見出し画像

今堀拓也 インタビューへの補遺

昨日は、今堀拓也のインタビュー動画に(その動画はこちら)、注釈的なテロップを入れたりしていたのだけど(その割には、後半のリュック・フェラーリや、その作品「ほんとど何もない第1番」に対する言及をスルーしてしまったのは申し訳ない限り。ジャン=ミシェル・ダマーズについての注釈は入っていたのに)。何の準備もなく、ぶっつけで始めたインタビューだったので、それでもどうにかまとまっているというのは、幸運という他ないのだが、落ち着いて動画を見返しての感想戦でも。

***

改めて動画を見返して思ったのだけど、これほど真面目な男はそういないな、と。たとえば、デュリュフレに付託して語られる彼の宗教観など、極めて敬虔かつ真面目なものだと思ったね。真面目といえば、インタビュー内で「Zガンダム」や「新世紀エヴァンゲリオン」など、ポップカルチャーの話題をドビュッシーと同じ熱量で語っているにも関わらず、インタビューでも他の機会でも、今堀君からポップミュージックの話題を聞くことがほとんどないな、と思い返したり。僕も、中学から大学くらいまで、聴く音楽の99%がクラシック音楽で、ポップミュージックは、吹奏楽編曲されたもの(New Sounds in Brassとか)経由、という有様だったので、なんとなくシンパシーがある。ポップミュージックとは距離をとっているのに、音楽とは別の回路、たとえばアニメでポップカルチャーにどっぷり浸かる感じ。私にも覚えがないわけではない。友達の付き合いで観に行った、「うる星やつら」の映画三本立てで、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」にはまって、高橋留美子と押井守周りを相当追いかけたことが(ちなみに、友人の中には、よりによって高校の文化祭でこの映画を見てしまった男がいて、彼は未だに高橋留美子と押井守が作る沼の底にいる)。そういう経験が音楽にも微妙に影響している、という点も同じかな、と。私も、メシアンのMTLの説明をするとき、「ビューティフル・ドリーマー」のある音楽を引き合いに出すことあるからな(MTLで書かれているわけではないが、MTLの特質を説明するのにちょうどよい例があったり)。

あと、今堀拓也の中での、モーリス・デュリュフレという作曲家の存在の大きさを、つかみ切れてなかった反省がある。デュリュフレとは、今堀にとって、こうありたい、こう生きたい、というレベルの、人生のロールモデルともいうべき存在であるようだ。たとえば、デュリュフレの《レクイエム》は、ほとんどの旋律素材がグレゴリオ聖歌からとられ、それをデュリュフレのフレンチアカデミズムに依拠した技術で料理している、という点が今堀の口から語られている。それって、今堀がブラジル滞在時に体験したカンドンブレなどの模様を、かなり精密に採譜し、それに薄味だけど今堀独自の味をつけている新曲《イタパリカ狂詩曲》のコンセプトにも共通するのだが、迂闊にもそこをスルーしてしまっている。痛恨極まりない。

それにしても、今堀拓也のデビューというのは、22歳で玉川大学という一般大学卒業時に書いた作品が、ダメ元で応募したガウデアムス音楽週間で大賞をとり、それが一月後、エトヴェシュの指揮でドナウエッシンゲン音楽祭で再演され、さらにはベルリンドイツ交響楽団でも演奏される、という凄まじいものだったんだな。ただ、この電光石火的な凄まじさが、国内の「楽壇(とやら)」に浸透しなかったことが、今堀の不幸のであったともいえるかな、と。

****

篠原眞さんが亡くなったあたりから、アカデミックな作曲の技術、エクリチュールの有用性とは、究極なにか、ということを考えていて、藤井一興さんのピアノに、これを解くヒントがあるんではないか、と考えていた矢先に藤井さんが亡くなり、ちょっと呆然とした中でのインタビューだったのだけど、藤井さんにもらえなかったヒントのひとかけらを、今堀君の演奏会からもらえることを期待している。

いいなと思ったら応援しよう!