見出し画像

デカルトに学ぶ目標設定とロジックの話

「我思う故に我あり」という言葉を世に残し、座標という概念を生み出した哲学者デカルト。

後に哲学史を変えたその真理には、我々が日々活用できる場面が多々あるという話です。


そもそもデカルトって誰だよ

そもそもデカルトが一体誰なのかって話なんですけど、恐ろしいまでの秀才です。

当時の学問を全て網羅し、天井の格子を這うハエから座標という概念を生んだり、旅に出たかと思いきやこの世の真理の1つに辿り着いた近世哲学の祖と呼ばれる哲学者、数学者です。

非常に面白いのが、この世の学問を網羅した上でデカルトが至ったのが「全てに対する懐疑」です。

全て学んだ上で全てを疑ったわけですね。

その疑い方というのが、教わったこと全てが正しいと保証する根拠は存在しないという、THE BLUE HEARTSの歌詞みたいなパンクな理由だったりします。

ちなみに当時、神の存在を否定したり疑ったりすることは当時重罪だったので、ビビるくらい短絡的で強引な説明で「神様は存在しま〜す」って書き残してたりします。


ヒントは数学の証明に

数学って聞いてアレルギーが出そうになったそこのあなた。
大丈夫です。1番苦手な科目が数学だったので安心してください。

数学の証明と同じ方法で物事を精査しようと挑んだわけですね。
つまり、「○○ということは□□ってこと」みたいな理論です。

y=2xとかいう簡単な数式で、xが3であるとすれば
「xが3ということはyはその2倍ってこと」という理論なわけですね。
結果、6って答えが出るみたいな。

これを日常的な物事に例えてみると

会社に勤めるということは
お金を稼げる

お金を稼げるということは
欲しいモノが買える

欲しいモノが買えるということは
生活が豊かになる

生活が豊かになるということは…

みたいな感じで無限にループすることができます。

しかしながら皆さんの中にはこの例えを見て思った人もいるはずです。

会社に勤めても生活が豊かになるわけではねぇよ、と。


我思う故に我あり

先程のデカルトの紹介にある通り、全てを疑ったのがデカルトです。
そしてその物事が正しいかどうかの根拠を追い求めました。

つまり先程の例えに納得しない方は根拠たるモノを限りなく疑いの無いモノにしなければなりません。

先程の例えになぞらえるのであれば、

「会社に勤務してはいるものの、欲しいモノを買って余りある給与を得ていない」

という状態が存在するからこそ、

「会社に勤めるということはお金が稼げる」

という、そもそも確たる根拠にはならないということです。

そこでデカルトはこの世に存在するモノで明らかに確たる存在を探したわけです。

もしかしたら俺達は長い夢を見てるだけで、本当は肉体も存在しないかもしれないし、そもそもこの世なんて存在しないかもしれない…。

そこでデカルトは閃きました。

そう考える俺の精神は
間違いなく存在してるよな…?

間違いの無い上に否定のしようの無い事実、つまりこれ確たる根拠であり真理なんですよね。

これがデカルトの残した言葉である
「我思う故に我あり」なのです。


どのように活用するのか

ここで活用法なんですけど、前提に置くモノが永遠不変の真理である必要は無いんですよね。

つまり自分の中の正解がそこにあればいいよねって話です。

例えば「歌が上手くなりたい!」と思ったとするじゃないですか。

そこで自分の中で歌が上手い人を定義するわけです。曖昧であれば目標にしたい人物でもOKです。

例としては

歌が上手いということは
音程がしっかり取れている

音程がしっかり取れているということは
音感が強い

音感が強いということは
イメージした音程を忠実に再現して歌えている

というような派生ができるわけです。

このように派生させ続けると、
理想として定義した存在に対して今できるトレーニングやアプローチは何なのか
というトレーニングメニューの構築に役立てることができるわけです。

「練習なんてしたくねぇよ!」って方は一旦宮本武蔵についてまとめた記事があるんで是非ご一読ください。
https://note.com/jiri_jiri_b/n/n791787c88f26

イメージした音程を忠実に再現して歌うのであれば自分の歌を録音し、実際の声とイメージの差を埋めていく練習であったりがアプローチとしては正しいというわけですね。

当たり前ですが、他にも「歌が上手いということは、リズム感が良い」「歌が上手いということは、高い声から低い声まで出る」みたいに色んなベクトルがあり、それぞれに派生していくわけです。

その1つ1つの要素が埋まった時、定義した「歌が上手い人」に到達するわけですね。

つまり自己実現におけるアプローチの明確化に活用できるわけです。

ピタゴラ装置をゴール側から作っていくようなイメージですね。


他にも活用法として…

例えばこれが自己実現以外の場合、チームとしての目標設定とロジックの組み立て、人材の育成であったりと、マネジメント方面にも活用することができるわけです。

また、何かしらの問題に対する原因究明や事の本質を見極める際にも非常に役立ちます。

つまり今起きた事象に対してや、自分やチームの目標など、過去にも未来にもしっかりとしたロジックを構築することができるため最初に定義するモノさえ間違っていなければ筋が通るというわけです。

しかしながら、最初の定義する根本が間違っている場合はそのロジックさえも間違ってしまうため、よく考察、深く検証する必要があるので注意したいところです。


最後に

なんか少し前から「引き寄せの法則」とか「ビジュアライゼーション」とか口々に言うてる人が増えてきたとは思ってたんですけど、結局それって定義付けてる段階だよなと。

つまり自分の中に正解を持つということが大事っていうのは間違いないと思うんで、自分を貫くことを忘れないようにもしたいなと。

また、途中で紹介したんですが鍛錬を積むことについて宮本武蔵の名著、五輪書から紹介してますのでこちらも是非。
https://note.com/jiri_jiri_b/n/n791787c88f26

いいなと思ったら応援しよう!