#番外編4 料理研究家リュウジさんの発言に対するジセおじの見解
皆さんは料理研究家でユーチューバーのリュウジさんのことはご存知でしょうか?
最近このリュウジさんのした発言が炎上したという話をお聞きして、実際に調べてみました。
リュウジさんの炎上発言
リュウジさんの発言に対して、以下の著名人の方たちもコメントしていたので引用します。
青汁王子こと三崎雄太氏
ひろゆき
他にもありますが、このくだらない論争について、(次世代のイケおじ)ジセおじを目指す僕の見解を書きたいと思います。
これに対しては、間違っている間違っていない、正しい正しくないという賛否両論は絶対に起こるものだし、立場や今までの教育とか、その他自分が刷り込まれてきた常識に依存するものに違いません。
それでもあえて言わせてもらうと、『どーでもいい』の一言なんですよね。笑
個人的にリュウジさんの意見に賛同はする部分はかなりあります。
もし自分がリュウジさんになったと仮定してどう思うか?というのが1番最初に考えることだと思います。
僕は奢るなら、友達とか心を許せると思える人が、自分が行きたい場所に一緒に行ってくれた時、自分が食べたいものを食べたい時の誘いに一緒に来てくれた時とか、だと思います。
例え経営者になってお金がたんまりあったとしても、そんな知らない女の人達にお金を払うギリはないと思うし、自分がワクワクできないことに対してお金を払うのはおかしいとは思います。
普通にその女の人達を呼んだ友達が払うべきだろというのは感じました。
三崎雄太氏の発言もわからんではないですが、それをしたところで何になるの?っていうのは正直な感想です。
別に奢るのは構わないとは思うけど、そこにワクワクというものがないなら払わなくてもいいと思います。例えば、そこにその女の人達が来て、話をして自分の知らない新たな何か発見ができたとか、とても楽しい時間を過ごせて満足できたとかなら話は別かもしれません。
そういうことがほとんどなく、お金だけ払わされると言うのは自分の魂に反するなと思います。
深い話になってしまいますが、結局最後にそれをして納得できるかできないかは、自分の魂が喜ぶか喜ばないかの話になってきますので、自分の魂が喜ぶものであるならば、快くお金を払うと僕は思いますし、リュウジさんもそう思っていたかもしれません。
言いたいことは、なんでもかんでも誰でも奢るとかっていうのは、ただのお金のばらまき行為であり、それで好感が上がることはあるかもしれませんが、その好感は所詮、お金というもの、奢られると言うことに価値があると思っている人だけであり、一緒にバーベキューをしたという体験価値を感じられない人にはささらないんですよね。
だからこそそういう人達ってお金のファンであり、リュウジさん達のファンではないんですよね。だからこそそんな付き合いなんて、初めからしない方がいいですし、そんな自分の価値基準が違う人を回りに置くだけで自分は疲れてしまいますから。
自分の価値基準に合う人を自分の回りに置くのが理想的な生き方だと思うので、リュウジさんの発言は僕の中ではとても素晴らしいなとは思います。
ジセおじ(次世代のイケおじ)になるためにも、僕はこういうマインドって凄い大切だと思います。自分が心の震えるものやワクワクするものを回りに置いていく。そして自分が心から喜べるものに価値を置いていく。
そういう世界観を作っていければ、自然とそういう振る舞いになりますし、自分が価値と思っていないものに対しては、遠ざけていくということも自分が気持ちよく生きていくには絶対に必要なことだと思います。
そんなことを改めて感じさせてくれるニュースだったと思います。
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