2.その人は、Slackがお好き
その日は、第1回医療マンガ大賞決定アフタートークイベントの日だった。
初冬の週末、新幹線に乗ってその人はやってくる予定。場所は地下鉄九段下駅近くの軽食のお店。イタリアン風のカフェといった感じだっただろうか。前回紹介したN国際空港におけるドクターオオツカとの打ち合わせ時、じつはもう1つ、大事な取り決め事項があった。本のイラストを誰に描いてもらうのか。当然編集部からいくつか候補となるイラストレーターや漫画家さんの名前を挙げた。ええ、ええ…。ドクターオオツカは人の話を否定しない。肯定から入る人だ。そして最後にポツリ…、この人にしませんか。
油沼さん。
第一回医療マンガ大賞受賞の漫画家さんだ。もちろん名前は存じ上げている。薬剤師さんをテーマにした作品も出している。このご指名は、後日この本に色彩を与えてくれただけでなく、それ以上に子どもたちの心に響くというシナリオ面での動きも持たせてくれた。
「子どもたちに基本的な医療の情報を教えておけば、将来にわたりインチキ医療に騙される人が少なくなると思うのです。」
このコメントは、編集部が油沼さんに企画提案とご協力をお願いしたときに返ってきたメールの一文である。瞬時に「この本が目指すものはなにか」がわかる方のようらしい。で、迎えた打ち合わせ当日。受賞会場が九段下近くの場所であり、アフタートークイベントの前の空いた時間に打ち合わせをすべりこませてくれたというわけだ。
油沼さんの第1回医療マンガ大賞受賞作
「油沼」というのはペンネームなので、女性という以外はわからなかった。初対面。事前に当日のこちらの服装を伝え、目印となる本などをテーブルの上に置いて、待機。
その人はやって来た。
印象からいえば、とても飄々としていらっしゃる。それでいて、いい意味で肩の力が抜けた感じの佇まい。話しやすい。だけど瞳には凛とした観察眼があって、たとえはよろしくないが幕末の勝海舟のような猛禽系の鋭い目力があって、「あ、この方は、本質だけを見ようとする方だ」と思ってしまう。
夕方の5時、イベント前ということもあり、軽食をいただいてもらう。その間に説明する。食しながらいい感じで相槌を打ち、要所要所で自分の考えを披歴される。
「(漫画的な見せ方として)キャラクター設定を考えています。大塚先生,そして子どもたち。子どもたちのキャラクターは、例えば「いじめっこ」「病弱な子」「トランスジェンダーの子」など。そのほか「できる子・できない子」「元気な子・元気でない子」などの対比的な見せ方。なので,大塚先生以外の子どもキャラは授業(目次)の1限目からホームルームの時間まで、トータルキャラで通さなくてもいいでしょうか…。」
いきなり画の構想を提示して、自分のフィールドに編集者を引き込んでしまう話法をお持ちのようだ。正直なところ漫画については漫画のプロにお任せくらいの考えしかなく、一瞬、知的幻惑のような状態となる。
「キャラクター展開として,キャラどうしの漫才やトリオ漫才(大塚先生キャラ含む)のような掛け合いが一番やりやすいです。キャラの具体的イメージは,医療マンガ大賞受賞の作品のトーンだと動きが少ないので,今日ラフを描いてきました。こんな感じでいかがでしょう…。」
油沼さんの確認が続く。
「授業形式の目次構成(まだ各章のコンテンツの詳細まで詰めておらず、1時間目、2時間目、給食の時間、ホームルームの時間といった部構成を決めていた程度)は見ましたが、編集部の方針は…?」
答えに窮する。…ない。この段階では編集側でリードできる素材は意外とすくなく、なんとなく著者や漫画家の想いや考えを聞く程度で、それを後日いかに整理するか…という状況か。がしかし、なにかいわないわけにもいかず、「大塚先生が1日警察署長のように小学校を訪れ,丸1日【お医者さん学校】を開くという設定はどうでしょうか」などといってしまう。
