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私たちは「スロープの上」を生きている……!?作家・批評家の小川和が考える「からだの動かし方」


本記事は、株式会社金風舎が9月30日に発刊する「妄想」をテーマにしたオムニバス単行本『妄想講義』の著者紹介記事です。

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小川 和(おがわ・なぎ) 1991年、千葉県生まれ。作家、批評家。慶應義塾大学文学部卒業。「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾」に参加し、さやわか審査員特別賞を受賞。単著に『日常的な延命 「死にたい」から考える』。

今回『妄想講義』に小川さんが寄稿してくださった「妄走のあとで」は、単著『日常的な延命「死にたい」から考える』で考察されていた「バーチャル/アクチュアル主体論」および「補遺」で触れていた『呪術廻戦』論を、「妄想」というテーマと結びつけて議論を展開していただいたものになります。

……こう書くと、いかにも専門的というか、「批評」や「人文」に馴染みのない人にとってはとっつきづらいかもしれません。けれども今回、小川さんに書いていただいたのは「スマホが手放せず、情報過多な状況に現代人なら、誰もが生きるためのヒントにできる」そんな文章です。

なぜ小川さんに依頼したのか?

今回、小川さんに寄稿を依頼させていただいたのは、単著『日常的な延命 「死にたい」から考える』を読んだことがきっかけでした。

しかし小川さんのことを最初に知ったのは、アニメ映画『リズと青い鳥』の批評を同人誌で拝読したときでした。……という話をご本人にしたところ大変驚かれ、「こういうのもちゃんとやってると何かに繋がるんですね〜!」と嬉しそうにしていらしたのが印象的でした。

また、編集部に小川さんがいらしたときに「すごい前向きで、気持ちの良い方だなぁ」という第一印象を抱いたことを覚えています。打ち合わせがはじまってすぐに「今、こういうことを今考えてるんです」と見せてくださったノートには数ページにわたってアイデアが書き留められていました。ひとつひとつ、現段階でのイメージをお話しいただき、そのアイデアはほとんどが今回の原稿に整然とした理論で組み上げられ、形となっています。

また、最終稿に組み込まれることがありませんでしたが、打ち合わせ、初稿の段階では同時代の批評状況、批評家のあり方についての提案といった内容が語られており、そちらも非常に興味深い内容でした。

階段とスロープの比喩

「妄走のあとで」のなかで、特に印象深い箇所です。小川さんが現代社会に生きる人々が今置かれている状況を説明するこの比喩は、非常にクリティカルだと感じます。さて、それはどういうものなのか?もちろん、詳細な説明は本文で……ここでは簡単に紹介するだけにとどめておきます。

私たちは、暮らしを便利にするものに囲まれています。たとえば、階段。しかし、同じ階段でも中には「もう少し段差が多ければ登りやすいのに」と思う人もいるでしょう。それなら、段差を増やせば良い。そうして段差を増やし続けると、いずれ階段ではなくスロープになる。スロープであれば、たとえば、足を悪くしていても登れるはずです。非常に便利です。しかし、そこにはある問題が生じてしまう。

たとえば、段差が20ある階段を想像してください。そこに立つ人に向かって「あなたは今、階段のどこにいますか」と問うたとします。

たいていの人はその質問に、「3段目です」「12段目です」と即座に答えることができるはずです。しかし、スロープは違う。スロープに立つ人が同じ問いを投げかけられたとすれば、せいぜい「真ん中あたりです」「端の方です」と答えるしかないでしょう。「私は今、どこにいるのか」「私の足場となり、支えになってているものはなにか」といったことを正確に捉え、説明することはできません。現代社会に生きる人々は、このような状態に置かれている……小川さんはそう語ります。

そのことによって何が起きているのか?そこから抜け出すにはどうすれば?この状況を理解するうえで小川さんが参照する作品は?そして「妄想」とこの問題がどのようにして繋がるのか?……などなど、疑問が浮かんでくることでしょう。

ぜひ、その答えは本文でご確認ください!!!!!

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金風舎のネット書店「金風舎DCH」にて、小川さんの記事のみ読むこともできます。

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