しみなく開放していました。
 大宅壮一没後の1971年、大宅壮一文庫はマスコミはじめ各界の援助により設立されました。「蔵書は多くの人が共有して利用できるものにしたい」という故人の遺志により、雑誌図書館として一般に開放され、現在では年間約10万人の利用者を数え、多くの皆さまに活用されています。

大宅壮一文庫公式サイトより

所蔵タイトルは約1万3000種、所蔵冊数は約80万冊です。創刊号だけで8000誌ほどあり、現在も年間約600タイトル、7000冊が増加しています。

特徴的なのは”大宅式分類法”という独自の分類法。「大項目33 中項目695 小項目約7000」と非常に細かく分かれており、ノイズの少ない検索が可能です。最近リニューアルしたばかりの雑誌記事索引検索システム”Web OYA-bunko”では、初めて利用する人でもよりわかりやすく便利に使えるようになりました。

↓↓ 公式サイトはこちら ↓↓

イベント概要

イベントの概要は以下の通りです。私はウィキペディアンとしても活動しているのですが、そちらで何度か大宅壮一文庫とご縁があり、今回のイベントの開催に至りました。

目的

  • 大宅壮一文庫について知る

  • 雑誌からその時代のことばを知る

  • 死語をはじめとすることばの採集

当日の流れ

  1. 職員の方によるデータベース等のご紹介

  2. 書庫見学ツアー

  3. まとめ

レポート

職員の方によるデータベース等のご紹介

過半数が大宅壮一文庫の利用は初めてということで、職員の方に「大宅壮一文庫とはどういった施設なのか」ということや、データベースの使い方を詳しくレクチャーしていただきました。
ちょうど検索室が混雑しており書斎を使わせていただいたのですが、事典や年鑑といったレファレンス資料がずらりと並ぶ光景は圧巻でした。

復元された大宅壮一の書斎

個人的には大宅壮一の「本は読むものではなく引くものだ」ということばが印象に残りました。

ぼくは本は読むものでなくて引くものである、という考え方でね、必要に応じて、その本がすぐ引ける形になっていなければいけない。だから、一冊の本は百科事典の一つの項目とみるわけですね。

菊池寛賞受賞時の対談(『週刊朝日』1965年3月12日号)

確かに、どの本のどこに何が書いてあるかという情報はとても大切です。それを覚えていなければ、ある知識は不確かな、再現性のない情報にしかならないからです。
詳細な分類を特徴とする大宅式分類法は、こうした大宅の信念に沿ったシステムであると言えるでしょう。

書庫見学ツアー

書庫は閲覧室がある2階の奥、検索室がある1階の奥、そして地下という構造になっています。

まずは2階。
閲覧室がある2階には、よく請求されるという週刊誌がずらり。ちなみに下の写真に写っている本棚は特注だそうです。雑誌が限界まで詰め込んであるため東日本大震災でも崩れ落ちなかったとか…

本棚も床も木製。歩くとミシミシ音がします。

どこを見渡しても天井まで雑誌が詰まっています。最近自宅の本棚が足りなくて困っていたのですが、これを見るとうちの本棚なんてまだまだ余裕があります。やはり無理だと思ってからが始まりのようです。

1階に下る階段はこんな感じです。良すぎる。

1階に来ました。
『文藝春秋』の棚です。歴史を感じますね…

どんなに古い資料でも保管より利用が優先だそう(すごい)

『暮しの手帖』1971年早春号を見せていただいています。
この号で「国語辞典をテストする」という特集が組まれ、辞書界に激震を与えました。いつか辞書特集雑誌に関する企画もやりたいですね。

親亀子亀🐢

いよいよ地下へ入ります。
1階と地下は集密書架のため、通路側にこのような貼り紙があります。太字になっているものは全て索引があるそうです。すごい。

無限『ムー』棚もあります。

こちらは女性ファッション誌『ar』。背がパステルカラーでかわいい!と盛り上がりました。特にファッション誌や文芸誌は雑誌ごとに背に個性があり、見ていて楽しかったです。

なぜか広辞苑第六版がありました。広辞苑すら小さく見えてしまうくらいに雑誌の圧が強い。

1時間半かけて見学させていただいたのですが、それでも時間が足りない!ここから出たくない!と思うほど楽しい時間でした。

まとめ

書斎に戻り、1日のまとめ…をする前に書斎見学が始まりました。
大槻文彦の『大言海』や各種百科事典、年鑑、現代用語の基礎知識など、貴重な資料が多く揃っていました。

よく見ると大言海が写っています

下の写真は現代用語の基礎知識。上が創刊号復刻版(1948年度版)で、下が1971年版です。製本ギリギリだったのでは…?という感じの分厚さ。

ウィキペディア関連のイベントでは書斎で盛り上がることはなかったので、書斎の資料だけでいくらでも話せてしまうのは辞書好きならではだと思いました。書斎をひととおり見せていただいた後、それぞれが書庫見学やレクチャーを通して気がついたことや面白いと感じたことを発表しました。

参加者による感想

ふずく

やあやあどうも、ふずくでございます• ᴥ •
いや〜〜すごかった大宅壮一文庫!!