「大塚先生キャラと子どもたちキャラの交流を考えたとき,1日だけでは信頼関係は芽生えないかもしれません。それよりも,ファンタジーの世界の話にしてはどうでしょうか。学校の中で,子どもたちだけに見える扉があり,子どもたちが困ったことがあると,その扉を開いて大塚先生がいるお医者さん学校へ駆け込む。」
このコメントの中にすでに「マジカルドクター」の発想の萌芽があったのだ。と今にして思うものの、その時は冷や汗ものだった。「あ、それ…、体育館の裏側にある部室みたいな感じですかね。」
「今、学校には心のケア相談室などのスクールカウンセラーの先生が常駐していますでしょ。それとはまた別の存在として,【おーつか先生のお医者さん学校】という設定があり,そこに子どもたちが来る(金八先生みたいな存在)。私の作品『潜心』はそのようなファンタジーの世界の話で展開したので,そういう設定のほうがやりやすさというのはあります。」
なるほど、すでに交渉に入られているのか…。
「最後(の章)に各教室に登場した子どもたちがその後どうなったのか。大塚先生キャラが確認する章を設けてもいいように思います。大人になった子どもたちがどうなっているか…をふりかえる、とか。」
もう油沼さんのペース。だがこの段階では「いいアイデアですね、なんでもやってみましょう」とすると、後日とんでもないことになってしまうので(作業面の手間・工程がふえるという意味で)、「ええ…」としながらも、「問題はそのキャラ設定と、これから大塚先生に検討いただく各章の医療テーマのコンテンツのディティールを、それこそ医療や病気の話ですから、どうひもづけするかですね」としてみた。物語性、シナリオでもって子どもたちに医療リテラシーの場所まで来てもらう、というドクターオオツカの考えはすでに油沼さんの中にしっかりインプットされており、それをいかに見せるかの段階まで煮詰めて、打ち合わせに臨んでくれているのを感じた。
「いずれにしても、今日の打ち合わせ内容を編集部から大塚先生にシェアさせていただいて、キャラ設定とコンテンツのひもづけについて三者で集まってもう一度打ち合わせが必要ですね」「わかりました」「年明けの1月に企画通過予定ですから、2月頃、大塚先生のいる京都で」「そうしましょう、あ、それと、Hさんにもう1つ聞きたいことがあります」「なんでしょう?」
「標準治療について説明をお願いしたい。」
うひゃ~~(心の声)。最後にこれを編集側に確認するかぁ。最終のアウトプットに到達するためには、そのスタートラインを明確にしておきたいわけか。これは、プロだな。とたじたじとなりながらも、「標準治療」という言葉の印象、もっといえばネーミングが今一つなんでしょうねぇ。科学的根拠に基づく、現時点で患者さんに推奨できる最良の医療なのに「標準」ですからねぇ。これはわかりづらいですよねぇ。そのほか「保険診療か、自由診療か」の定義があって、それに加えて「民間療法」とか「ホメオパシー」などの考えや立場もあり、それらが標準治療などの軸と対立したり、標準ってなんぞやみたいな受け取り方になっちゃって。もっといえば、その言葉の中に医師から患者側への押しつけ感・押しつけられ感みたいのもあって、標準、標準といえばいうほど、何か患者さんの不安感や切実感をさかなでしてしまうようなニュアンスがあるんじゃないかな…と。ましてやお子さんに「標準治療って、な~に?」、これは届けるのは難しいですよ、はい。と、その場しのぎの返しをして、「あ、ところで、油沼さんて、どうしてアブラヌマさんなんですか?」といった横に反らす質問をしてしまう。
「最後にお願いがあるのですが、イラストデータや編集部とのやりとりはSlackか、Google ドライブでよろしいでしょうか。」
この本は、こんなところから子どもたちの心に届ける画づくりが始まりました。
次回に続く。
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