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本当の友達
ミネさんとの出会い
私の日光の家は、神社とお寺の間にある。
お寺にはお墓が隣接していて、お寺の敷地はかなりの広さがあり、ミネさんは、お寺の土地の草むしりをしている。
初夏から真夏の多忙期にはシルバー人材センターからヘルプの高齢者が手伝いに来る、ミネさんはその人たちのリーダーでもある。
ミネさんの年齢は83歳くらいだろうか? 高齢の長時間労働は辛くはないかと、私は少し気の毒に思っていた。
報徳二宮神社と如来寺
報徳二宮神社は二宮尊徳(1787〜1856)を祀っている。二宮尊徳は江戸時代末期の農政家・思想家であり、相模国足柄下の農家に生まれ、通称を金次郎、尊徳と称した。藩家老家を再興した手腕を買われ、文政4年に小田原藩主大久保忠真の命を受け、下野国桜町領の荒村復興を実施することになり、半生を下野で過ごすこととなった。
嘉永6年には今市に報徳役所を設置して日光神領復興に全精力を注ぎ安政3年、事業半ばで報徳役所において70歳で死去した。
如来寺は、浄土宗の寺院で室町時代中期に創建された。
江戸時代には東照宮御造営の際、徳川第三代将軍家光が宿泊するために壮大な御殿が境内に建てられた。 また、安政3年には二宮尊徳翁死去の際、葬儀が行われた寺でもある。
如来寺には、それはそれは美しい、桜の老木が何本かあるが、地元の人だけが知っている程度で、観光客がたまたま付近を散策して、ラッキーな人だけが見事な桜を目にすることができる。戊辰戦争で命を落とした官軍戦士のお墓があり、桜の近くに眠っている。
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旅行会社とバスツアー
コロナ前、私は週末メインで旅行会社のツアーコンダクターをしていた。栃木県内のお客様を大型バスで観光地にご案内する。ツアーコンダクターは私の天職、この仕事が本当にスキなのだ。
お客様やバスのドライバーさん、業者の方々の協力と会社のサポートや添乗員同士の声掛けがハーモニーのように交わり、ひとつのツアーが完結する。
この業界は助け合いで成り立っている、コロナで仕事から離れて、その有難さを悲しいほどに感じている。ツアーから戻ると、頂いたり自分で買ったりしたお土産を手に取り、自分で買ったものを手に取り、旅の余韻は続いている。
物々交換
旅から戻ると、家の近辺では相変わらずミネさんが草むしりをしている。
私の部屋から見える立派なモミジの木の陰が休憩場所で、決まった時間になると数人のメンバーと笑いながらミネさんはお茶を飲んでいる。
家の周りの伸びきった雑草がキレイに片付いている。
私は観光土産をミネさんに差し上げた。
ミネさんは「わり~んじゃ、ね~か~?」(申し訳ないね)と栃木弁で受け取ってくれた。
その翌日、ミネさんはスーパーの袋に食料品を入れてお礼だと言って私に渡そうとした。
このことがきっかけでミネさんと私の物々交換が始まった。
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ジロー犬 ミネさんの手に噛みつく
ミネさんは草むしりの仕事の合間に、私を見かけると声をかけてくれるようになった。私の話が面白いらしく、どこに行った、何を食べた、どんな人がいたとか、よくある旅の話を、好んで聞いてくれるが「自分はどこにも行ったことがない」と言う。
私はミネさんが丈夫なうちに一緒にバス旅行に行きたいと思うようになった。そんな穏やかな時間が流れていたある日、事件は突然に起こった!
玄関先で腰かけていたミネさんに私がお土産を渡した瞬間、その様子を眺めていたジロー犬が、いきなりミネさんの手に噛みついたのだ。
ミネさんと私の関係はこの最悪な事件をきっかけに、むしろ深まることとなった。
認知症の発症
私は一人暮らしのミネさんが心配で、毎日様子を見に家を訪ねた。ミネさんは手の傷も回復し、草むしりの仕事に復帰していたが、その後入院したと知り、私はすぐに見舞いに行った。
娘さんの話によると、持病の腰痛で検査入院したけれど、認知症の症状があらわれ今後の受け入れ先を探しているとのことだった。
娘さんの暮らす東京の老人ホームも検討していると知り、そうなると二度と会えないかもしれないと私は慌てた。
現在ミネさんは以前と変わらず、自宅で一人暮らしをしている。私が茨城に引っ越す事を、とても残念がり、帰らないで家に泊まっていけと言う。
私は日光に帰ると必ずミネさんに会いに行く。
ミネさんと会うたびに、私との記憶も薄れているのが分かる。
しかし、私が誰か分かるかなどの質問はいらない、ミネさんが不安そうな顔をすると笑顔になる話題に切り替える。
心の繋がりだけを信じミネさんが笑える話をチョイスすると、ゆっくり私を思い出してくれる。
認知症のミネさんが一人暮らしができることから、行政の福祉サポートが機能している事がみてとれる、週に2回のデイサービス、これで入浴と食事は安心、2回の訪問介護、掃除やゴミ出し、宅配弁当もとどいている。
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本当の友達
私は、二度と会えなかったかも知れないミネさんに会いに日光に帰る。
春は桜を見にドライブに行き、先日はスーパーの屋上にできた空色の観覧車に一緒に乗った。
ミネさんは男体山を指さして「あの山に登ったよ~!」と何度も繰り返す。そのお礼という事で、私の家の草をむしってくれる、これが職人技だから、短時間で信じられないくらいキレイにしてしまう。
ミネさんと親しくなる前、高齢で働いているミネさんを少し気の毒に思っていた。しかし、草むしりはミネさんの天職で、ミネさんは草むしりの達人なのだ。認知症を発症しても、仕事に対する情熱と誇りは変わらない。
私は草むしりのお礼にミネさんの髪を染める。
するとにこにこしながら「あんたとは本当の友達になっちゃったね~」とポツリと言った。
ミネさんの本物の言葉なのだと、痛いほど分かった。
今年の春も日光に帰り、ミネさんと桜を見に行く今年は、去年ミネさんが一番喜んだ桜の木の下にシートを敷き、お弁当を食べよう。夏はまた草むしりをしてもらいたい、今年も髪を染めれば3度目、ミネさんは85歳だ。
以前、輪ゴムでミネさんの髪を結ぼうとしたら「そのゴムじゃ~色気がないだろう~ ♫」と言われた。
私はミネさんにリボンのついたゴムを見せ「じゃ~色気のあるゴムで結ぶから~ ♫」と伝えて、ふたりで笑った。
「本当の友達」
こうして、いつまで会えるのだろう・・・・
追伸・・・中国の万里の長城で 記念に撮ったらしい
ミネさんの写真が
コタツの上に あった。
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一番手前?? こちらはミネさんのお姉さん。
ミネさん 海外行ってるじゃん!
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