リゲティ生誕100年記念レクチャーへの補遺
リゲティ生誕100年(+1年)記念のレクチャー&コンサートに出かけてきた(15日@両国門天ホール)。
押しまくりの進行で質疑応答の時間がなかったが、可能だったら質問したかったのは、リゲティの諸作のなかでの「Ramifications」(1968-69)の位置づけ。この弦楽合奏曲は、弦楽器を2群に分け、片方を440Hz、片方を453Hzと、四分音違えて調弦される。調弦を変えても、ヴァイオリンやチェロにはフレットがあるわけではなく、奏者は合わせようとしてしまうわけで、リゲティ自身は、これを演奏不可能と考えていたようなのだけど、ブーレーズとアンサンブル・アンテルコンタンポランによる驚異的な精度の録音がなされたのが1982年。これをきっかけに、自作に対するリゲティの評価はどう変わった/変わらなかったのか、という点が知りたかった。
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あと、パネリストはいずれも、オクターブを均等にわけていく微分音の流儀、たとえば24音平均律と、倍音列に依拠した微分音の流儀、たとえばスペクトル楽派、を対比的に捉えているようだった。ただ、途中、リモート参加していたマンフレッド・シュターンケが、ヴィシネグラツキーをこの両者を架橋する存在として言及したのだが、その点がほぼスルーされてしまい大変残念。というのも、ヴィシネグラツキーによる、互いに4分音ずらして調律された2台ピアノのための作品「24の前奏曲」(1934/改訂1960/70)で使用された13音モードは、「増4度(減5度)を四分音狭くした音程」を堆積して作られている(各曲がどのようなモードに基づいて作曲しているかを、ヴィシネグラツキーは楽譜に明示している)。この「増4度(減5度)を四分音狭くした音程」=550セントは、自然倍音列における第8倍音と第11倍音の間の音程(551.3セント)とかなり近い。この8:11の音程関係を、私は「ヴィシネグラツキー音程」と呼んでいるが、たとえば先日日本初演された、細川俊夫の「サクソフォン協奏曲」(1998-99)にも、増4度音程を狭めてとるような微分音指示があり、この音程を狙ったものではないか、と考えている。
また、自然倍音がらみの微分音音楽に関しては、ホルンという楽器が特に言及される傾向があるのだが、これは金管楽器に詳しくない人には、ピンとこないと思う。金管楽器(に限らず、アコースティックな楽器はみなそうだが)が鳴らせる音の高さは楽器の大きさに依存する。管楽器の場合、正確には音速も関わってくるのだが(冬の寒い体育館などで管楽器を演奏する際、音程が下がってしまうのは、管内の空気が冷えて、音速が下がることに起因する)、管の長さが倍になるごとに音の高さは一オクターブ下がる。よって、以前にここでも書いたように、吹奏楽の現場で使用されるB♭管という楽器を比べた場合、トロンボーンはトランペットの2倍、チューバは4倍の管長をもつことになる(管長が2倍になるごとに音域は1オクターブ下がる)。ただ、ホルンについては、この系列から外れていて、F管のホルンの管長は、実はin B♭のトロンボーンよりも長く、よってクラシックの名曲には、ホルンの最低音がトロンボーンのそれより低い曲というのがしばしばある。たとえばチャイコフスキーの第4交響曲やシベリウスの第7交響曲など。
いやそもそも、金管楽器が自然倍音列とピストンやロータリー、スライドといった管長を変化させる機構で音程を作っていることを説明することが必要か。その点がわかりやすいトロンボーンを例にとると、スライドを伸長せずに出せる音は基音(ペダルトーン:チューニングに使用されるA音の半音上のB♭の、3オクターブ下のB♭)の整数倍の振動数をもつ音に限られる。この自然倍音列は、このB♭を起点に、B♭、B♭、F、B♭、D、F、A♭、B♭、C・・)という順番に上行していく。これだけだと演奏不可能な音が生じるため、スライドを伸ばして音を下げることで、自然倍音列の合間の音を埋めていく、というのが、金管楽器の原理。
話を戻すと、ホルンの場合、使用されるマウスピースは、管長に比して小さく、他の管楽器に比べて倍音列の高いところを主に使用することが求められる。吹奏楽コンクールの課題曲を書く場合、トロンボーンやトランペットは第6倍音より上の音は使わないよう要請されるが(倍音が高次になるほど技術的に出しにくくなるので。ちなみに、ラヴェルの「ボレロ」のトロンボーンソロは、第10倍音が出せないと吹けない)、ホルンの場合、第10、12倍音くらいまでを使用するのが普通。それくらい、ホルンで通常使用される音域は高次倍音に寄っているのだ(倍音が高次になると、隣接倍音との音程差が小さくなるので、このことゆえに、かつては、ホルンほど音が外れやすい楽器はないといわれた)。
自然倍音列において、興味深い微分音程が生じてくるのは、第7、第11、第13次といった高次の素数次倍音であり、微分音音楽において、ホルンが特に注目されたのにはまさにここに理由がある。ゲオルク・フリードリッヒ・ハースが、トロンボーンで似たようなことを試みているが、トロンボーンだとか難度が格段に上がってしまうことは否めない。
さて、冷水ひとみの発言に、微分音については、「いい音」だと差異がわからなくなる、という趣旨のものがあった。音色、つまり(フーリエ解析した際の)倍音構造というものが、微分音の捉えやすさを決めているという側面が確かにある。よって、異なる楽器が微分音程で相関する際、その「捉えやすさ」の差異が思わぬところから明らかになる。その興味深い現象に着目し、作品へと援用しているのが、山本裕之の近作で、11月6日にそうした作品を集めた個展をやり、私も手伝いをするので、皆、杉並公会堂に来るように。
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