エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス
柳さんと見た!
すごく面白かったし見応えがあって書くことがたくさんある気がするのに、何を書くべきなのか一切わからない。適切な言葉が見当たらない。
この映画の感想ってどうすべきなの!?
この映画を見てまず思ったことは、アメリカの映画なのに主要な人たちがアジア系で揃えられていてびっくりした。そして型にはまった“美しい”人を揃えているわけじゃないことも。
でもエヴリンもウェイモンドもジョイもものすごく魅力的で、ずっと画面から目が離せない。
それが役者としての魅力ということなんだろうな〜と思いながら見ていた。
今回は吹き替えで見たんだけど、ジョイ役の種崎敦美がとっても輝いていた!
種崎敦美氏ってスパイファミリーのアーニャや鬼灯の冷徹の芥子ちゃんみたいなきゅるきゅるした声のイメージが強いんだけど、今回の吹き替えではすれて傷付いていて、でもユーモアに溢れるジョイの魅力を余すところなく表現していた。
エヴリンがジョイの彼女であるベッキーを、おじいちゃんに「ジョイのお友達なの」と紹介してジョイの心がぽっきり折れたのを見てから、この映画はエヴリンがジョイと和解する映画なんだろうなと思っていた。
まぁ大まかなあらすじとしてはそうなんだけど、そこに辿り着くまでに2時間かけているし、あまりにも様々、紆余曲折ある。
エヴリンは確定申告に追われている。
夫であるウェイモンドが持っている離婚申請書の話もまともに聞けないくらいバタバタしていて、80歳は超えているであろう父親はうまく歩けないので日々支援が必要で、娘には彼女がいるんだけどその事実をまだ受け入れられていないせいで娘や彼女にうまく接することもできなくて、序盤の20分は「あ〜!全てがうまくいってないよ〜!」とジタバタしながら見ていた。
でも税務署に行ってから物語は180度変化する。ここからはもう、言葉が追いつかない。
マルチバースのウェイモンドがこの世界のウェイモンドの意識を乗っ取ってエヴリンに宇宙を救ってくれ!と頼み、マルチバースの自分に干渉しつつ家族からはじまり今まで関わってきた周囲の人間をあたたかく包み込む映画になる。
言葉にするとこの映画の魅力が何も伝わらない!どうすればいいの!?
ウェイモンドがスティックのりをゆ〜っくり人に見せ付けるように食べるところからこれ何!?の連続で、具体的にいうとウェストポーチ・カンフーが始まる。
ウェストポーチ・カンフーって何!?と思うけど、文字通りウェストポーチを武器にしてカンフーしつつ警備員をバッタバッタと薙ぎ倒していく時間です。
ここで特に好きなシーンは、おもむろに水槽の中のガラスの砂利を一掴みしたと思ったらウェストポーチの中に入れて攻撃力をあげるところ。
かつて水槽の砂利をそんなふうに使った映画はなかったんじゃないかな……身近なものを咄嗟の判断で何にでも武器にする姿勢は本当にクール。
もうこの映画は好きなシーンを羅列するしかない。解説とか説明とかはできない。
とはいえ好きなシーンがあまりにも多すぎる。
まずはジョブ・トゥパキになったジョイがメイクもファッションも七変化しながら警備員たちを次々と美しく殺していくシーン。あんなに綺麗な殺しのシーンは知らない。
相手を紙吹雪にしたり、ジョイの後頭部かと思っていたところをかき分けたら顔が出てきて相手とダンスを踊り出したり、プロレスラーの格好になって相手の首をへし折ったり(オーガニックだったり)……
幻想的なんだけど、超巨大ディルドを武器にしていたりで破茶滅茶。
個人的にはプロレスラーの格好がとっても好き。ゴルフウェアもとっても似合っていた!
