仲村 次朗

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デヴィッドボウイと季節

――夢だから、猶生きたいのです。   あの夢のさめたように、   この夢もさめる時が来るでしょう。   その時が来るまでの間、   私は真に生きたと云える程   生きたいのです。   あなたはそう思いませんか。   (芥川龍之介「黄梁夢」1917.10) ――僕の右の目はもう一度   半透明の歯車を感じ出した。   歯車はやはりまわりながら、   次第に数を殖やして行った。   僕は頭痛がはじまることを恐れ、   枕元に本を置いたまま、   0.8グラムのヴェロナァルをのみ

    • 閉じし眼 霧の端

      春めけばスマホが閉じし眼の遣り場 晴れ霧の端にかからぬ雲雀かな

      • ささくれの 鈍色の

        ささくれのかたちは何を可視化した 鈍色の匙にすきえぬ渡り鳥

        • 今日の本 解けない問いを生きる2

          「システムがもつ生成」とは 何のことを言っているのだろう。 自然、環境、種の性質、遺伝、等々の 外部からやってくる条件、内部に備わる条件 であり、かつ絶えず変化し続けるもののことを 指しているように思われる。 「問題」とは、 条件の複合体により、生命に 現実的に差し迫ってくる何か。 条件 ×  問題 × 引き受け方 それがその瞬間瞬間の「かたち」を かたちづくる。ゆえに、 一般概念・記号におさまらない(逃れつづける) 「何か」である(「何か」でありつづけることが できずに

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        デヴィッドボウイと季節

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          手紙と絵本 子どもと大人

          子どもが生まれてから、子どもが生まれると知ってから 悩むことが多くなった。そう振り返る。 昔から「大人」が嫌いだった。 子どものことを思うと、子どものことを見ていると、 自分が失ったもの全部つきつけられる。 すっかりと、嫌いな「大人」になっている。 これはかっこつけて言っているのではなくて、 本人としては至って真剣な告白のつもり、 信じてもらえなくても構わない。 「信じてもらえなくても構わない」、 むしろこっちの方がずっとかっこつけているくらい、 本人と

          手紙と絵本 子どもと大人

          今日の本 マクトゥーブ2 ヴィータ

          意志がないからやらない、ちょっとした会話。 ないものとしている、ないものとあろうとしている。 思い浮かぶこと。 通勤電車。毎日が。スマホの稼働はギガ。 車両という空間、荷物が触れるだけで 擦れてしまう心、 イヤホンから漏れてくる音は 音楽ではなく、プラスチックの断片ども、 狭いのは空間ではなく心。 「意志がない」と 「意識していない」との違い。 「意志がない」とは ある可能性を否定している状態、 のような気がする。 「見知らぬ人と話をしない」とは 見知らぬ人と、その人と

          今日の本 マクトゥーブ2 ヴィータ

          今日の本 マクトゥーブ

             秋深き隣は何をする人ぞ 秋の深まりを感じ、心に浮かぶ「隣」。 もしかすると芭蕉は、 その「隣」の夢までも浮かべていたのかもしれない。 芭蕉と「隣」のあいだにあるのは、 秋の深まり、夢、つながり。 孤独が歩み寄ると、「隣」が近しくなる。 背もたれとしての「隣」。 「先入観」がないからこその発句、 老いのなせる偶感、片隅から眺める景色。 「隣」のあり方こそが秋の深まり、 「秋」という季語はまた、 齢五十を越した芭蕉その人をあらわしている ともとれる。 「残るのは大事なも

          今日の本 マクトゥーブ

          今日の本 解けない問いを生きる

          「古池や」 <かたち> という言葉から、どうしたことか、 <かたち> に成り下がった名句の断片が思い浮かぶ。 とりいそぎ、言葉という<かたち>を放り出す。 「や」という切れ字は、 その場面に発生している(発生しうる)流れを 文字通り、ブツと切る。 とりいそぎ、断面を差し出す。 力の余韻、「リアルな力の働き」、 その断面から、何か蠢くものが あらわれることを期待して。 言葉に内在する、 ただのスカラにそそのかされて。 「黒い遮蔽幕」を準備して、 罠を仕掛けて待つ心のはた

          今日の本 解けない問いを生きる

          今日の本 記号と事件4

          「黒い遮蔽幕」とはひとつの焦点、 焦点とは、観念の猥雑物。 黒という色は、経験。 そしてその上に映る事物、その運動は 仮説、自動機械、物語、 既視の此岸の作用によって 捻じ曲げられる、歪む。 映画は人間の視覚に反逆する。 そこには平面的な運動とその集合、 それらが時間軸に乗ることで リニアに展開していくばかり。 そこから脱線するには、 そこから喚起されたイメージ、 その逃走線に乗ること。 「今日の夕飯何にしようかな」 映画の世界からふいに日常の思考に移ること。 いずれも、

          今日の本 記号と事件4

          後れ髪 朧

          不器用の湯豆腐ゆかし後れ髪 長雨やもの思い人の朧となれる

          今日の本 記号と事件3

          「と」のうちに、 逃走と流れ、 時間と空間のズレ、 差異、生起、生成変化、 革命、反復、 感情、関係、 能動的な運動が入り込んでくる。 あいだに「と」を挟む、複数の個体または集合、 それらは閉じた系であることに違いないが、 「と」に発生する運動が、 それらの関係性に常に変化をもたらし、 開放系として全体を変形させていく。 『我と汝』(ブーバー) 『戦争と平和』(トルストイ) 『ハチミツとクローバー』(羽海野チカ) 並列であるが故のダイナミックな運動。 「と」のなかに何が

          今日の本 記号と事件3

          雛の目 ヘリの音

          雛の目やみせものとして褒められて 冬日向月光バラすヘリの音

          雛の目 ヘリの音

          虚数 虚栗

          私という虚数を引けぬまま晦日 肋からこぼれる澱や虚栗

          今日の本 ヴァン・ゴッホ・カフェ

          魔法は、劇場のステージの上であらわれる。 魔法は魔法を呼ぶ。 死んだ人間の肖像を、訃報を伝える新聞から かつてショーを行った劇場の写真へと移らせる。 そして「やわらかい、うつろな感じの光」、 奇跡の残り香を残し、光は友とともに立ち去る。 魔法は「わが家」へと誘う。 夢の舞台(ステージ)、その抜け殻は 油絵のような、夢のような世界へと 受け継がれる。 魔法は、劇場のステージの上であらわれる。 「まちがった使いかた」とは、 魔法を「フィクション」と同義と捉えることではないか。

          今日の本 ヴァン・ゴッホ・カフェ

          今日の本 アッティカの夜 2

          「必要」の範疇について。 サムニウム人がファブリキウスに求めた「必要」は ファブリキウスの内面の高貴に見合う外観。 それを満たすべく申し出た多額の金銭。 ファブリキウスの「必要」は満たされている。 「金」は必要ないと言う。 その言葉が彼の偉大なる理性を物語る。 彼は、自身の理性が自身の身体を 従えさせている現状を誇る。 手、耳、目、鼻、口、喉、下腹、 それらの欲望は「金」で贖える。 贖えるのもはすべて「表皮」である。 それらの本能は一時的な「表皮」により 一時的に満たさ

          今日の本 アッティカの夜 2

          ビニール デコる

          ビニールの袋に息す土筆かな 長雨やつま先デコるクロックス

          ビニール デコる