お金から離れる生き方とは?
こんにちは。かどやです。
現代の人間は、もしかすると非常にお金に捕らわれて生きているのかもしれません。
もしかしたらそれを資本主義と言うのでしょうか。
この世の中の平和を私が考えるのであれば、お金が手に入る方向と社会がより良くなる方向を同じにします。
そうしたら、
国民の裕福になりたい衝動と社会をより良くする方向が一致し、お金持ちとは社会を良くした素晴らしい人とも言い換えることも出来るような、素晴らしい国になると思うからです。
ですが残念ながら、現在の政治や経済はそう上手くはなっていません。
例えば、パチンコ屋さんを考えてみてください。
基本はテレビゲームと同じような娯楽として社会の役にたっているように思うかもしれません。
しかしやはりギャンブルです。
私的に考えればテレビゲームとパチンコはその点で明らかに違うのです。
テレビゲームは純粋にゲームを楽しむためにするものですが、パチンコはお金をかけて、儲かるかどうかも楽しみに入るものなのです。
この世の中でお金が手に入るときは、社会に貢献した時のみが原則が好ましいと私は考えています。
これに真っ向から反してしまうのがギャンブルで、これが昔からご法度となる理由ではないかと私は推察しています。
そしてこれは、何もギャンブルだけに限ったことではありません。
この世の中にあるビジネスとしての不労所得の全てが、私の考えにおいては、社会には不要なものではないかとさえ考えています。
(もちろん福祉は別です)
『金持ち父さん貧乏父さん』というお金持ちになるためのバイブル書が有名ですが、そこにはお金持ちになる秘訣は、いかに働かずお金を得るかにあると書かれております。
私からすれば社会をどこまで悪くするつもりなのかと少しイラっとします(笑)
つまりこれらが、国民の裕福になりたい衝動と社会がより良くなる方向がブレている現状だと思うのです。
そして、実は今の社会ではお金持ちになることすら、国民のためには実はならないのかもしれないのです。
今の日本は、物が無かった時代とは違い、新たに事業を始める人間が少なく、さらにはデフレが長く続いている状態ですので、国内の流通している現金が少なく、皆で少ない現金を奪い合っている状態であるかと思います。
そんな中、お金持ちが独り占めしたら一体どうなるでしょうか?
お金持ち一人のために、何人の方が生活に使えるお金が減ってしまうのでしょうか?
それはもう、『合法的な泥棒』といわざるを得ないことなのかもしれません。
ここで、私の生き方をシェアしておきます。
私はお金持ちとは真逆のことをしています。
お金持ちはお金を多く稼ぐことを目標にしている方が多いと思うのですが、私は真逆です。
今月はたったの八万円で生きることが出来た、では来月は七万円で生きることが出来るようになってみようと目標を立てております。
つまり、私は私の生きるために必要なお金を減らす努力をして生きているのです。
そうすることにより、私がお金を必要としない分、私以外の方に多くのお金が回るようになります。
お金持ちと貧乏人、一体どちらが立派な人間だとあなたは思われますか?