なにがすごいって、その蔵書量。
見渡す限り雑誌雑誌雑誌。もう雑誌まみれ。
個人的にはムー棚と歴史人棚に興奮しました。オレの青春。

印象に残っているのが、「大正13年にはどんなことがあってどんな人気者がいたか、というような民衆のライブラリーをつくりたい」という大宅壮一氏のことばです。

職員の方も仰っていましたが、一見、大宅壮一文庫は雑誌専門の施設のように見えます。私も最初そう思っていました。
しかし、実際に書庫を巡ってみて感じるのは、ここはあらゆる時代の、あらゆる文化の集積であるということです。

ずらりと並んだ背のタイトルを見て「あのときあんなことがあったなあ」と思いを馳せるとき、私たちはその時代の記憶を取り出して、反芻しています。

雑誌には馴染みがないと思いこんでいた私でさえも、実物を見ると昔読んでいた雑誌や、そこに紐ついている、すっかり忘れていた出来事を思い出しました。
まさに大宅氏の意図したとおりとなっているわけです。
ほんとうに素晴らしい施設だと思います。
そして、それを維持されている職員の方々のご尽力にも感動しました。

また、もう一つ感動したのがWeb OYA-bunkoの精度です。
(興奮のあまり職員の方にたくさん質問してしまいました)

検索条件の組み合わせ方や検索結果の解説をしていただきました。
いや〜すごい。本当に抜け目がない。漏れがない。
使いこなすことさえできれば、必ず特定の記事に辿り着くことができる。

ジャニーズや個人の芸名など、名称が目まぐるしく変わるものは、世間で目につくようになってきた、職員さんのことばを借りれば「浮かび上がってきた」タイミングでデータベースに反映させるとのこと。
改名前の名前と相互参照できるほか、あえて「ジャニーズ事務所」と「STARTO ENTERTAINMENT」(タグ名はうろ覚えです。あしからず)を別にすることで、より細かい単位で記事を探すことを可能にしています。

このようなことばの移ろいに機敏に対処する姿勢や、情報にたどり着く導線の整備の方法は辞書に通じるものがあります。

学び多きよい日でした。
大宅壮一文庫の皆さま、ありがとうございました。
ではでは• ᴥ •

葵井

世間では多種多様な書籍が日々刊行され、私たちはその恩恵を享受しています。しかし、我々若年層にとって「雑誌」と区分される書籍は少々縁遠く感じるものです。私たちを案内してくださった職員さんも仰られていましたが、雑誌はその定義付けが容易ではありません。芸能雑誌や経済雑誌、科学雑誌など多くのジャンルがありますし、同一カテゴリー内においても複数の雑誌が刊行されています。大宅壮一文庫は専門性の高い雑誌も取り揃えつつも、市井の人々が読むであろう週刊誌を重点的に所蔵されていました。

21世紀に生まれた私たちがインターネットという文明の利器を用いれば、ある程度まで過去を知ることは可能です。しかしそうして得られる情報は断片的、かつ正確性に乏しいものである可能性も高くなります。

大宅壮一文庫が独自に開発したデータベースでは雑誌の各号について単にその書籍情報を記載するのではなく、各号の大まかな内容がいわばタグとして登録されており、関連するワードを検索するとリストアップされるようになっています。こうすることで検索の効率性が格段に向上しているように思えました。

余談にはなりますが、書斎には先述の通り数多くの辞書や目録等が整然と並べられていました。その中で「日本現勢」という、各都道府県各自治体の情報や国内の産業構造といった詳細な情報が記載された図書が目に留まりました。非常に興味深かったのは、数ページおきに見開きで複数の広告枠が設けられ、その枠内に前ページまでに取り上げられた都道府県内の自治体が広告を出していた点です。「観光漁業都市石巻市」など、各都市がその良さをキャッチフレーズと絵で表現しており、当時からこうした言わば振興・まちおこしのような活動が行われていたことを知りました。(携帯電話の不具合により肝心の自治体が出した広告の写真が撮れておりませんでした、申し訳ありません。)

3時間ほどで各階のありとあらゆる書籍の表紙に目を通し、明治時代から今日まで連綿と受け継がれる出版業の系譜を辿ることができました。今回はお忙しい中貴重な機会を設けて下さいましてありがとうございました。

Lakka

書庫だけではなく、書斎をじっくり見たのは今回が初めてでした。
印象に残っているのは、書斎に何種類もの年鑑があったこと。大宅壮一は一種類ではなく、何種類かを比べなくてはならないという考え方を持っていたようで、それが反映されたのが現在残っている書斎の蔵書だそうです。これは、同じジャンルの辞書を大量に買い集める私たち辞書オタクと通ずるものがあります。

大宅は「つまらん本ほどいいんだ。一時大衆の間に圧倒的に受けて、今はもうゴミダメの中にあるものがいいんだな」ということばを残しています。
数日前にX(旧Twitter)でこんなポストを見かけました。

大宅は自身の蔵書のことを”雑草文庫”と呼んでいました。珍しくもなんともない、すぐに捨てられてしまうような雑誌を収集し、利用者に提供してくれるのが大宅壮一文庫です。一見単純なことのように思えますが、とても重要な役割であることは間違いありません。こうした資料を利用できることを本当にありがたく思います。

イベントを終えて

辞書尚友として初めての対面活動でしたが、とても有意義な時間が過ごせたと感じています。当初の目的の1つであった「死語をはじめとすることばの採集」や「雑誌からその時代のことばを知る」ことには至りませんでしたが、「大宅壮一文庫について知る」という目的は十分に果たすことができたと思います。今回は雑誌の中身はほとんど見られていないのですが、雑誌の背や表紙から当時の流行や風俗を感じることができました。また、初めて出会う雑誌も多くありました。

今回達成できなかった目的は、次回以降の課題としたいです。参加できずに悔しがっていたメンバーもいるので、またどこかの機会に開催できると嬉しいな、と思ったり。実際に資料を活用した記事を書くことも考えています。

大宅壮一文庫では毎月第二土曜日に書庫探検ツアーを行っているようですので、興味を持たれた方はぜひ行ってみてください。

最後になりますが、ご協力いただいた大宅壮一文庫のみなさま本当にありがとうございました!今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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