ヘビにかまれたこと、ありますか? その3

「その2」はこちら ↓


「ヘビにそそのかされ、
 アダムとイブがエデンの地から追放される、
 あの失楽園のお話、ご存じですよね。


 あのお話は、こんな言葉からはじまるんです。


 『さて、神がおつくりになった
  野の獣のなかで、
  ヘビが一番、狡猾でした』


 そもそも、ヘビはアダムの「助け手」として
 神さまがおつくりになられたわけですが、
 美しい世界を彩るべく準備される創造物に、
 ましてや無垢な人間とともに暮らす動物に、
 いのちの息と同時に、不純ともいえる
 「狡猾」をふきこむなんてことは、
 考えにくいことです。よね?


 『清きものからどうして汚れたものが
  出てこよう、そんなことはありえない』
 これは、義人ヨブが神に吐いた言葉です。


 ですから、きっとヘビは
 生まれながら狡猾「だった」、のではなく、
 エデンの地における関係性の上、
 狡猾に「なった」んです。


 また、ヘビは
 今でこそだれもが忌み嫌うような
 醜い姿をしていますが、あれは
 イブをそそのかした、その結果として
 おそろしい呪いとともに神さまが
 お授けになった罰なんです。

 続けさせてもらってもいいですか?


 神さまは、おつくりになった助け手たちを
 すべて、アダムのもとにお連れすると、
 彼は深く感謝を述べ、それら
 家畜、天の鳥、野の獣、
 すべてを喜びと驚きの目で見渡しました。


 優れた動物の知性というものは、
 その瞳にあらわれます。


 助け手たちの親しみをこめたまなざしが
 アダムを囲む中、一匹の野の獣が、
 彼の目を惹きました。


 神さまが見守る中、
 アダムはその視線をたぐり寄せるように
 近づいていきました。


 『ああ、ナハシュ。おまえはナハシュだ』


 ナハシュ、それは古代ヘブライ語で
 『光あるもの』、『生命を解き明かすもの』、
 そんな意味を含んだ言葉なんです。 


 アダムが彼女に惹かれたのは、
 その瞳だけではありません。
 ナハシュは4本足で歩く動物でありながら、
 その容姿、立ち振る舞いにどこか
 人間的な貞淑さを滲ませているのでした。


 ナハシュに見とれていたアダムのもとに、
 自分も名をつけてもらおうと、
 他の動物たちが集まってきます。
 我に返った彼は丁寧に、それぞれに名前を
 与えていきました。



 それからというもの、
 ナハシュはアダムの一番の助け手になろうと
 懸命に奉仕するんです。


 ナハシュの美しさもさることながら、
 その知性もまた、
 他の動物たちより抜きん出て優れていました。


 エデンで暮らしながら、その地勢、植生、
 他の動物の特性をすみやかに把握し、
 日常の営みに巧みに採り入れることにより、
 アダムの暮らしをより豊かにしていきました。


 また、神さまの創造した世界を
 美しい詩や音楽に包んでは、
 その御業を讃えつつ、みずからの美声を響かせ
 エデンの住人の耳を楽しませました。


 『彼女はおまえの頭上に恵みの花輪を被らせ、
  おまえの上に栄光の冠を授ける』
 (「旧約聖書 雅歌」)


 ナハシュはまさにそのようにして、
 他の動物たちにもみとめられるほど、
 アダムの一番の助け手とし、
 彼を楽しませその喜びとなり、
 日々彼のかたわらに寄り添い
 快く奉仕いたしました。


 ところが、神さまはある日、
 皆が寝静まった後、
 アダムに近づき、さらに深い眠りを与えると、
 その肋骨を一つ取り出し、
 それをもとにイブをつくりあげたのでした。


 『ふさわしい助け手』、
 いくらナハシュが奉仕しようともそれは
 主従関係止まり、パートナーとなると
 やはり同類でしかなりえない、
 はじむからそうとわかりきってはいたものの、
 受け容れがたい現実を、ナハシュは
 突き付けられることになったのです。


 イブの誕生、ナハシュはそれを機に、
 狡猾の道を蛇行しはじめるのです」



ー続ー


「その4」はこちら ↓


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