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空白の二十秒
4月になると思い出すエピソードがある。恐らくこの先も忘れる事は無いある種のトラウマであり、緊張や焦りを殆ど感じる事が無くなった"事件"である。
15年以上前の4月。中学3年に進級し、僕は生徒会長となり入学式での新入生歓迎挨拶を終え、ほっとしたところで始業式と異動してきた教員の着任式が催された。始業式と着任式では新学級の生徒の1人として列の中に溶け込んでいた。
新学期特有の麗らかな空気と緊張感が織り混ざるあの何とも言い難い雰囲気が澱む体育館の様子は今もなお鮮烈に残る記憶の一つである。
入学式での大役を終えた僕は解放感からようやく訪れた平穏に安堵し、始業式や着任式は言わば"春眠暁を覚えず"であった。
そんな中、司会の教務主任が着任式で次なる式次第を読み上げる。
「生徒代表の言葉」
おお、誰が述べるのだろうか。僕は楽観的にそんな事を考えていた。すると、続けて教務主任が代表の言葉を述べる生徒の名前を読み上げた。
「生徒会長 三年◯組…」
僕の名前を呼んだのだ。おかしい、きっと誰かと間違えているのだろう。実際に壇上で述べる生徒が出て来て司会は名前を訂正するのだろう…と思っても、そんな生徒が名乗り出る様子は一向にない。
現実はあまりにも残酷だった。
なんの準備もしていない僕はとりあえずその場で返事をし、どうしたら良いか分からぬまま少しでも時間を稼ぐべく、壇上への階段を一段ずつ踏みしめるようにゆっくりと上がり、置かれたマイクを手に取った。
着任された先生方への歓迎の一言と中学校の特徴のような当たり障りのない話まではその場で取り繕った記憶がある。しかし、文章にしてせいぜい二行程度だろうか、それが中学3年の僕がアドリブで繋げられる限界だった。
どうこの場を締めよう…しかし、咄嗟の言葉で適当に締める事など土台無理な話である。
僕は腹を括るとともに恥を忍び、その場にいる生徒と教員総勢500人の視線を受けている壇上で、一旦話を中断してその後の言葉を紡ぐことにした。
恐らく20秒程度の沈黙の後、僕はごく短い締めの言葉を述べ、壇上を後にした。その内容など覚えているはずもない。
この"事件"は単純に教員の伝達ミスからなるものであった。僕に依頼し忘れたのだ。僕からすればたまったもんじゃない。全校生徒と教員の前で恥をかかされたのだから。
捨てる神あれば拾う神あり、では無いのだが、同じマンションに住んでいた同級生で学校でも家庭でもほぼ何も話さない"木偶の坊"みたいな男子が、親に僕のこのエピソードの話をしたらしく、何とか取り繕ってその場をまとめたことにいたく感動したらしいことを人伝に聞いた。案外、自分が願っても無いところで人に影響を与えているものなのかもしれない。
余談だが、落語でこの「言葉が出なくなる」ことを「絶句」と言うのだと、講談師神田伯山のラジオで知った。かつての名人も寄席の場で絶句することがあり、落語界で語り継がれるエピソードの一つでもあるらしい。
木戸銭払ったお客様を前にした名人でも絶句するのだから、僕なんて可愛いもんだな。そう思えば幾分生きやすいものである。