あまりにも巨大で強靭な敵だと思っていたジョブ・トゥパキはあくまで自分の娘の別の姿でしかない。ジョイがレズビアンなのも、タトゥーをいれたのも、ジョブ・トゥパキの影響じゃなくてあくまで自分の意思で、ジョイがが選んだ選択なんだよ……
どんなに世界中の人から恐れられていてもジョイはずっと母と話がしたくて、自分のありのままの姿を母親に受け入れてほしいと思っていただけの健気な娘でしかない。
だから見ている間はずっと「エヴリン!ジョイにハグしな!」といっていたけど、ジョイに必要なのって形だけのハグじゃなくて、母との対話とこの人は自分のことを受け入れてくれるという安心感だったんだと最後まで見てようやく気付いた。
例え「よかったね!自分のことがわかって!でも疲れたよ。もう誰も傷付けたくないのにママといるとお互い傷つくし、あたしのことは放っといて!」とジョイから突き放されたとしても、自分が父親に見放されて悲しかったしこりをずっと抱えて生きてきたエヴリンはジョイを追う選択肢を取る。
「私はあなたとどんなことがあってもここにいたい」と伝える。
これってジョイはエヴリンのことが嫌いというわけではなくて、ただその場ではエヴリンのことを突き放さないと自分を保つことができないからとった行動だったのでエヴリンがジョイを追いかけるという選択肢は大正解なのよね……
だってジョイは宇宙の果てまでエヴリンを追いかけたんだから。
だからエヴリンは岩になってもジョイのこと「捕まえちゃお!」ってするんだよ。
そのジョイの全ての気持ちと犬種と個人広告とゴマとポピーシードと塩をのせたものが暗黒ベーグルであるというくだり、かなり好き。
不理解とか分かり合えなさ故の絶望とかも描いているけど、それがベーグルにのっていたりするので重い気持ちになりすぎずに見られる。
あとはどうしようもない敵だと思っていた税務署職員のディアドラとエヴリンの関係性。
最初ディアドラが敵として出てきたときは「愛してる」がジャンプのきっかけだったけど、実はこの愛してるが他の世界のディアドラを救うきっかけになる。まさかこんな脈絡もないきっかけが伏線だなんて思わないよ。
初めてマルチバースに干渉してディアドラと対等に戦えるようになった時にドビュッシーの『月の光』が流れ出すんだけど、この曲は指がソーセージになっていてディアドラと恋人である世界では足でピアノを弾く時の印象的なシーンに使われる。
これであっ、あの時曲が流れたのってもうすでにマルチバースの影響を受けていたからなのか!と気付くことができる。
この人嫌い!関わりたくもない!敵!怖い!と思っている人でも、実はよくよく話を聞いてみると分かり合えそうな要素があったり、マルチバースでは恋人だったりする。
無限の可能性を思い知る。
この映画って愛だけじゃなくて、“無限の可能性”もテーマの1つだと思う。
過去に諦めた、選び取らなかった数多の選択肢が、宇宙で無限の可能性を作り出している。
それと同時に今めちゃくちゃで自暴自棄になってどうしようもないと思っていても、意外となんとかなるかもよ!?と教えてくれる映画だと思った。
遠く離れた世界のフィクションの話をしていると思っていたのに、気付いたら地に足ついたところで話が進んでいて、観客である私たちの手をとって励ましてくれている。
いつの間にこんな近くまで来てくれていたの!?と驚いてしまう。
とはいえアナルプラグに似た形のトロフィーをアナルに突き刺してパワーアップする人たちが2人も出てきたり、愛犬のポメラニアンを武器としてリード付きでぶん回す人が出てきたり、脳みそをアライグマに操ってもらっている鉄板焼き屋の男とかが出てくるのでやっぱり地に足はついてないかもしれない。
見ている間ずっとわかる!とわからない!の間で反復横跳びをすることになる。
エヴリンが自暴自棄になって人生破滅しなかったのは結果的にウェイモンドの助けがあったからこそで、ウェイモンドってこの作品を通すとエヴリンにあまりにも献身的で無償の愛を捧げているように見える。
ウェイモンド→エヴリン→ジョイを含む数多の人々という愛の流れ。
でもウェイモンドがエヴリンのためにここまで動ける理由っておそらく別のマルチバースのウェイモンドがエヴリンに数えられないほどの、言葉に言い表せないほどのものを貰っているからなんじゃないかな。
だからこの世界ではエヴリンにお返ししているだけなんじゃないかなと思った。
ダメダメで弱々しいと思っていたウェイモンドが実はエヴリンを守るために前に立ち塞がってくれるような人であること、共に日々を戦ってくれていたこと、実はエヴリンが信頼できていなかっただけで、ものすごく頼もしくて心強いパートナーだと判明するシーンが!大好き!
ウェイモンドが楽観的に生きてきたのはそれが必要であるからで、何も考えていないわけじゃなくてそういう戦術であるとわかるのくだりで胸がいっぱいになる。
あと最後にエヴリンがおじいちゃんにベッキーを彼女として紹介したくだりも、おじいちゃんがその事実をありのまま飲み込んでベッキーに対して孫の恋人として友好的な態度をとったのも凄いことで、嬉しくて、感極まってしまった。
この映画って都合がいいことがたくさんあるけど、それって数多のマルチバースの中から彼らが選び出して掴み取った選択肢の結果なんだよね。
この映画を見ていると今がどんなに悪くても、めちゃくちゃでも、ひょんなことがきっかけで、なんか、意外となんとかなるかもしれないな……と思う力をくれる。
そういう希望をくれるようなBIGパワーがある映画だった。エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスは。