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書籍紹介 永野健二『バブル』

 永野健二著『バブル』新潮社(2016)は、1980年代後半に日本が経験したバブル経済の分析から、その背後にあるメカニズムを明らかにしています。本書は、バブル経済がどのようにして形成され、崩壊し、その後の日本経済にどのような影響を与えたのかを、事例やデータを交えて解説しています。

 1980年代後半に、日本はバブル経済を経験した。バブル経済とは好景気のことではない。特定の資産価格(株式や不動産)が実体から掛け離れて上昇することで、持続的な市場経済の運営が不可能になってしまう現象のことである。

出所:本書(P2)

 バブル経済の影響は単なる好景気とは異なり、経済全体に深刻なリスクをもたらします。筆者は、以下のように指摘し、為政者への対応を求めています。

 資本主義の歴史は、バブル経済とデフレという二つの病の循環の歴史である。数十年単位でこの二つの危機の間を行き来する。やっかいなのは、バブル経済が将来のデフレの原因を育て、デフレへの対処が将来のバブル経済の原因を作り出すことである。
バブルもデフレも完全に防ぐことはできない。しかしその悪影響をできるだけ小さくすることはできる。その手段は「財政政策」と「金融政策」、そして「長期的な構造改革」である。その舵取りをゆだねられているのが内閣総理大臣であり、日本銀行総裁である。
為政者はデフレの先のバブルまでを読み込んだうえで、果敢に対応策を打たなければならない。なぜなら目の前で大きな効果を生み出す政策もまた、将来において大きな副作用をもたらす政策かもしれないからである。
だからこそ、権力の頂点にいる人間には、「英知」と「決断力」に加えて、「謙虚さ」が求められる。「不確かでコントロールできない市場」を理解しつつ、それでも「その不確かさを信頼しゆだねる」謙虚さである。

出所:本書(P3)

 特に、1985年のプラザ合意が日本のバブル経済のスタートを告げる重要な出来事となります。

 1985年のプラザ合意は、バブルのスタートを告げる号砲だった。経済政策が一国だけで完結する時代が終わり、日銀は国外・国内双方の圧力によって長期の金融緩和を余儀なくされた。
企業や銀行、人々の行動も変わり始める。80年代前半の金融自由化によって資金調達や資金運用の手段が増えたことで、企業の「財テク」が盛んになる。バブルを膨らませる大きな要因となった「特金・ファントラ」もこの時期から活発になる。一方、企業の直接金融への傾斜、銀行からの自立化によって収益基盤が弱体化した銀行は、土地融資に活路を見いだす。
そして80年代の民営化ブームの象徴となったNTT株の上場フィーバーは、個人のあいだにも、土地と株式で稼ぐことが当たり前というムードをもたらした。
 資産価格の値上がりを前提とし、「リスク」の感覚を置き忘れた時代がやってきていた。日本人の堅実な価値観や労働観は失われ、お金を中心とした価値観が埋め込まれていった。

出所:本書(P86)

 また、筆者は、冒頭で引用したバブルをこの定義に基づいて、バブルの形成から崩壊までの過程について事例を交えて描いていますが、金融の自由化に伴う変化を以下のように説明しています。

 80年代の世界的な金融の自由化と、それに連動する世界同時株高。80年代の世界経済の変化は、間違いなくグローバリゼーションと大きな関わりを持っている。グローバリゼーションとは、国の枠を越えて、ヒト、モノ、カネが移動することである。昔であれば、まずヒトが動き、次にモノが動き、最後にカネが動いた。しかし情報化の時代にはその順序が入れ替わる。まず、カネの世界が新しい時代へと動きだし、これにモノが続き、ヒトは最後についていく。この時間差がさまざまな摩擦を生み出し、結果としてバブルを発生させるのである。

出所:本書(P44-45)

 バブル経済は1980年代後半にピークを迎え、1990年代初頭に崩壊しました。この崩壊は、日本経済に深刻な影響を及ぼし、「失われた20年」と呼ばれる長期的な経済停滞を招きました。
 その原因として、土地取引、特に、土地を担保とした融資が経済全体にリスクをもたらし、結果として経済の脆弱性を高める要因となったと分析しています。

 バブル崩壊後の「失われた20年」と呼ばれる日本経済の長期低迷と、銀行の経営危機の大きな原因が、1986年から89年にかけての土地をめぐる取引にあったことは間違いない。バブルは、株高と土地高が相互に干渉しあいながら生じたが、それを加速したのが、銀行の節度を越えた土地融資への傾斜だった。最終局面の日本のバブルを、他の外国のバブルと分かつ重要なポイントである。
 日本の銀行と企業の会計を不透明にしたのが、含み益(hidden assets)の存在だった。含み益とは取得原価(簿価)と時価の差益である。企業がもつ含み益の大半は、所有土地の評価だった。そして、日本の土地価格の制度的な曖昧さと、企業の会計制度における時価主義の不徹底が、本来は株主に帰属するはずの含み益を、企業経営者の自由裁量にゆだねる日本的経営を許容し、結果として土地を通じてバブルを拡大した。
メインバンクは土地を時価評価して含み益を担保に企業や経営者に融資する。土地の価格が上昇し続けるかぎり、長期金利を大幅に下回る企業収益が続いても、もっといえば赤字経営が続いても、企業は存続が可能であり、銀行も貸し倒れが生じる懸念はない。
「土地本位制」とも言える有担保主義、メインバンクと企業の安定した関係、株式の持ち合いによる株主の拒否権の放棄、そしてシェア至上主義ともいえる企業の低収益下での過当競争。日本的な経営システムの特徴を可能にしたのは含み益の存在だった。

出所:本書(P100-101)

 さらに、バブル経済は日本的経営システムの問題点を浮き彫りにしました。含み益の存在であり、銀行の有担保主義への執着にも原因があると筆者は分析しています。

 銀行が変わらない、変われない原点に、有担保主義への執着がある。担保としての土地を絶対視して、土地本位制ともいえる仕組みをつくり、土地が値下がりすることはないという「土地神話」をつくりあげた。そして80年代以降、銀行は土地担保の信用創造に一段とのめり込む。所有する土地価格の含み益を反映して高騰した株価を使って、企業や銀行が資金調達を競う。そして「財テク」と称して、調達した資金の運用を活発に繰り広げた。それが日本のバブルだった。その責任の多くは銀行にあるが、証券会社もそれに加担した責任を負わなくてはならない。

出所:本書(P216)

 担保としての土地を絶対視して、土地本位制ともいえる仕組みをつくり、土地が値下がりすることはないという「土地神話」がつくりあげられました。
 また、本書では、バブル経済の崩壊後の影響についても述べられています。詳細は本書を確認いただきますが、最後に、バブル経済の総括と教訓を示しています。

 80年代のバブルの増殖と崩壊とは、いったい何だったのだろうか。
 それは、戦後の復興から高度成長期、つまりアメリカへのキャッチアップの過程を、日本固有の資本主義=渋沢資本主義によってなんとか乗り越えた日本が、70年代前半のニクソンショック、変動相場制への移行、そしてオイルショックという世界経済の激動の中で直面した第二の危機であり、変革期の産みの苦しみであった。日本は新しい仕組みづくりや制度改革を先送りしてごまかしたことで、第二の敗戦ともいうべき大きな痛手を被った。
 「いいとこどり」という当時流行した言葉に示されるように、金融自由化や雇用制度などの受け入れやすい美味しいところだけを取り入れて、会計制度の整備や官僚制度の改革の問題など、血が流れる厳しいテーマには立ち向かわなかった。その結果、解消すべき矛盾は、歪んだ形で増幅し、拡大した。
 土地の有担保制を前提とした銀行と事業会社の関係は、その象徴だった。企業の土地は、簿外の時価資産として本来の目的以外に使われ、さらに蓄積される。また日本特有の事業会社による株式保有と、銀行と証券会社を巻き込んだ株式の持ち合いは、歪んだ株高の根拠となった。土地と株式の「含み益」は、表面的には日本の経済システムの安定性を維持した。しかし国際社会に通用する本来の収益力を手に入れるための日本の変革を阻害した。

出所:本書(P260-261)

 以上、本書は、1980年代の日本のバブル経済の分析を通じて、資本主義経済の持つ特性、リスク、影響を掘り下げていますが、最後にバブルをめぐる人間模様をこう表現しています。

 バブルとは、何よりも野心と血気に満ちた成り上がり者たちの一発逆転の成功物語であり、彼らの野心を支える金融機関の虚々実々の利益追求と変節の物語である。そして変えるべき制度を変えないで先送りをしておきながら、利益や出世には敏感な官僚やサラリーマンたちの、欲と出世がからんだ「いいとこ取り」の物語である。そして最後には、国民ぐるみのユーフォリア(熱狂)である。

出所:本書(P268)

 経済の循環とその中での人々の行動を理解すること、将来像を把握すること、過去の教訓を未来に活かす上で参考になる一冊です。


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