
今日の本 楢山節考
頂上について辰平は目を見張らせたのである。(中略)谷を廻るには二里半と教えられたが、楢山に近づくにつれて辰平の足はただ一歩ずつ進んでいることを知っているだけだった。楢山が見えた時から、そこに住んでいる神の召使いのようになってしまい、神の命令で歩いているのだと思って歩いていた。そうして七谷の所まで来たのである。見上げれば楢山は目の前に坐っているようである。
辰平はおりんという老婆を背板に乗せて運んでいる。
おりんは口を閉ざしている。
おりんのたっての希望である楢山まいり。
感情に支配されないための村を上げての配慮、儀式、淡々と運びゆく事ども意識を捨てる、神に従う、感情の失せたところに神が宿る。
「すべてが許される」
(『カラマーゾフの兄弟』、イワン)。
生命の優先順位、一族の合理性、姥捨。
皆、みんな受け入れている。
各々の受け入れられない部分、部分。
それらはすべて神に預ける。
感情を意識の外に、思考を石に、
デクノボウと子羊は紙一枚。
「我に還る」、
それは個別の感情を取り戻した状態。
「許される」、
それは喜捨、脱皮、バンビの脛(はぎ)、
似ているところがある。
一の途も、感情により拡がる葉脈のごと。
満遍なくは行き渡らない栄養。
トレードオフと神の宿り。
あれか、これか、そんな色ども、
今の悩みも先の後悔も白紙とし、
空
捨てる(捨てた)もの、失う(失った)ものに決着をつけるために必要とされる神、禊ぎ、尻拭い。
急ぎ右に倣い、
倣えって言われる前に。
非理性、不条理、非と不が神の持ち分原価。
価値というものは後からついてくる、
後ろからつけられてしまうもの。
辿り着いてみたところに、
楢山のごとくどっかりと坐っている、
沢山の骨とからすを養っている山のごとく。
そんな剰余、
捨てられた感情も、腐らせた肉も、
失われたものすべてが価値。
生きている、
後ろからつけられた価値。
逃げる前につかまえて。
息と脛、
いつしか押し込めた感情のごとく
強く激しく動かして。
楢山節考、形にして。
ほら、逃げる前につかまえて。