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恐怖の枝豆

神社の嫁だったころ、神事があった日の午後に「お下がりを配る」のは私の大事な仕事であった。

東京でのんきな一人暮らしを満喫していた時は気づかなかったが、神社は意外と訪問客が多い。毎朝来る人もいれば、毎月決まった日に欠かさずお参りをする人もいる。大きな祭りともなればさらに増える。彼らはほとんどの場合お金や酒、米、旬の食べ物などを上納してくれるので、誰から何をもらったのかを正確に記録し、場合によってはお返しをする。それが「お下がり」である。

といっても結婚のお祝いのように半返しとか倍返しとかいうものではない。中身は大体いつも「昆布とスルメと義父が何やらしたためた紙」くらいなもので、納めた金額の多寡で変動したりはしない。あくまで「神様からのお下がり」という名目の、ほんのおしるしのようなものだ。なので「嫁の大事な仕事」は間違いではないが、やってることは子供のお使いみたいなもんである。

当時あの町で、私は注目の的だった。人が出て行くことはあっても入ってくることは少ない過疎の町、集落にひとつしかない神社の嫁は事もあろうに東京という魔都から来たよそものだ。言葉は違うし同居もしない。妊娠の気配すらない。私がどんなに良くない嫁かということは義母がさんざん吹聴してくれてたから、そこらを歩けば全員が悪者を見る目でにらんでくる。

のぞき

いや直接にらんでくるならまだマシで、こっそり陰から監視する人も少なくない。人っ子ひとりいない通りを歩いていても家の中から誰かがのぞいていて、わざわざ義母に連絡をする。町の入り口の店で買い物をしてそこから車で5分、義実家につく頃にはもう義母だけでなく隣の家の人までもが「嫁がナプキンを買ったこと」を知っている。さっきまで着ていたカーディガンの色も知っている。スカイネットに支配された未来ですらもう少しゆるいだろう。

とまあそんなわけだから私が神様のお下がりを配って歩く日は、監視者も忙しいのである。
「今来た」
「さっきあの角を曲がった」
「先に〇〇さんとこへ行った」
そんな電話があちこちからリンリン鳴りまくる。なんで私がそれを知ってるかというと、義母がいちいち教えてくれるからだ。「近所のAさんからあんな電話がきて、Bさんからはこんな電話がきて、Cさんもアンタの姿を見たって言ってきたわ」と言わんでもいいことを言ってくるからだ。監視者が監視をした事実を報告し、それを本人に伝えることのどこにどんなメリットがあるのかさっぱりわからないが、それは毎月毎月飽きもせずに繰り返されたのである。

枝付き

さてある夏の日、私は近所のいつもの家へとお下がりを配りに行った。いつものように簡単な挨拶をし、そそくさと昆布を渡し、退場の挨拶をもぐもぐ言いながら玄関の扉を閉めた。そこから門扉までの数メートル・ほんの数秒で通り過ぎる場所は家庭菜園になっていて、いつも何かが植っている。キャベツ、白菜、ナスやトマト。目の端に映っただけですぐそれが何かわかるお馴染みの野菜たちだ。

ところがその日は様子が違っていた。目の端に映った緑の葉っぱは、それだけでは何の野菜かよくわからなかったので、私は目のピントを合わせてちゃんと見ようとした。すると葉っぱの下にあったのは枝豆だった。

おお!枝豆ってこんな風になるんだ。初めて見たー。

ちょっと驚いたのでもう一度振り返って二度見をした。それだけ。それだけである。目の端に映った→あれ?と思い振り返った→またすぐに正面を向いて歩き出した。時間にすると1秒もない。刹那。刹那である。

そして私はもう一軒、近所の家にお下がりを渡しに行った。これまた簡単な挨拶→そそくさ昆布渡し→おいとまのお辞儀、でものの数分の出来事だ。さっきの家もこの家も義実家からは目と鼻の先なので、全部で10分もかかってない。そして誰にも追い越されてはいない。なのに。それなのにだ。

「いずみさん、アンタ恥ずかしいことしてくれたなあ」

義実家の玄関で待ち構えていた義母が鬼の首を振りかざす。

「〇〇さんが『おたくのお嫁さんがうちの枝豆を食べたそうにジロジロ見てたから』ってわざわざ持ってきたんやで」

「そんな人の家のもの、物欲しそうに見て恥ずかしいわ」


待って! いや待って! ほんと一瞬よ? 立ち止まることもなく、大きく振り返ることもなく、ほんの一瞬だけ、首が少し動いただけよ? 瞬間二度見よ。

てか〇〇さん、どんだけ収穫スピード早いのか。私が二度見したあとにソッコーで畑に出て、もう一軒の家に行ってる数分の間に枝豆引っこ抜いて、義実家に届けるとこまで終わってるのだ。早い、早すぎる。スタンド使いなの?「ザ・ワールド」なの?

義母はまだわあわあ言ってるが、せっかくなのでお湯を沸かして、とれたての枝豆を茹でることにした。人生で1番うまい枝豆がそこにはあった。とれたてがあんなに美味しいものだとは知らなかった。義母も形だけ怒ってはいたが本心の「嫁の落ち度をつけて気持ちいい」が顔に出て楽しそうだったし、枝豆は最高に美味しいしで、その日はみんな楽しい夜となったのである。


【枝豆のお弁当】

毎年この時期になるとSNSで言ってるが、鮮度が命の枝豆は「お弁当付き」を選ぶのがコツである。

お弁当

枝豆のお弁当、とは「枝」のこと。枝豆の栄養は枝にあるため、畑から引っこ抜いたそのままの枝つきが鮮度が長持ちし1番望ましい。でもそれでは流通させる時も、売り場でも場所をとり過ぎてしまう。なので生産者が「せめても」と我が子に持たせるお弁当のような存在が、このような短い枝なのである。

ところが昨日、お弁当もついてないのにめちゃくちゃ美味しい枝豆に出会ってしまった。ちょっとズルいやり方だが、それがこちらである。

新幹線

早朝に収穫したものを、ソッコーで新幹線に乗せ東京へ運ぶ。新幹線枝豆。新潟県のアンテナショップで手に入れたものだ。触った時はまだひんやりと冷たく、新幹線内でも大事に冷やされて運ばれてきたことがわかる。

新潟県は日本で1番枝豆を生産している県である。ところが出荷量はガクンと落ちて6位。1位の千葉県の半分程度しか出荷されていない。これはどういうことかというと「たくさん作るけど美味しいから他県に出荷しないで、自分たちで食べてしまう」という意味だ。この新幹線枝豆があんまりおいしかったものだから、ちょっと新潟県民の気持ちがわかったような気がした。とてもオススメ。

枝豆フムス

【枝豆のフムス】

枝豆は「塩ゆで」に勝る調理法はないと言っても過言ではないが、飽きることがないでもない。うちもコロッケに混ぜたり、ポタージュにしたり、枝豆ごはんにしたりして変化を楽しむこともある。

ちょっと試してもらいたいのが、この枝豆フムスだ。

作り方は簡単。ひよこ豆の代わりにゆでた枝豆を使うだけ。ひよこ豆を戻すよりずっと早くフムスにありつける。もしくはひよこ豆と半々にしてもいい。パンに合うのはもちろんだが、豆腐に乗っけても美味しい。豆ばっかだけどな。

めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。