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追悼 佐藤慶次郎(1927.6.6 - 2009.5.24)

注)2009年5月29日に書いたブログの再録です。

早坂文雄という作曲家については、しばしば伊福部昭と並置する形で紹介されるが、その修行時代の交友はともかく、彼の音楽性を思考する上で、これは完全な間違いだと思う。というのも、1950年代以降、作風を殆ど変えなかった伊福部に比べ、早坂はその作風をドラスティックに変化させようとする中、1955年、志半ばで病没することになる。事実、その死の年に発表された交響組曲「ユーカラ」については、伊福部も、三浦淳史も「時流に惑わされて無理をしている」といった否定的な評価しかしなかったし、そうした伊福部らの保守性に対し、早坂は湯浅譲二の「7人の奏者のためのプロジェクション」(一部で12音技法が用いられている)をいち早く認めて自身のアシスタントを依頼するなど、新しい音楽に対して極めて柔軟な姿勢と理解とを示したのだった。

ゆえに、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」、黛敏郎の「涅槃交響曲」、芥川也寸志の「エローラ交響曲」、といった戦後デビューした作曲家の出世作が、そろって早坂文雄に捧げられているのは、そうした早坂の姿勢があればこそのことだったし、さらに早坂が溝口健二監督の「雨月物語」や「近松物語」の音楽で示した恐るべき探究とを併せて考えるなら、早坂が、もしあと10年生きたならば、かなりの前衛的作曲家として名を成したことはまず間違いないと考えるに至るのだ。

そしてもう一つ、早坂の本当の意味での弟子であった佐藤慶次郎という作曲家の存在がある。

1927年に生まれ、慶応義塾大学医学部在学中に早坂文雄に師事した佐藤慶次郎は、映画音楽作曲家として名を成した佐藤勝とともに、早坂の数少ない高弟の一人といえる(その証拠に、早坂のピアノのための作品集が全音より出版された際、その校訂を行ったのが他ならぬ佐藤慶次郎であった)。事実、映画音楽や写譜のアシスタントとして薫陶を受けた、たとえば武満徹や湯浅譲二や芥川也寸志といった作曲家は枚挙に暇ないが、その経歴に「早坂文雄に師事」と明記する/できる作曲家はこの2人の佐藤くらいだろう。早坂の勧めで実験工房に参加した佐藤慶次郎は、上記の早坂の実験精神を、武満や湯浅以上に過激かつストイックな形で表出していく。ゆえに筆者は、佐藤慶次郎とはまず、若くして病没した早坂文雄が果たせなかった地平を目指し、ひたすら走った作曲家だったのだと考える。

佐藤慶次郎氏(さとう・けいじろう=作曲家)24日、肺がんで死去。81歳。告別式は近親者で行う。喪主は妻、和子さん。
戦後の前衛芸術家集団「実験工房」の一員として活躍し、西洋の前衛音楽と東洋の伝統的美意識を融合させた作風で注目された。電子機器を使ったユニークな音響作品制作も手がけた。

讀賣新聞2009年5月29日朝刊

さて、「高橋アキの世界」の解説を執筆した関係で、今年の正月は、佐藤慶次郎の「ピアノのためのカリグラフィ」の譜面をにらみつつ過ごすことになったわけだが、この作品は日本国内のピアノ曲文献のみならず世界的にも特筆されるべき作品と言って良いと思う。日本を代表する作曲家と世間で喧伝されている誰某や誰某(主に洋行から帰った人たち)の作品表に、ここまでの強度とオリジナリティを持つ作品が果たして存在するだろうか。しかも、この作品が作曲されたのは1960年のこと。佐藤慶次郎とともに、武満徹、湯浅譲二がいて、さらに福島和夫と鈴木博義すらも同人であった実験工房というグループの驚くべき充実に改めて驚嘆する。

移高を行うことによってC、C#、Dといった具合に半音階で並んでしまう3音が、常に組になり、密集、乖離といったさまざまな配置をとりつつ、あるときは3音いっしょに、あるときは多少の時間差をもって鳴らされる。こうした3音を組にする限りは、どう配置しても協和音程など生まれ得ないし、伝統的な音楽にあるような進行感を生み出すことも出来ない。そこにあるのは、配置の違いによる僅かな響きの差異のみだ。佐藤は、この差異を足掛け4年に亘って追い続け(10分に満たないピアノ曲の作曲期間としては、4年とは真に異例といって良いほどに長い時間である)、響きを失血状態ギリギリのストイックな佇まいの中に結晶化していく。こうした音の扱いは、慶應義塾大学医学部で学んだ白血球が分裂する様よりインスピレーションを得たものともいう。

一度ならず「カリグラフィ」を弾いた井上郷子さんに、佐藤氏の訃報をお伝えしたら、「何年か前にこの作品を演奏した際、『こんな曲を演奏してくれる人は、もうあなたくらいしかいないだろうから、この曲について伝えられることは全て伝えたい』と、自宅に招かれいろいろな話をした」と伺った。だが、この作品の真価は現在でこそ理解されるものといえるだろう。佐藤慶次郎が耳を澄ました、配置の違いによるわずかな、その実豊かな響きの差異が拓いた音世界を、どこまでも明晰に表現した演奏がこれからもなされ、佐藤慶次郎の遺志を後世へと伝えていくことを祈る。

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